四季折々(日々彦の文芸欄)

日々彦の俳句日誌、随筆、講演、紀行文など

◎免疫力を高める(「四季折々」2020年3月15日~21日)

〇病とともに(「四季折々」2020年3月15日~21日)

(15日)〇NHK俳句のテレビ放送を楽しみにしている。

 特に、宇多喜代子さんと井上弘美さんの週は面白い。井上弘美さんの「京ごよみ彩時記」と宇多喜代子さん「昭和のくらしと俳句」は選句とともに楽しみにしていたこともあり、今月で二年間の選者を終えるので寂しい。

 昨日は、選者・井上弘美で題「春の雪」、司会 戸田菜穂。

 ゲストは脚本家の小山薫堂さん。映画「おくりびと」などを担当した。またくまモンの生みの親であり、京都老舗料亭の主人も務める。

 小山さんは、俳句は殆ど作らないといっていたが、今日は以前作った句を紹介してくれた。

「口づけは夕焼け色のミモレット」ミモレットはオレンジ色のチーズのこと。

 その句会で俵万智賞をいただいたそうだ。上手いなと思う。

 今日の1席は、「杉玉の濡れいろ桜隠しかな」

「杉玉」はスギの葉(穂先)を集めてボール状にした造形物。日本酒の造り酒屋などの軒先に緑の杉玉を吊すことで、新酒が出来たことを知らせる役割を果たす。

「濡れいろ」は、水に濡れた色。また、そのようなつややかな色。

「桜隠し」は、旧暦3月、桜の咲く頃に降る雪のこと。桜に積もり花びらを隠してしまうところから出来た季語。「春の雪」の傍題。

 新酒ができた喜び、「搾りを始めました」の気持ちと、艶やかな緑と春の雪の白さが合わさって、素敵な句だと思った。

  井上弘美さんは7600句の投句から9区を選ぶそうです。小川さんも春の雪に関しての俳句を紹介してくれた。

「湯あがりの仕合わせつなぐ春の雪」。行きつけの銭湯で、店仕舞してから、近所の人たちと飲むということ。このようなつながりもいいなと思った。

  また、春の雪と「仕合わせ」の言葉から、めぐり合わせを思うという感性も優れていると思う。

  京都にゆかりの深い小川さんの京都についての話も面白かった。京都美術館の屋上がリニューアルされて、そこからの嵐山方面を見渡せる眺めが素晴らしいとのこと。

・被災地の黒い袋に春の雪

  

(16日)〇新型コロナウイルスより怖い風評

 親しくしている福島の友人から妻が次の話を聞いた。友人の近所の知人が話題になったクルーズ船から帰宅したところ、その後利用する各種の店、スーパーマーケット、美容院など行く先々の場所が通抜けで皆に知れ渡り、まいっているとのこと。神戸市の暮らしではそのようなことは聞かないが、7年ほど暮らした出雲では身に迫って感じたことでもある。

 友人は、そんなふうになったら、ここには住めないと言っていたそうだ。

 無関心は、ある場合は困ったことだが、また、心理的にいろいろ思うこともあるだろうが、個人の暮らしには立ち入らないように心をおいていきたい。すくなくとも噂を広げることは極力しないでおきたい。

 今回のトイレットペーパーなどのように、このような社会情勢のとき、ことさら不安をあおるような情報、風評、噂などに惑わされないことが大事なことだろう。

・ここだけの話はやがて雪崩音 

 

(17日)〇岸建太朗監督の短編映画「Hammock」のこと 

 友人から次の連絡がありました。

〈岸建太朗監督の短編映画「Hammock」が大阪アジアン映画祭で芳泉短編賞を受賞しました!おめでとうございます😁😁〉

 大阪アジアン映画祭は一般にはあまり見ることができない映画を上映する優れた映画祭です。友人から連絡を受けましたが今年はいけませんでした。

 この映画祭で、芳泉短編賞の受賞は自主映画人にとって大いに励みになると思います。是非見たいと思うし、受賞理由にもありましたが、次の作品も楽しみですね。

 なお、2年前の大阪アジアン映画祭で『種をまく人』を見ました。

 これは、監督・脚本・編集:竹内洋介、撮影監督・主演:岸建太朗で、説明的なことば、セリフを極度に制限しながら、ひたすら知恵(竹中涼乃)と光雄(岸建太朗)の姿・表情で描くことや、道沿いに咲くヒマワリの花、ひまわりの種を植え続ける光雄の仕種を追っていく。 どこまでも映像を通して語り続ける作品が心に響いてきました。

 ・もくもくと祈りを込めて種を蒔く

 

(18日)〇豊里のN子さん、3月14日に永眠されました。(享年79歳)

 友人から訃報の連絡がありました。N子さんには、大層お世話になりました。

 謹んで哀悼の意を表します。

 なお、18年程お会いしていないし交流もしていないが、それまでかなり長期にわたって身近な方で、いろいろ複雑な思いが湧いてきます。

 存在感ある方で、その影響力、特に学育(教育)方面のことに関して絶大とも言えるもので、それを許容していた私を含めて周囲の人たちによって、「愛児に楽園」を標榜する目標とはかなり逸脱したものになっていたと思っています。

