5/1:一応関西電力と神戸市水道局に廃止手続きをする。連絡は引っ越し日の近くにあるそうだ。また、加美北特養ケアプランセンター井原様に送ったがしばらく使ってなかったので、戸惑いながら送りましたが届いてなかったら。次の日コンビニから送ることにする。いろいろ慣れていないことで、戸惑いながら手続きをしている。あとは、電話機とインターネット手続が残っている。業者からKDDI・4100円の連絡ある。道花から入金あり。
・五月来る引越し準備どうなるか
5/2:知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!? 「がん克服のカギ」を見る。〈第6弾!テーマは「がん克服のカギ」。死亡リスク30%減!学会で拍手喝采を浴びた“特効薬”の正体は「ある生活習慣」だった!さらに治療効果をアップさせる新対策を取り入れた医療現場も紹介。「第4の治療」とも言うべきほどの効果を上げるその対策、実は自分でできる簡単なもの!最新研究から「がん克服のカギ」を探求すると「がんと人類進化の深い関係」も見えてくる!?〉制作統括の白川裕之氏は、「がんは、誰にとっても重く、簡単には語れないテーマ。だからこそ今回は、『怖さ』だけで終わらせず、最新研究が照らし出している”新しい向き合い方”を、視聴者の皆さんと一緒に考えたいと思った。取材を重ねる中で私たちが強く感じたのは、研究の最前線には確かな“希望の芽”がいくつも芽吹いている、ということ。世界では今、がんを単に排除すべき敵と見るのではなく、その性質を理解し、抑え、ともに生きていくことを視野に入れた、新しい考え方が広がり始めている。さらに、がんは人体という生態系の中で生まれる“生き物”であるという捉え方も見えてきます」と、がんとの新たな向き合い方への確かな手応えを口にする。癌は糖で育つので有酸素運動が大事となる。
・有酸素運動が大事八十八夜かな
5/3:毎日新聞の調査では憲法改正に賛成37%、反対30%となる。だが、内田樹はいう。〈日米首脳会談では憲法九条のおかげで日本はホルムズ海峡に自衛艦を派遣しろというトランプ大統領の要請をかわすことができた。戦争に巻き込まれずに済んだのは九条のおかげである。でも、「日米首脳会談、大成功」と大本営発表を垂れ流すだけのメディアはそうは報道しないし、もちろん高市首相自身も「九条のおかげです」とは決して言わない。なにしろそれを廃棄することが彼女の悲願なのだから。 では、どうして「九条のおかげで派兵をまぬかれたこと」を外交的成果として称えながら、その当の九条は「もう時代に合わない」という理由で廃絶することを目指すことができるのか。論理的にはこれは成立しない。論理的に考えれば、これは「九条があるせいで派兵できなかった」ことを高市首相自身は「外交的失敗」と総括していたということである。(内田樹の研究室「憲法九条のおかげです」2026-04-30より)〉日本国がまがりなりにも80年ちかく戦争に巻き込まれなかったのは憲法九条のおかげだ。
・憲法九条のおかげで平和保つかな
5/4:知性と「とほほ主義」(内田樹『ためらいの倫理学』から)。本書の「あとがき」の中で内田は、この諸論文で主張していることを「一言で無理して言えば、それは『自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ』ということになるだろう」と述べている。《私たちは知性を計量するとき、その人の「真剣さ」や「情報量」や「現場経験」などというものを勘定に入れない。そうではなくて、その人が自分の知っていることをどれくらい疑っているか、自分が見たものをどれくらい信じていないか、自分の善意に紛れ込んでいる欲望をどれくらい意識化できるか、を基準にして判断する。》(「古だぬきは戦争について語らない」p25) 内田は述べる。世の中に絶対的な正義などというものはありえない。人というものは、間違えやすい生き物で、絶対的に正しい人というのもありえない。 その間違いやすさを自覚して、自分に謙虚であることが大切だ。