61:Nスペドキュメント「医療限界社会 追いつめられた病院で」をみる。「患者を診ない医師もいれば、薬の処方を間違える医師もいます・・」ある病院からNHKに届いた“限界”を訴える悲鳴。取材班のカメラが記録したのは、深刻な医師不足を背景に「医療の質」という、守るべき一線が脅かされているという衝撃の実態だった。これまでの医療を維持できない“医療限界社会”ともいうべき現実―。患者を守るために何が必要か?追いつめられた病院の密着取材から、あるべき医療とは何かを考える。
・医療の限界社会黴にほふ
6/2:クローズアップ現代「まさか都市部でも…相次ぐ病院閉鎖 医療はどうなる」をみる。都市部で相次ぐ病院の閉院や縮小 赤字経営に揺らぐ医療の未来は。「大きな病院がたくさんある都会なら、医療は安心」そんなイメージが崩れはじめている。患者は多くとも深刻な赤字を抱え、そこに医師不足、建物の老朽化など複合的な要因が重なって、都市部の病院が続々と閉院や診療科の縮小に追い込まれている。「必要な医療に力を入れれば入れるほど経営が傾いてしまう」と、ジレンマを語る医師たち。取材を進めると、都市部の病院の経営を圧迫する、ある理由が見えてきた。クロ現では病院の経営リスクとその背景を多角的に検証。桑子キャスターが向かうのは、住みたい街として屈指の人気エリア、東京・吉祥寺。この10年で救急医療機関の休止・閉鎖が相次ぐ街で、住民のリアルな声を聞く。この先待ち受けている医療の未来とは? 健康や命を守るために何が必要か? 共に考え、どう向き合っていくべきかヒントを探る。
・攪乱や病院閉鎖次々と
6/3:100分de名著『谷川俊太郎詩集』(1)(2)をブログに投稿。解説の若松英輔さんにとって谷川俊太郎を象徴する作品は、今回の番組で取り上げる『自選 谷川俊太郎詩集』には収められていない「ことば」と題するものといい、その詩をあげている。
《問われて答えたのではなかった そのことばは涙のように 私からこぼれた
辞書から択んだのではなかった そのことばは笑いのように 私からはじけた
知らせるためではなかった 呼ぶためではなかった 歌うためでもなかった
ほんとうにこの私だったろうか それをあなたに云ったのは あの秋の道で
思いがけなく ただ一度 もうとりかえすすべもなく》
(『谷川俊太郎詩選集1』集英社文庫、2005) 若松は述べる。《詩とは何かを考える。それは言葉とは何かを問うことにもなります。しかし、それは同時に真の意味における「わたし」、日ごろ「私」だと感じている存在に留まらない、「わたし」と呼びたくなる何かと出会い直すことでもあるのです。》
・夏季休暇別のわたしへ出会いけり
6/4:シリーズ人体Ⅱ遺伝子 特別版 第2集「“DNAスイッチ”が運命を変える」をみる。DNAにある「スイッチ」のような部分が大注目されている。その切り替えによって遺伝子の働きががらりと変化し、人生そのものまで変わるという。がんを防いだり、肥満を防いだりする遺伝子から、記憶や音楽などの能力に関わる遺伝子まで。すべての遺伝子にはスイッチがあり、コントロールできる可能性がある。専門的には、エピジェネティクスと呼ばれる最先端の科学を、映像とともにひも解いていく。
・スイッチを切り替え暮らす老の夏
6/5:2日に衣川氏に各身体機能評価をしてもらう。身体機能評価:握力右26.5k(26.7)・左24.7k(23.1k)、5回立ちあがり11.9秒(12.5秒)、歩行2.5m・6秒(5.5秒)、バランス・足上下揃え25.9秒?(3.3秒)。コメント:筋力は維持できている。力のコントロールを練習。3ヶ月目標・立ち上がり時に後方に倒れない、ふらつきによる転倒。「InBody」の測定結果68点(65点)。体重59.8k(60.4k)。
・協調的に動く体の蜥蜴の尾
6/6:シリーズ人体・特別版 神秘の巨大ネットワーク「(1)“腎臓”が寿命を決める」をみる。腎臓は体中に情報を発信しながら、さまざまな臓器の働きをコントロールしている。腎臓を治療することで重症の高血圧を改善したり、多臓器不全を未然に防いだりできるという。腎臓は血液の管理者として体内のネットワークの要となっている重要な存在だった。ミクロの体内映像や超高精細CGを駆使して
腎臓の驚異的なパワーに迫る。
・腎臓は命の声の仏法僧
