四季折々(日々彦の文芸欄)

日々彦の詩歌句ノート、随筆、講演、紀行文など

◎自己家畜化現象「四季折々」(2021年6月13日~19日)

〇病とともに「四季折々」(2021年6月13日~19日)

(13日)〇6/13NHK俳句。題「蛾」。選者・鴇田智哉、司会・岸本葉子

ゲスト・映像アーティストの井上涼。

「入選句」

・蛾の止まる電信柱むずがゆい 静岡県富士市 城内幸江 特選一席。

・太陽の大きなハンコ夏来る 神奈川県横浜市 上野京子 特選ニ席

・壁の蛾の間近に壁を見て居りぬ 東京都杉並区 矢野美智子 特選三席

 鴇田さんのテーマ「句のひとみになって句を詠む」

・右の眼に大河左の眼に騎兵 西東三鬼

・逃水をちひさな人がとほりけり 鴇田智哉

・殻の渦しだいにはやき蝸牛 山口誓子

▼鴇田智哉句集『凧と円柱』より

・マフラーのとけて水かげろふの街 ・複写機のまばゆさ魚は氷にのぼり

・風船になつてゐる間も目をつむり ・人参を並べておけば分かるなり

・まなうらが赤くて鳥の巣の見ゆる ・こほろぎの声と写真にをさまりぬ

・上着きてゐても木の葉のあふれ出す ・南から骨のひらいた傘が来る

・ひあたりの枯れて車をあやつる手 ・うすぐらいバスは鯨を食べにゆく

 第二句集(あとがきより) 

《心は、以前にも以後にもうつる。それは感情に限らず、見える、聞こえる、匂うといった感覚に関しても。ときに心は、未来の出来事を先に見ることでさえ、ある。─今のこの出来事は、いつか遠い昔にも見えていたし、これからずっと先にも、また新たに聞こえ続けるだろう─  この句集はいわば、心の編年体による。》

 ・大き蛾は大き影して火をめぐる

 

(14日)〇自己家畜化現象について思う。

 人類学では人類の進化を言い表す表現として、"自己家畜化現象" という言葉を用いる。

 動物の家畜化は、一つの種の動物がもつある特性を、人間の利益に適うように人為的に改良を重ね発達させる過程のことをいう。

 同時にその種は次第に、人工的に調整された生活条件に依存しなければ生きにくいようになる。

 実はヒト(ホモ・サピエンス)という動物の種も、そのような意味での家畜化を、自分自身に対してすすめてきたのである。

 つまり、元来極めて多面的であったはずのヒトの性向や能力のうち、ある社会に役立つと考えられる面を教育などによって意図的に開発し、他の面は抑圧して、いわゆる文明の進歩を実現してきた。

 一方で、その社会の調整された生活条件に依存しなければ生きにくいようになった。

・水中花自己家畜化の人類史 

 

(15日)〇尾本惠市編著『人類の自己家畜化と現代』より①

 自己家畜化現象について、問題の所在と今後の方向をめぐり、尾本惠市編著『人類の自己家畜化と現代』との研究書がある。

 本書は、国際日本文化センターの学際的研究プロジェクトの研究を2002年の段階で纏めたもの。

 野生動物をてなづけ、家畜として利用してきた人類が、便利で快適な現代文明のもとで自己自身も家畜化するようになった。

 感性の衰弱、肉体の弱化、子どもの歯や顎の劣化、道徳心の麻痺、個性の喪失とクローン化など、各専門家による問題提起。

 編者の尾本氏は、「メタファーとしての自己家畜化」で次のように述べる。

 《たとえば、ブタは野生のイノシシを家畜化した動物だが、両者の頭骨を比べると非常に大きな違いが見られる。イノシシでは歯や顎といった咀嚼器官が大きく発達し、また鼻先が長く突き出ているが、ブタではそれが短縮している。一般に、野生動物に比べて家畜では咀嚼のための機械的ストレスが減っているが、それが咀嚼器官の退縮の原因と考えられる。サルからヒトへの進化の途上、やはり咀嚼器官を中心とする顔面部の短縮が認められるが、これも同じ原理によると考えられる。》

 ブタに咀嚼しやすい飼料を与えるのと同様に、人類も、食用の獲物や採集物を、道具や火を用いて、柔らかくしてから口に入れるようになって、しだいに顔面部の造作を退縮させていった。

  家畜化とは、野生動物を人為的に交配させたり、成長をコントロールしたりすることだが飼料の加工一つとっても、家畜の形態や体質の大きな変容につながる。

 そのことは、ひとの形態や体質にも大きな変容をもたらし、さらに便利で快適な現代文明のもとでは、その暮らし方が大きく変容したのではないのかという問題意識である。

 つまり、人類は家畜を有用性や効率性という観点から選別し、改良し、廃棄し、そのおなじ視線を反転させて、自己自身に向けるようになったのではないだろうか。

 ・地の旱家畜化すすむ現代史

 

(16日)〇尾本惠市編著『人類の自己家畜化と現代』より②

 同書、藤田紘一郎(寄生虫学)の「清潔すぎることの危うさ」によれば、戦後の日本社会はDDT散布と回虫の集団駆虫から始めて環境の「無菌化への道」をひたすら追求してきた。 