自分に対して謙虚である人は、他人に対しても謙虚でありうる。 自分が絶対に正しいと思っている人は、自分に対して夜郎自大的な全能感を持つだろう。そういう人が他人に対して謙虚になれないのは、当然のことだ。 内田は、この自分に対して謙虚であることを、「自己批判能力」と言う。《私たちは知性を検証する場合、ふつう「自己批判能力」を基準にする。自己の無知、偏見、イデオロギー性、邪悪さ、そういったものを勘定に入れてものを考えることができているかどうかを物差しにして、私たちは他人の知性を計算する。自分の博識、公正無私、正義を無謬を前提にしてものを考えている者のことを「バカ」と呼んでいいことになっている。》(「自由主義主観について」)
・自己批判の能力あるか春惜しむ
5/5::内田は知性について、次のことも述べる。《「私には分からない」というのが知性の基本的な構えである。「私には分からない」「だから分かりたい」「だから考える・調べる」「なんだか分ったような気になった」「でも、なんだかますます分らなくなってきたような気もする」と螺旋状態でぐるぐる回っているばかりで、どうにもあまりぱっとしないというのが知性のいちばん誠実な態様ではないのかと私は思っているのである。》(「性差別はどのように廃絶されるのか」p212) どうにもあまりぱっとしないという知性の在り方を、内田は「とほほ主義」といっている。「とほほ主義」とは、「それは「善を為す」ことよりも、「悪いことをこれ以上しない」ことを優先的な課題として自己省察する倫理的態度のこと」を著者は名づけている。 同時に「自分の愚かさ、自分の弱さ、自分の邪悪さが世界にどのような災厄をもたらすかを優先的に配慮するような知のあり方、そのリスクを制御することで自分が世界にどのような貢献を果たしうるかを計算することのできるような知のあり方」である。 自分が向かい合っているさまざまな世の中の出来事が「ろくでもないこと」とわかっていながら、正義の人のようにそれを査問的に糾弾できない。それは、自分もまたその「ろくでもないこと」の片棒を担いでいるというやましさの感情があるからだ、そのやましさの感情が自分の査問しようとする腰を折る、そのときに自分を襲う感覚がこの「とほほ」なのだというのである。 またこの「とほほ主義」は、「父権制社会」に固有である、「私の外部」に「私」の自己実現や自己解放を阻害する禁止としての強権的な存在を設定する思考法から逃れる道だと述べている。
・高市政権の施策にとほほ子どもの日
5/6:ARC芦屋は5/16で最後。訪問看護テオンは29日加納さんで終わり。訪問看護テオンの福永さんから次の連絡がある。〈お伝えいただきました、請求書等の書類送付につきましては、送付時は、ARC芦屋の分とまとめるようにします。5月分の請求書は、6月10日頃にARC芦屋の分を含めて送付できます。5月分の領収書は、7月10日頃にARC芦屋の分を含めて送付できます。〉それでお願いしますと確認した。
・ 請求書は文字の証明花は葉に
5/7:神戸市水道局・関西電力から手続き完了のお知らせ来る。NTT西日本解約は電話で一応解決。後藤泌尿器科から薬三ヶ月分処方。紹介状は引っ越し間際に渡すそうだ。ひだまり歯科からインプランについての紹介状をもらう。加美北特養ケアの矢原さん宛に手紙を送る。
・七変化引っ越準備いくたびぞ
5/8:憲法改正の中身については、現在の世界情勢からするとあまりにも非現実的ではあるが、国の在り方として世界中の共通の願いであり、一国家の憲法条文としては真っ当のものだと考えている。私は、現行の憲法は何が何でも総体として変えてはならないと主張する護憲派ではない。いや、たとえ一字一句同じ憲法であったとしても、日本人はもう一度、憲法というものを自ら選び直す必要があると思っている。改正するとしてもその中身が問題である。今のような自衛隊を育ててきたことを評価してもいる。その上で、自衛隊の存在意義を憲法に位置付けられればいいと思っているのである。