6/7:FBの二年前の思い出機能で【『福井正之記録集1』完成のお知らせ】をシェアする。亡くなった親しくしていた旧友も、時間がたつと存在が徐々に薄れていく。読み返ししてみて、一部とはいえ書籍として記録集をつくっておいてよかったなと思う。
・時の日や過去は未来に生きていく ※時の記念日・6月10日。
6/8:川田順造『人類の地平から―生きること死ぬこと』の中の『人間らしさとは何か』は、『月刊福祉』2000年~2001年に掲載されたもの。【人間らしさとは何か】の「人間の絆、人間の知恵」に次の言葉がある。《自然の一部として生まれながら、自然を対象化する意志をもつようになった生物である人間は、科学の力でかなりの程度自然をコントロールできるようになったと思い上がりがちだが、今でも地震は予知できず、台風の進路を変えることもできない。現に私たちが存在している世界の、一番始めと一番終わり、一番大きいものと一番小さいものは何かという初歩的な問いにも、答えられないということがわかっていて、その中間のある時間、ある大きさを保って、私たち人類はごく曖昧に、全体としてみれば受動的に、地球上に生きている。(中略)
現代の人口問題をめぐる議論はすべて、いま生きているチャンスに恵まれた人間の、いわば既得権益を最大限守っていこうとするところに、発想の根本があるように私には思えてならない。》自然現象に対して人の能力には限界があり、人間にはどうにも左右できないものが果てしなくあり、自然は畏怖の対象となるものでもあった。また、地震や風水の予測し難い災禍の頻繁なこの国土(日本列島)に住む人々は、その自然の中で、永年に亘って様々な知恵を寄せ合い、そこに溶け込む暮らし方、考え方、互助精神などを培い育んできたのではないだろうか。
・人の能力の限界知るや夏の潮
6/9:【人間らしさとは何か】の「子ども文化の現在」に次の言葉がある。《この社会【※筆者が暮らしたアフリカのサバンナの村】では、いま生きている人たちは、生前や死後の者も含めた「人間」という全体の一部なのだ。やりたいこと、やらなければならないことがあるから少しでも長くこの世に在ろうとするのではなく、現代医学の至上命令が当然そうであるように、人間という存在の消滅である死を、とにかく少しでも先へのばすという努力がまずあるというのが私たちのいまの社会だ。その結果世界一長くなった寿命に、どうやって生き甲斐や楽しみをもたせるかということに、もし高齢者福祉の問題のひとつがあるのだとすれば、生と死の意味と正面から向き合うことは、それ以前の課題だといえるのかもしれない。》ひとりの〈人間>ということを考えたとき、それは確かに<かけがえのない存在>だ。そこから<人権>という概念も生まれてくる。どの人も、自分の人生を慈しむことは大事だと考える。しかし、同時に、そのひとりの<人間>が、時間的な<祖先ー子孫>という軸と、空間的な<生物>としての軸が、網の目のように交差したなかの、一結節点であるということも心の隅に置いておきたい。※川田順造『人類の地平から―生きること死ぬこと』(より。
・時空の結節点なり雲の峰
6/10:身近な友人を見送ることが多く、先日旧友が亡くなった。このところ長年交流していた同年代の友人がたて続けに亡くなり、自分も「死」を思うこともある。考え方としては、高村光太郎の詩の中の「死ねば死にきり、自然は水際立ってゐる」という言葉がいいなと思っていた。「人は死ねば死にきりで個としては存在しなくなるが、大自然に包まれ、その自然はあざやかにきわだっている。」という意だと思っている。だが、自分の心構えとしてはそれでいいだろうが、「死」については見送った人たち、残された人たちにとってはさまざまな思いが出てくる。また、わたしの意とはかかわりなく、死後の措置など、少なからぬ他の人たちをいやでも引きずり込む。生前いかに取るに足りない存在であったとしても、わたしの死はたぶん、たとえごくわずかであったとしても、わたし以外のだれかにとって、やはりなにがしかの意味は持つだろう。死については、1人称(自分)、2人称(関係の濃い人)、3人称(関係の薄いひと)という分け方で語られたりするが、3人称の死についてはどこまでも観念的になりがちが、2人称の親しい人の場合は、その人に応じた独特の感情がわきあがってくるようだ。実際のところ、私の中にはいろいろな方から授かったもの、すでに亡くなった人からも多大な影響を受けている。その意味では、死者生者まざりあって心をゆききしている。