 そして殺菌剤や抗生物質、さらには抗菌グッズの濫用のなかで、日本人の体質そのものに大きな変化が生じた。確かに寄生虫感染率は減少したが、「花粉症、アトピー性皮膚炎、気管支喘息などのアレルギー疾患が1960年代の半ばごろから出現してきた」という。

 寄生虫や細菌といった異物を体内から、環境から排除することで、元来無関係であったダニの死骸や花粉などに敏感に反応するようになった、と述べる。

 井口潔(医学教育)「ヒトにとって教育とは何か」では、日本では「教育とは役に立つ人間を効率よくつくることだ」と当然のこととして受け取られているが、この考え自体が誤りであるという。

「人間らしい人間になるのを助けるのが教育の原点」でなければならない。

人間らしい人間になったら、その結果として役に立つようになるのである。そしてこれだけが真理なのであるという立場から、教育は二つに分かれる、と述べる。

「生存のための教育」=生得性の能力(感性)と、「生産のための教育」=物をつくる能力(ホモ・ファーブル)。

 明治以降の教育は後者すなわち「教育とは役に立つ人間を効率よくつくることだ」という。

 さらに自己家畜化により価値観が固定化する危機から脱する知恵は、「役に立つ人間を効率よくつくろう」という従来の考え方から脱却し、生得性の能力、つまり「感性にかえる」ということだと続く。

《感性とは「人間として生きていく力」であり、これが一〇〇万年昔に猿と分かれた人間の最大の智慧だ》

・蠅討つや清潔好きといふ病

 

(17日)〇74歳の誕生日を迎えて

 最近ますます身体のふらつきが進んで、歩く・動くなど基本的な動作に、極度に慎重になっています。

  それでも、今やれることに向き合うだけと思っています。見方をかえればよくこの歳まで生き・生かされて来たともいえます。

  幸い妻は年齢の割には達者で、出かける時にはいつも付き添ってくれ、心強いです。

 小脳の萎縮はいかんともならないので仕方がないですが、心は健やかにありたいと思っています。

 鶴見俊輔氏が、交わりのあった百数十人の故人について悼む心を綴った、『悼詞』の「あとがき」に、《私の今いるところは陸地であるとしても波打際であり、もうすぐ自分の記憶の全体が、海に沈む。》とあります。

  自分も人生の波打際にいるような気がしています。

 ただ、身体の方はともかく、座って書くことはできるので、記憶や心に残るよしなしごとをブログなどに記録していきたいと思っています。

・青葉潮波打際の誕生日

 

(18日)感情、思考は、ある方向に人を誘っていく。

「夏風邪や老の疲れといふ病」(松根東洋城)との俳句がある。

 ある友人は、「年とったなあー」「衰えてきたなー」「物忘れがひどくなってきたなー」などよく口に出して言っていると、脳のほうもそれに合わせるような働きが強くなり、より一層そのような状態に身体もなっていきやすくなるので、言わないほうがいいといっていた。

 人の感情(心)と思考(脳)と身体(行動)は密接につながっているので、私もそういうこともあるだろうと思っている。

 今の自分の状態を冷静に見つめ状況に対応する客観力が必要ではあるが、出来なくなることに捉われず、どのような状況になろうと、今やれることに心をおいていくこと。精一杯の力を注ぐことが大事だと考える。 

 身体の状態がよくなくても、その状態だからこそ見えてくることもあると思っている。

 人生を「できる」ということからではなく、「できなくなる」というほうから見つめてみることで、もっと違ういのちの光景が眼に入ってくるのではないだろうか。

・雲の峰明日の高みを探るのみ

 

(19日)〇BSプレミアム『止まらない男 柳家小三治』をみる。

 3月に放送されたNHKザ・ヒューマン「止まらない男〜噺家 柳家小三治」の完全版!ということで再放送された。何度見ても楽しいし、凄いなと思う。

 番組を通してもっとも心に残ったのは、どこまでもよりよきを願って探求する姿勢である。

 それは落語に限らず、生かされてここまできた人生の心意気のようにも思った。

 そのことは、今の自分にとっても大事にしたいところである。

 長年リウマチも患う満身創痍の体は見るからに迫ってくるものがある。それでも歩く姿などは私よりもしっかりしているが。

 出きる限り高座に上がり続け、今日より明日の芸を高めたいと常に挑み続けている姿は悠揚としていて、口調は鮮やかである。

 三月度の放送では、ほんのさわりでもあった「粗忽長屋」がたっぷり聞けて、とても面白かった。

 一週間高座を離れると、取り戻すのに相当かかるという。それがコロナの影響で半年近くできない日々がつづく。

 番組の中で何度か「大丈夫かな? 出来るかな?」の発言があり、コロナのことだけでなく、81の年齢という現実との葛藤もあるのだろう。

 あれほどの人でも、「半年以上高座に上がらなかったので勘が鈍っていないか心配」という。 

・とまらない小三治芸や桐の花