憲法第九条:(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。憲法九条第1項の内容「戦争の放棄」、第2項前段の内容「戦力の不保持」、第2項後段の内容「交戦権の否認」の3つの規範的要素から構成されている条文は、今までの歴史を踏まえると、あまりにも高邁な理想にみえる。だが、この理想はあらゆる戦争廃絶への明快な筋道であるのではないか。憲法九条の戦争放棄条項支持の力源は、人びとの戦争体験と思う。身近な家族、友人をなくし、二度の原爆を受け、殲滅に近いような沖縄をはじめ、空爆などによる大被害の体験から、誰が何と言おうと戦争はよくない、戦争を誘うような国家、言説は信じないと考え、感じる。そのような動かしがたい心が、戦後80年ちかくの不戦状態、平和状況を維持し、憲法9条を支えてきた。だが、戦争体験者が減ずる中で、戦争放棄の内実を構築していくことが大きな課題になってくると思われる。今回のようなホルムズ海峡に自衛艦を派遣しろという強引なトランプ大統領の要請をかわすことができた、戦争に巻き込まれずに済んだのは九条のおかげである。
・おそるべき憲法改正夏来る
5/9:社会的共通資本は、社会の共通の財産として、社会的な基準に従って管理されなければならないと宇沢氏は言う。医療や教育、農の営みなど社会が機能するうえで本当に必要なものが明らかになり、そうしたものは市場というシステムからはなかなか見えづらく、利益至上主義で考えないということの重要性が経済専門家をはじめ多くの方に認識されている。医療について、宇沢は次のことを述べる。《医療を「社会的共通資本」として考える時、「政府」はすべての市民が保健・医療に関わる基本的なサービスを享受出来るような制度を用意する責務を負うことになる。しかし、医師・看護師などの職業的専門家や医療施設・医薬品など、国民経済全体にとって利用しうる希少資源の量は限られたものであって、各市民の必要とする保険・医療サービスを無制限に提供することは出来ない。よって、何らかの社会的基準に従ってこの希少資源の配分が行われる。この社会的基準は、決して官僚的に管理されるものであってはならないし、また市場的基準によって配分されるものであってもならない。それはあくまでも、医療にかかわる職業的専門家が中心になり医学に関する学問的知見、医療にかかわる職業的規律・倫理に基づき管理されるべきものである。そのためには、同僚医師相互による批判・点検を行う Peers' Review などを通して、医療専門家の職業的能力・パフォーマンス・人的資質などが常にチェックされるような制度が整備されていることが前提となる。》いつでもどのような人でもどのような状況であろうと、しかるべき医療が受けられるという安心感は金銭的なものに還元はできない。大事なものは市場的基準や金銭に換算することはできない。そんな当たり前の視点から「社会的共通資本」という概念が生まれた。
・医療制度はすべての人に風薫る
5/10:社会的共通資本の農の営みについては、次のように述べる。《農の営みが、人類の歴史でおそらくもっとも重要な契機をつくってきた。将来もまた基幹的な地位を占めつづけることは間違いない。農の営みというとき、それは経済的、産業的範疇としての農業をはるかに超えて、すぐれて人間的、社会的、文化的、自然的な意味をもつ。農の営みは、人間が生きてゆくために不可欠な食糧を生産し、衣と住について、その基礎的な原材料を供給し、さらに、森林、河川、湖沼、土壌のなかに生存しつづける多用な生物種を守りつづけてきた。それは、農村という社会的な場を中心として、自然と人間との調和的な関わり方を可能にしてきた。どの社会をとってみても、その人口のある一定の割合が農村で生活しているということが、社会的安定性を維持するためにも不可欠なものとなっている。》(宇沢弘文、『社会的共通資本』(岩波新書、より)
・モーロクとして作り続ける夏期野菜