・心ゆききする死者生者や夏の星
6/11:ソレイユで散髪する。何時も担当されている方がいろいろあり退職したそうだ。いつも丁寧なマスターにしていただき、それはそれでいいのだが、求人をされたがなかなかいないとのこと。今時散髪を志す若者はいなく、この業界も厳しいという。小降りとはいえ梅雨時期に入り、散髪をすると気持ちもいいし、定期的したいと思うが、歩行その他いろいろな意味で今の私にはかなり厳しい。散髪代3,300円。
・わたしには工夫の季節梅雨に入る
6/12:折々のことば3420から。「泣くべきときに泣いておけば胸には何もたまらない。」(永井隆)◇子どもが天真爛漫なのは「たびたび泣いて胸の中の掃除をするから」だと続く。原爆投下で妻を失った長崎の放射線医学者。遺された子らには、思いきり泣こうにも慰めてくれる母がいない。 ※自身の死が迫る中、ほどなく孤児となる兄妹を言葉で支えようと綴った著作『この子を残して』から。
・子が泣くは胸の掃除や夏の雨
6/13:エガオプラスの医療マッサージは、3/17から月曜日AM9時、4/7から木曜日PM5時半の2回になる。1回あたり1割負担・マッサージ施術料約460円、鍼灸施術料約180円=約640円。3月請求金額初検料2230円含めて2119円、4月請求金額5059円、5月請求金額5688円。伊原さんは主に両腕を中心に丁寧にマッサージする。
・丁寧な医療マッサージ涼しさよ
6/14:記録されている「アイリス一週間の動き」を見ると、高学年の子が下学年の子などに様々な影響を与えることが随所に出てくる。「自我」が育つということは他者との関係が育っていくということでもある。まず大事になるのは、自分と同じあそびで楽しさを共有でき、ときにはぶつかり合える「対等の関係」だ。そして、お兄ちゃんやお姉ちゃんに対して憧れの気持ちを持ち、真似てみたりする関係。小さい子はお兄ちゃんやお姉ちゃんがしていることをしっかりと見ており、それを真似しながら様々なことを覚えていく。それから、自分自身がお兄ちゃんお姉ちゃんになって、他児に世話をし、自分の力を確かめたいと思う関係。お兄ちゃんやお姉ちゃんにしてもらっ
たことを今度は自分が小さいお友達に同じようにしてあげる姿もより多く見られる。
・燕の子仲間とともに育ちけり
6/15:ETV特集『世界はことばで満ちている』をみる。ろうの写真家・齋藤陽道さん。手話で気持ちを通じ合わせる家族の日々と、写真家としての挑戦に密着したドキュメント。聞こえる子ども達は成長と共に「音声言語」が増え、齋藤さん夫婦は子どもとどう接するべきか、葛藤が増えている。そして、ろう者としてコミュニケーションに苦しんできた齋藤さんが写真家として挑むのは「“ことば”の意味を広げること」。齋藤陽道さんの独自の世界観を世に問う写真展までの日々を追う。番組を見て、子どもたちに、何とかコミュニケアーションをとろうとする夫婦のけなげな愛情と、それに応えようとする子どもの逞しさを思った。
・桜桃忌世界はことばで満ちている ※太宰忌は19日
6/16:私の中でFBの中で楽しみにしている吉田道昌さんの『人類の危機、地球の危機』から。《1989年、こんな俳句が詠まれた。★核の冬天知る地知る海ぞ知る 高屋窓秋 「核の冬」は、核爆発による地球の冷却化であり、万物の生命を脅かす悪の暗喩であると。 人類の犯す悪はすでに世界に、自然界に現れている。絶えることのない侵略戦争は、いつ核戦争に移行するか、今や危機的な情況にある。★永遠と宇宙を信じ冬銀河 高屋窓秋 高屋は、この句を詠んで、1995年に他界した。 人間の生活にある平和、それを守れるか。》
・永遠と宇宙を信じ夏の星
6/17:今日78歳を迎えた。私の思いとしては、ふらつきも激しく歩くなど動作そのものが危ない状態で、暮らしていくことがたいそう厳しくなっていますが、なにかと支えてくれる最も身近な妻が達者・健全であり、ある程度考えたり調べたりして、このように思うことをブログなどに書くことができるのはありがたいと考えている。そして、ささやかでもいいのでよりよきものを、関心のある人や次世代の方々に繋げられたらとも願っている。
・次世代によりよきものを百日紅
6/18:人類学では人類の進化を言い表す表現として、"自己家畜化現象" という言葉を用いる。動物の家畜化は、一つの種の動物がもつある特性を、人間の利益に適うように人為的に改良を重ね発達させる過程のことをいう。同時にその種は次第に、人工的に調整された生活条件に依存しなければ生きにくいようになる。実はヒト(ホモ・サピエンス)という動物の種も、そのような意味での家畜化を、自分自身に対してすすめてきたのである。つまり、元来極めて多面的であったはずのヒトの性向や能力のうち、
ある社会に役立つと考えられる面を教育などによって意図的に開発し、他の面は抑圧して、いわゆる文明の進歩を実現してきた。一方で、その社会の調整された生活条件に依存しなければ生きにくいようになった。
・蟻地獄自己家畜化の人類史
6/19:尾本惠市編著『人類の自己家畜化と現代』の中で、井口潔(医学教育)の「ヒトにとって教育とは何か」では、日本では「教育とは役に立つ人間を効率よくつくることだ」と当然のこととして受け取られているが、この考え自体が誤りであるという。
「人間らしい人間になるのを助けるのが教育の原点」でなければならない。人間らしい人間になったら、その結果として役に立つようになるのである。そしてこれだけが真理なのであるという立場から、教育は二つに分かれる、と述べる。「生存のための教育」=生得性の能力(感性)と、「生産のための教育」=物をつくる能力(ホモ・ファーブル)。明治以降の教育は後者すなわち「教育とは役に立つ人間を効率よくつくることだ」という。さらに自己家畜化により価値観が固定化する危機から脱する知恵は、「役に立つ人間を効率よくつくろう」という従来の考え方から脱却し、生得性の能力、つまり「感性にかえる」ということだと続く。《感性とは「人間として生きていく力」であり、これが一〇〇万年昔に猿と分かれた人間の最大の智慧だ》
・箱庭は感性鍛える療法なり
6/20:夜中3時半頃、トイレに行く際にはじめの一歩で滑って激しく転倒した。頭・顔の左側・左肩・左足腰などがかなり痛い。丁度加納氏の担当の日でいろいろ見てもらう。足腰の方はあまり心配なさそうだが、頭の部分は様子を見るように言われる。何か異常を感じたら、医者に行きMRIなど撮るように言われる。夜中にトイレに行くときは妻に声掛けするのがいいのではないかと提案がある。暫くそうすることにした。
・梅雨湿りトイレヨタヨタ通いけり
6/21:感情、思考は、ある方向に人を誘っていく。「夏風邪や老の疲れといふ病」(松根東洋城)との俳句がある。ある友人は、「年とったなあー」「衰えてきたなー」「物忘れがひどくなってきたなー」などよく口に出して言っていると、脳のほうもそれに合わせるような働きが強くなり、より一層そのような状態に身体もなっていきやすくなるので、言わないほうがいいといっていた。人の感情(心)と思考(脳)と身体(行動)は密接につながっているので、私もそういうこともあるだろうと思っている。今の自分の状態を冷静に見つめ状況に対応する客観力が必要ではあるが、出来なくなることに捉われず、どのような状況になろうと、今やれることに心をおいていくこと。精一杯の力を注ぐことが大事だと考える。身体の状態がよくなくても、その状態だからこそ見えてくることもあると思っている。人生を「できる」ということからではなく、「できなくなる」というほうから見つめてみることで、もっと違ういのちの光景が眼に入ってくるのではないだろうか。
・暑さ負け老の疲れといふ病
6/22:新コープのケガ保険。年齢制限や健康診査をしなくても加入OK!国内外問わず、日常生活やスポーツ・レジャー等で起こるケガを補償!さらに事故の相手に対する賠償責任を最高3億円まで補償する。傷害一時金プラン・月払保険料 900円。2人目から740円。CO・OP火災共済+自然災害共済・風水害あり年3,100円。
・梅雨出水日本列島あたふたと