5/11:俳句に限らず、視点を変えてみるのは大事だと思う。 視点を変えてみるというと「今、いのちがあなたを生きている」の表現を思う。 中島岳志によると、これは「与格構文」でヒンディー語によくあるという。 例:「私は幸せだ」→〈ヒンディー語〉「私に幸いが訪れた」、「私はあなたを愛している」→「私にあなたへの愛がやってきて留まっている」「いのち」という大いなるものが、「わたしに」「あなたに」「こらから生まれてくるすべてのものに」、何らかの機縁で宿り生きている。 このような表現に出会うと、どういうわけか自分主体にものごとを捉えて生きてきた面がかなり強いなと思う。いのち」の水源から何かの「縁」で生まれ出て、その中で自然環境やさまざまな人と出会い、何かしら影響を受け、味わいを覚え、やがて「いのち」の水源に還っていく。
・更衣いつのまにやら断捨離へ
5/12:昌彦の県民共済は、マイページから兵庫県民共済利用登録確認画面にログインIDzbe800930、パスワード6141919zで住所変更登録した。泰子は共済元受団体全国生活協同組合連合会電話 048-633-6200(代)に連絡して住所変更した。後で関連の書類を送るそうだ。今後の兵庫県民共済生活協同組合からのお知らせは、変更後の住所宛に行うとのこと。あとは、年金機構が残る。
・聖五月引越し準備大わらわ
5/13:トーカイ染谷さんが見本の腰掛便器をもって訪問。折から雹入りのゲリラ雷雨が数分ある。ラフィーネ(パナソニックエイジフリー株式会社)のものか、いろいろ操作した。座高は今使用している便器の高さ42cmぐらいがいいそうだ。それでいいと思ったので注文する。値段は2万8千強で、後ほど介護保険の1割負担であとは返ってくると言う。妻の年金機構への電話で住所変更を伝える。郵便局で住所変更するとあとは連動しているらしい。
・鳴神や腰掛便器もつてくる
5/14:弱みを強みに変えるチャンス到来。 人類学者の山極壽一氏は、現代のコロナ禍の中で、《私が人類進化をずっと研究対象にしてきて、人類というのはこれまでずっと弱みを強みに変える戦略で生き延びてきたと理解している。だから私は“弱みこそチャンス”と思う。これまで人間が弱みを見せた時に必ず乗り越える強みを発見してきたから、今回もそれが起こると信じている。》と述べていた。 現状のコロナに関しても、ある程度の収束を願うが、一方、さまざまなことを大きく見直す機会ともいえる。 山極氏は、そのためには科学者が、ひと肌もふた肌も脱がなきゃならないと。それも医学だけではなく、社会学、経済学、人類学とあらゆる知能を結集させれば、必ず解決策はあるのだとお話されていた。 これは専門家など特定の人だけではなく、老化現象など一人ひとりの課題だと私は思っている。
・煩悩をしばらく脇に古茶新茶
5/15:坪内 稔典『老いの俳句―君とつるりんしたいなあ』(ウエップ、 2023)を読む。
印象に残った一節〈「歳をとれば、(中略)見方が固定するし、使う言葉もなじみのある古い言葉になりがち。いつの時代も俳句は新しさが花だったから、老いが身につけている見方や言葉は要注意だ。無理しないで、平凡な暮らしの中で平凡に詠めばよい、という人が多いことも知っている。(中略)でも、そういう人ばかりになったらつまらない。言葉による表現は、たとえ五七五の小さな表現であっても、日本語の表現の地平という広場につながっている。また、絵画や音楽、演劇などの表現一般の地平にも。その広がりをもたらすものが、もしかしたらモーロクという劇薬かも。」〉
目次:1 老いの俳句(麥丘人とカタカナ語;俳句の老人問題;演じる時彦;賢明な老人はいや;老虚子の傑作;俳句の傑作について;発句派と俳句派;五七五の言葉の絵;言葉との体力勝負;意固地な片想い;あなたのお茶碗;老いの二例―誓子と信子;言葉の勢い;破格、反抗、新しさ;五七五の裏に何もない)2 俳句のある場所(口語をころがして;モーロク俳句へ;作者を読むか、句を読むか;老人の俳句;俳句のある場所;俳句は問答)
・氷菓なめモーロク俳句目指すかな
5/16:現在は脊髄小脳変性症の脳神経内科と泌尿器の泌尿器科に通っている。脳神経内科は3カ月に一回の診察、4/14が最後。そして薬3か月分貰っている。泌尿器科は約月1回の診察、5/8が最後。そして薬3か月分貰っている。脳神経内科は社会医療法人緑風会緑風会病院・平野区背戸口1-18-13にメール連絡、区役所で難病関連の手続き終えてから、そこに行き予約をします。そのことの連絡済。泌尿器科は医療法人尚佑会 南クリニック・平野区加美東4-20-20にメール連絡。6月に引越しが落ち着いたら妻が電話連絡をする。そのことの連絡済。どちらも担当主治医からの紹介状がある。他に、歯科(3か月に1回・歯の掃除)、耳鼻咽喉科(3か月に1回・耳掃除)、補聴器(3か月に1回・検査と器具のメンテナンス)、それとタクシー連絡があるが、そちらに行ってからケアマネージャーに聞きながら決めたいと思う。
・ほとんどは妻に一任更衣
5/17:薬:管理は自分でしている。現在は4種類。泌尿器関連・シロドトンOD錠4mg1日2錠、ミニリンメトルOD錠50μg1日1錠。脳神経内科関連・タルチレンOD錠5mg1日2錠、トラゼンタ錠5mg1日1錠。トラゼンタ錠は血糖値が高いので脳神経内科で処方している。
・病院関連は自分でやるよ夏はじまる
5/18:東灘図書館は今日まで。その後、妻が区役所に行き、転出証明書(特例による転出処理済)を貰う。それに「介護保険・後期高齢者医療保険の資格あり」とある。何か保険の手続き関連なのか転出予定日が6月1日となる。また、転出に際しての必要事項が丁寧に記載された用紙をいただく。昌彦:個人番号713921495559・住民票
コード82075156363、泰子:個人番号587352767981・住民票コード24824691629。
本籍・島根県出雲市湖陵町差海376番地2。2枚目の内容はQRコード。
・転出証明書の個人情報走馬燈
5/19:世帯主を妻に変える。区役所で確認したところすんなり変る。世帯主変更の手続き。必要な書類は基本的には下記の2つ。・住民異動届(役場窓口あるいはダウンロードにより入手可能)・本人確認書類(免許証、マイナンバー等)。変更のメリット、・住宅手当や家賃補助は世帯主に対して支給される。夫から妻に世帯主変更する際に生じるデメリットは、税制面や法律面から見ても特にない。
・梅雨入りに扶養家族になりにけり
5/20:川田順造『人類の地平から―生きること死ぬこと』より。《内容紹介:異文化に学ぶ「生と死」のあり方。文明がもたらした「豊かさ」の意味を問い直し、新しい価値観をいかにして構築するか。人間が生きることの意味を、異なる尺度の生活との対比で考え直してみる。日本・フランス・アフリカ-三つの文化を横断して考察してきた著者が、"人類の地平から"未来を見すえ、現代のわれわれの生き方を問う。》 その中の【人間らしさとは何か】は、『月刊福祉』2000年~2001年に掲載されたものである。「病める者の立場」では、西アフリカとフランスでの入院経験から現代日本の医療を見直す。「人間の絆、人間の知恵」では、介護保険のことを考察し、一夫多妻が福祉制度として機能している社会から高齢化社会の抱える問題を照らす。「子ども文化の現在」では、著者の見聞した西アフリカでのあたりまえのように子どもが働く社会から、日本の社会でみられる、いまの教育を根本から質す。「人間らしさを」をめぐって、つねに基本中の基本に立ちかえる随想に、いろいろ考えさせられる。※川田順造『人類の地平から―生きること死ぬこと』(ウェッジ、2004)
・共に暮らし悲喜交々の玉の汗
5/21:トーカイ東灘の染谷さんが腰掛便座(ポータブルトイレ座楽ラフィーネブプラスチック便座・樹脂製タイプ)を持ってくる。それを加美北ケアの矢原さんに伝えるとのこと。値は28,100円の1割負担で残りは返ってくる。基本福祉用具:手すり(NBP-100-80基本木目ポール・00254-000017)、(BP140ジュピター3点セット・00254-000279)いずれも単位206。車いす(BAL-2介助式車いすBALノーバンクメッシュブルー40・00122-000452)300単位。他に購入したもの、入浴補助用具(シャワーチュアミドルSPワンタッチ)がある。