6/23:慰霊の日は沖縄戦などの戦没者を追悼する日。1945年6月23日に、日本軍の組織的な戦闘が終結した日に当たる。憲法九条の戦争放棄条項支持の力源は、人びとの戦争体験と思う。身近な家族、友人をなくし、二度の原爆を受け、殲滅に近いような沖縄をはじめ、空爆などによる大被害の体験から、誰が何と言おうと戦争はよくない、戦争を誘うような国家、言説は信じないと考え、感じる。そのような動かしがたい心が戦後70年以上の不戦状態、平和状況を維持し憲法9条を支えてきた。しかし沖縄は敗戦後も米国の統治下に置かれ、日本政府の行政権は及ばなかった。その後の冷戦、朝鮮戦争などが続き、米国の傘のもと外部からの攻撃に対する防衛最前線となっている。1971年の沖縄返還協定による返還後も沖縄の基地化は現在も続いている。憲法九条は、沖縄の基地化により可能となってきたことを押さえておく必要がある。沖縄県公文書館 > 過去の展示会を見る > 沖縄戦と慰霊の日で閲覧できる。
・慰霊の日や沖縄基地化続きけり
6/24:【ひとりの〈ふつう〉の人として(たまゆらの記68)】を投稿。『吉本隆明全集第9巻』「カール・マルクス伝・プロローグ」「価値ある人間の原像」から取り上げる。」「ここでとりあげる人物(マルクス)は、きっと、千年に一度しかこの世界にあらわれないといった巨匠なのだが、その生涯を再現する難しさは、市井の片隅に生き死にした人物の生涯とべつにかわりはない。市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったくおなじである。」われてみれば当たり前のことなのだが、自分はそのような見方になっているのか、心もとないのである。一人ひとりの〈ひと〉を、いくらかの価値の優劣をつけて見ているのではないかと。このような生き方はしたいな、あんな生き方はしたくないなと、好き嫌いはあっても、一人の価値として、とても優劣をつけられないという基本的なことが、振り返ってみると、よくわかっていないのかもしれない。
・炎天下人の価値に優劣なし
6/25:吉本隆明の「対話」についての心構えから。《わたしにも、対話のばあいに、課している戒律はある。〈じぶんを低くすること〉、〈相手をひき立てること〉。この戒律は、わたしの〈書いた〉ものでは、反対に〈確信のあることだけを確信をもって〉ということになる。ここにあつめられた対話のなかで、いささかでも対話の戒律にそむいて、〈いいつのっている〉個処があったら、それはわたしの方が駄目なのである。これもはっきりさせておくべきだとおもう。》(『どこに思想の根拠をおくか』あとがき)。わたしは「対話」をひろげて「人間関係」と読み替えている。殊更、〈じぶんを低くすること〉としなくても、どのようなひととも〈同格〉の人として、対等に接していけばいいだけのことである。難しいことだが。振り返ってみると、〈じぶんを高きにおいている〉、〈いいつのっている〉ときもあるのではないかといろいろな場面を思い出す。実際のところ、ほんとうのことはわからないなという基本的なことを踏まえ、それでも、「不完全で未熟なお互いであることを根底において」、お互いの「思い」を重ねていきたいと願うところに、変容していく対話が成り立つと思っている。そして、その連続で人間関係が成熟に向かうのではないだろうか。「本当のところはわからない」「不完全で未熟なお互いであることを根底において」(同格の人として)など一般論的に語るのはだれでもできるが、自分に引き付けて自分はどれほど身についているのだろうかと検証抜きには迂闊には語れないことだ。おそらく吉本の場合もそういう風にありたいという戒律であり、それを自覚したところからの言説のような気がしている。いずれにしても、その自覚のあり様から、ひととしての謙虚な態度が培われていくのではと考えている。
・対話する同格人の丸裸
6/26:『現代俳句』では「昭和百年/戦後八十年 今、現代俳句とは何か」を2025年の通年テーマにかかげている。その一環として、副会長・理事・監事・事務局長を対象にアンケートを実施。●作品別: 「私が推す『これが現代俳句』五人五句」という質問に対し全員が五句を選び、重複を考慮すると105句が挙がった。うち2人以上から推された句は10句あった。最高点は4で5句に達した。★蝶墜ちて大音響の結氷期 富澤赤黄男/★頭の中で白い夏野となつてゐる 高屋窓秋/★戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡邊白泉/★梅咲いて庭中に青鮫が来ている 金子兜太/★ じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子。3点句はなく、2点句として続いたのが以下の5句。★広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼/★雲秋意琴を売らんと横抱きに 中島斌雄/★銀行員等朝より螢光す烏賊のごとく 金子兜太/★八月の赤子はいまも宙を蹴る 宇多喜代子/★地下鉄にかすかな峠ありて夏至 正木ゆう子。