・梅雨迎え腰掛便座購入す
5/22:川田順造『人類の地平から―生きること死ぬこと』の【人間らしさとは何か】の「人間の絆、人間の知恵」に次の言葉がある。《自然の一部として生まれながら、自然を対象化する意志をもつようになった生物である人間は、科学の力でかなりの程度自然をコントロールできるようになったと思い上がりがちだが、今でも地震は予知できず、台風の進路を変えることもできない。現に私たちが存在している世界の、一番始めと一番終わり、一番大きいものと一番小さいものは何かという初歩的な問いにも、答えられないということがわかっていて、その中間のある時間、ある大きさを保って、私たち人類はごく曖昧に、全体としてみれば受動的に、地球上に生きている。(中略) 現代の人口問題をめぐる議論はすべて、いま生きているチャンスに恵まれた人間の、いわば既得権益を最大限守っていこうとするところに、発想の根本があるように私には思えてならない。》 自然現象に対して人の能力には限界があり、人間にはどうにも左右できないものが果てしなくあり、自然は畏怖の対象となるものでもあった。 また、地震や風水の予測し難い災禍の頻繁なこの国土(日本列島)に住む人々は、その自然の中で、永年に亘って様々な知恵を寄せ合い、そこに溶け込む暮らし方、考え方、互助精神などを培い育んできたのではないだろうか。
・自分とは自然の分身夏の星
5/23:銀行の住所変更をする。BIGLOBE会員証のBIGLOBEパスワードを上手く入力出来ないで難儀する。そこでauIDを使うことにするる。auID・1x536796392をibihiko_ya@outlook.comに、パスワードをUn7Tpwtg1028にかえる。My au https://my.au.comにアクセス。契約サービスのauひかりマンションタイプG個別型2・お得プラン(G契約)の意味不明。
・梅雨迎へ各種手続き難儀かな
5/24:辰祐が引越関連の書類を持参。一応確認したがよくわからない箇所がいくつかある。分かったことは辰祐や妻はそれなりに準備しているので、難病関連以外は任せることにした。インターネットに関して、工事は31日pm4-6時に来ることになっている。こちらの方は特に工事の必要はなく、ホームゲートウェイ等は新居に持っていくとのこと。ノートパソコンのことも私より辰祐の方がはるがに詳しく、任せることにした。早速ケーズデンキから13万のノートパソコンを購入。接続も出きるという。
・ほとんどを妻に任せる心太
5/25:矢原さんから連絡ある、〈医療保険でのリハビリについて。1、訪問介護ステーションありく平野(平野区瓜破2-2-7-102)で月水金の訪問を確保済み。2、グラシアス訪問看護ステーション(平野区流町4-10-10 三好病院内1階)は、調整中で、今日か明日に返事をもらう予定。ここは、理学療法士の他に言語聴覚士も在籍されています。
開始時期ですが、6月早々に開始するには緑風会病院からの指示書が必要ですが、7月4日の初診以降になってしまうかもしれません。)「指示書」について問合せをする。返信、〈訪問看護指示書とは、在宅で療養する患者が訪問看護サービスやリハビリを受ける際に、主治医が訪問看護ステーションへ交付する公式文書です。この指示書がなければ訪問看護は提供できません。受診時にかかりつけ医に相談し、訪問でのリハビリサービスを受けたい意向を伝えて訪問看護ステーションへ書いてもらう書類です。現在も事業所から定期的に用紙を病院に送って、記載してもらっていると思います。〉
・訪問看護指示書必要蟻地獄
5/26:後藤泌尿器から紹介状を貰う。西宮病院から貰ったものと一緒に提出。妻は着々と引っ越し準備を進めていた。辰祐が何かとアドレスしてくれる。私は、自分関連はするけれどあとはすっかりお任せしている。気になっているのはパソコンなど電気器具のコンセントをどうするか。それに引っ越し先のベッドの位置や段差など。
・どうするかあとは現場で蜥蜴かな
5/27:自らの死に方を考える。【NEWSポストセブンプレミアム記事】(2021/06/08)に、各界の著名人が語る「理想の死」と「避けたい最期」との内容で紹介されていた。(週刊ポスト2021年6月18・25日号より) 記事は〈自らの死、身近な人の死に深くかかわることだからこそ、安楽死、尊厳死には賛否がある。近年は「自らの死に方を自由に決める」ということを権利と捉えるような議論も登場している。“決断”が必要な局面に備えて、一人ひとりが自分の考えを持つことも重要だ。各界の著名人はどう考えるか。意見を聞いた。〉からはじまり、私と同年代の方や、自分の場合に限らず、家族の場合はどう考えるかなどが紹介されていた。 印象に残った記事から。・《「安楽死と尊厳死についての考えは、自分の年齢や心身の状態だけではなく、周りの環境によっても変化すると思います。 安楽死を否定はしませんが、死というのは自分だけのものではない。『家族のためにまだ死ねない』ということもあり得るでしょう。“周りに対する責任を果たせた”“自分の役割は終えた”と思って死にたいですね」》(「ジャパネットたかた」の創業者・高田明氏(72)・《「父は、尊厳死については明確に賛成しています」 そう語るのは、認知症研究の第一人者であり、自身が認知症を患っていることを公表している長谷川和夫氏(92)の長女、南高まり氏(58)だ。「父は1995年に、母と一緒に『日本尊厳死協会』に入会しました。クリスチャンである父はよく『生かされている』という言葉を使います。それは、人間は『人に支えられて生かされ、また、神に生かされている』という意味です。 病気やケガなどで回復の見込みがない場合に点滴やチューブでつながれて“ただ生かされる”、そうした自分の意志が届かない状態は望まないと父は話します」 2017年に「嗜銀顆粒性認知症」と診断された長谷川氏は、尊厳死を望む意思をどのように表明しているのだろうか。「2013年、父がまだ現役だった頃、尊厳死の宣言書と、『事前願い』として亡くなった時に連絡してもらいたい宛先や葬儀に関する要望が書かれた手紙を預かりました。何かあった時はこの通りにしてくれ、ということです」》
・支えあう生死ほのぼの涼しさよ
5/28:身近な友人を見送ることが多く、昨年は長年交流していた同年代の友人がたて続けに亡くなり、自分も「死」を思うこともある。 考え方としては、高村光太郎の詩の中の「死ねば死にきり、自然は水際立ってゐる」という言葉がいいなと思っていた。「人は死ねば死にきりで個としては存在しなくなるが、大自然に包まれ、その自然はあざやかにきわだっている。」という意だと思っている。 だが、自分の心構えとしてはそれでいいだろうが、「死」については見送った人たち、残された人たちにとってはさまざまな思いが出てくる。 また、わたしの意とはかかわりなく、死後の措置など、少なからぬ他の人たちをいやでも引きずり込む。 生前いかに取るに足りない存在であったとしても、わたしの死はたぶん、たとえごくわずかであったとしても、わたし以外のだれかにとって、やはりなにがしかの意味は持つだろう。 死については、1人称(自分)、2人称(関係の濃い人)、3人称(関係の薄いひと)という分け方で語られたりするが、3人称の死についてはどこまでも観念的になりがちが、2人称の親しい人の場合は、その人に応じた独特の感情がわきあがってくるようだ。 実際のところ、私の中にはいろいろな方から授かったもの、すでに亡くなった人からも多大な影響を受けている。その意味では、死者生者まざりあって心をゆききしている。
・死者生者乗り合ふ船の祭かな
5/29:自己家畜化現象について思う。 人類学では人類の進化を言い表す表現として、己家畜化現象" という言葉を用いる。 動物の家畜化は、一つの種の動物がもつある特性を、人間の利益に適うように人為的に改良を重ね発達させる過程のことをいう。 同時にその種は次第に、人工的に調整された生活条件に依存しなければ生きにくいようになる。 実はヒト(ホモ・サピエンス)という動物の種も、そのような意味での家畜化を、自分自身に対してすすめてきたのである。 つまり、元来極めて多面的であったはずのヒトの性向や能力のうち、ある社会に役立つと考えられる面を教育などによって意図的に開発し、他の面は抑圧して、いわゆる文明の進歩を実現してきた。 一方で、その社会の調整された生活条件に依存しなければ生きにくいようになった。