・マンションにかすかな峠ありて梅雨明けぬ
6/27:国際パラリンピック委員会(IPC)は、パラリンピックに出場するアスリートたちが持つ力こそがパラリンピックを象徴するものであるとし、以下の四つの価値を掲げている。【勇気】マイナスの感情に向き合い、乗り越えようとする精神力【強い意志】困難があっても、諦めず限界を突破しようとする力【インスピレーション】人の心を揺さぶり、駆りたてる力【公平】多様性を認め、創意工夫をすれば、誰もが同じスタートラインに立てるという考え方。これらの価値は、パラリンピックを通じて、障がいのある人もない人も、互いを理解し尊重し、より良い共生社会を築くための指針となるものとも言われている。福祉活動する中で重い病状を抱えていても矍鑠としている方にも接してきて、超高齢化社会の中での目指す高齢者像を描いていた。その人たちに共通する要素として上記のことが重なってくる。特に、困難があっても、諦めず限界を突破しようとする強い精神力・意思力を感じることが多い。また、自分の身体体験からくる、創意工夫の逞しさや、困難を抱えた人たちへの優しさを感じる。
・アスリート競技終えて汗みどろ
6/28:もう一つパラリンピックで思うのは身体器具の目覚ましい発達。以前は、障がいを持つ人々が使用する用具は、障がいを象徴するものと見なされがちでしたが、パラリンピックレベルでは、用具は選手が障がいを克服した象徴へと転換している。さらに、パラリンピックにおける技術革新は、障がい者の福祉用具や医療機器にとどまらず、一般の人々の生活の質を向上させる可能性も秘めている。私は小さい頃からかなり度の強い眼鏡をかけている。それがないと三級の視覚障がい者のレベルだが、眼鏡は日常生活に溶け込んでいて、視覚障がい者の意識は全くなかった。そして、七〇歳になるとき白内障手術して、それ以来眼鏡なしで暮らしている。パラリンピックの技術革新は、ノーマライゼーションのノーマル(普通・正常)という規範的な概念そのものを、限られた概念として相対化してゆくのではないだろうか。人は精神的に明るい積極的な状態であれば、どんな時でも病気や衰えを生きているわけではなく、たった一度のその人「今」の人生を生きている。ともすれば、不安になることもあるわたしで、病状もますます進んでくると思うが、今は、出来る限り可能性を探り、精一杯生きようと考えている。
・ノーマルは曖昧なのさこの暑さ
6/29:わたしにとって「ああーいいな!」と思う老いの姿を巧みに描いた詩人に天野忠がいる。身の回りを鋭く観察して生まれた親しみやすい諧謔に満ちた作品が多く、澄んだ視線で老いをとらえる。老夫婦として生きる喜びとユーモアの精神がクッキリと浮かんでくる。老や病を考えるときに天野忠のような視線は大事にしたいと思う。
・ユーモアで老化を生きる涼しさよ
6/30:6年前診断された脊髄小脳変性症の進行は、ますますひどくなりギクシャク度は増していて、ふらつきも頻度を増している。居宅では何とか一人で動いているが、妻の支えなしには外出もままならない状態だ。肺機能が悪いのでコロナウイルスなどのの感染症に対する不安はあるが、そうなったらそうなるだけと悟っているわけではないが、心配するのはつまらないと思っている。78歳まで生きてきたというか、生かされてここまできたともいえる。気にしていてもよくなることは望めないし、健やかな心で今やれることを大事にしながら明るく暮らしていこうと思っている。天野忠の詩は平易な言葉を使ったシンプルな表現で、人間味を感じさせながら、泰然としていているようでもあり、且つユーモラスである。「自身」を巡る言葉はどちらかと言えば情けなく、情けない世界に寄り添い、それから俯瞰し、批評的な視点、「しなやかな心」など感じる。「老い」や「病」とともに身体が衰えるのは仕方がない面もあるが、「しなやかな心」は、健やかに生きる要点かも知れない。
・しなやかな心の友と夕端居