・油照り自己家畜化の人類史
5/30:尾本惠市編著『人類の自己家畜化と現代』より。 自己家畜化現象について、問題の所在と今後の方向をめぐり、尾本惠市編著『人類の自己家畜化と現代』との研究書がある。 本書は、国際日本文化センターの学際的研究プロジェクトの研究を2002年の段階で纏めたもの。 野生動物をてなづけ、家畜として利用してきた人類が、便利で快適な現代文明のもとで自己自身も家畜化するようになった。 感性の衰弱、肉体の弱化、子どもの歯や顎の劣化、道徳心の麻痺、個性の喪失とクローン化など、各専門家による問題提起。 編者の尾本氏は、「メタファーとしての自己家畜化」で次のように述べる。《たとえば、ブタは野生のイノシシを家畜化した動物だが、両者の頭骨を比べると非常に大きな違いが見られる。イノシシでは歯や顎といった咀嚼器官が大きく発達し、また鼻先が長く突き出ているが、ブタではそれが短縮している。一般に、野生動物に比べて家畜では咀嚼のための機械的ストレスが減っているが、それが咀嚼器官の退縮の原因と考えられる。サルからヒトへの進化の途上、やはり咀嚼器官を中心とする顔面部の短縮が認められるが、これも同じ原理によると考えられる。》
ブタに咀嚼しやすい飼料を与えるのと同様に、人類も、食用の獲物や採集物を、道具や火を用いて、柔らかくしてから口に入れるようになって、しだいに顔面部の造作を退縮させていった。 家畜化とは、野生動物を人為的に交配させたり、成長をコントロールしたりすることだが飼料の加工一つとっても、家畜の形態や体質の大きな変容につながる。 そのことは、ひとの形態や体質にも大きな変容をもたらし、さらに便利で快適な現代文明のもとでは、その暮らし方が大きく変容したのではないのかという問題意識である。 つまり、人類は家畜を有用性や効率性という観点から選別し、改良し、廃棄し、そのおなじ視線を反転させて、自己自身に向けるようになったのではないだろうか。
・炎天下家畜化すすむ現代史
5/31:同書、藤田紘一郎(寄生虫学)の「清潔すぎることの危うさ」によれば、戦後の日本社会はDDT散布と回虫の集団駆虫から始めて環境の「無菌化への道」をひたすら追求してきた。 そして殺菌剤や抗生物質、さらには抗菌グッズの濫用のなかで、日本人の体質そのものに大きな変化が生じた。確かに寄生虫感染率は減少したが、「花粉症、アトピー性皮膚炎、気管支喘息などのアレルギー疾患が1960年代の半ばごろから出現してきた」という。 寄生虫や細菌といった異物を体内から、環境から排除することで、元来無関係であったダニの死骸や花粉などに敏感に反応するようになった、と述べる。 井口潔(医学教育)「ヒトにとって教育とは何か」では、日本では「教育とは役に立つ人間を効率よくつくることだ」と当然のこととして受け取られているが、この考え自体が誤りであるという。「人間らしい人間になるのを助けるのが教育の原点」でなければならない。人間らしい人間になったら、その結果として役に立つようになるのである。そしてこれだけが真理なのであるという立場から、教育は二つに分かれる、と述べる。「生存のための教育」=生得性の能力(感性)と、「生産のための教育」=物をつくる能力(ホモ・ファーブル)。 明治以降の教育は後者すなわち「教育とは役に立つ人間を効率よくつくることだ」という。 さらに自己家畜化により価値観が固定化する危機から脱する知恵は、「役に立つ人間を効率よくつくろう」という従来の考え方から脱却し、生得性の能力、つまり「感性にかえる」ということだと続く。《感性とは「人間として生きていく力」であり、これが一〇〇万年昔に猿と分かれた人間の最大の智慧だ》
・蠅叩き清潔好きといふ病