 そのことについて、ブログ『広場・ヤマギシズム』に、自分のこととして触れています。

 ・死のあとに濁りを残し鳥雲に

 

(19日)〇最近読んだ記事で、面白いと思ったFacebookの記事から。

 磯貝昌寛さんの2月28日の記事「この機会にお掃除をしませんか、3月を掃除月間にしたい」との提言。

「マクロビオティック和道」の活動をしている方で、「身の回りがきれいになると身の内がきれいになる掃除ほどいい運動はありません。」という。

「マクロビオティック」についてはよく知りませんが、その考え方は面白いと思いました。

 〈マクロビオティックは食と掃除が二本柱です。〉から始まり、〈私は生き方には二つのタイプがあると考えています。創造と掃除です。新しいものを作り出していく人と、掃除をしてキレイさや機能を維持していく人〉。そして次のように展開する。

〈私たちの体は腸疲労からはじまり、脳疲労、細胞疲労の三重疲労が慢性化しています。社会に目を転じても制度疲労が極まりつつあります。時代は掃除を必要としています。今は掃除の時代です。〉

 人もものも自然界もエントロピー増大の理が貫いており、あらゆるものが混沌―秩序―混頓の輪の中にあります。人が生きていけるのも、他の生き物を食し、余計なものを排出することで,動的平衡しながら生きやがて死ぬ。

 磯貝さんの掃除に焦点を当てる考え方は面白いと思った。

・春一番制度疲労は掃除から

 

(20日)〇磯貝昌寛さんの大学の先輩である恒村医院の3月7日の記事から

 記事の要旨は次のようになっている。

〈〇〇県でまた1人感染者が〜!と言う陰で何百人が治ってることは言いません。

 今や日本中がコロナ感染症で溢れたかのように騒がれていますが本当でしょうか?

 感染してる人は現在のところ非常に珍しいのが事実です。

 しかも、企業が十分トイレットペーパーは生産してます!と再三言ってるのに、わざと空の棚をクローズアップして群集心理を煽っています。山積みの倉庫には決してカメラを向けません。

 はっきり言って今社会は集団ヒステリー状態に陥っています。誤った情報に振り回されているのです。

 こういう情報を首ったけで見ていると、不安、恐れ、絶望感ばかり植え付けられ、結果としてあなたの免疫はドドーンと低下します。免疫が下がるということは感染症にかかりやすくなるということです。

 今大事なのは免疫力をつけることなのです。免疫力をつける=気分をよく保つことです。前向きな明るい気分が1番のワクチンなのです。〉

 そして次のことを提言する。

〈・この病気は何もしなくても8割の人が自然に治る病気です。安心してください。

・限られた医療サービスを本当に必要としている免疫弱者が受けれるようご協力ください。

・少しでも死亡者を出さないようご協力ください。

・手段は問いません。できる範囲でご自分の気の向くことをして、ご自分の気分を良くしてください。

・珍しい病気、嫌なことにだけ注目するのではなく、自分の周りに溢れている素晴らしいことに目を向けてください。当たり前に生活できていることに感謝しましょう。感謝の気持ちは免疫をバリバリに強化します。

・自分の気持ちを明るくすると同時に、誰か一人でも周りの人の気持ちを明るくしてあげてください。明るい気持ちの連鎖を広げてください。すると社会から感染症が収束します。社会の混乱もおさまります。

・咳をする人を厳しい目で見たり、人を誹謗中傷するのはやめましょう。 明るい思いやりの気持ちがこの社会の閉塞感を救います。

・文句は誰でも言えます。その前に今、自分は社会にどう貢献できるのか、ちょっとで良いから考えてみませんか?不要な買いだめを控える。明るい笑顔でも十分な貢献です。

 このコロナ騒ぎで今、人類は試されているのだと思います。〉

 ・活力を蓄へ地虫穴を出づ

 

(21日)〇個人としてやれること

 先日、ブログ『ひこばえの記』に次のことを書きました。

〈このような社会情勢のとき、ことさら不安をあおるような情報に惑わされないことが大事だと思う。 

 総じて、一人ひとりの心の持ち方の総体が、ものごとをどのような方向に進めるかにかなり影響を及ぼすのではないでしょうか。-------

 また、人がこの地球上で生存していけるのは、大概の場合、新たにおこってくる疾病と共存することで可能になってきた。

 ちなみに、厚生労働省の人口動態統計によると2018年にインフルエンザで亡くなった人は日本で3325人だった。感染者は1万人をはるか超えているといわれる。

 新型コロナウイルスについては、武漢から短期間に急速に世界中に広まったので、ここを抑えることが第一義であるが、世界中の叡智を結集することで、いずれ収束し、あるいは共存していくだろうと思っている。〉

 社会的に協力して的確に対処するとともに、個人の心構えが肝要だと思っている。

・疾病とともに歩みし世は朧

◎共存と希望(「四季折々」2020年3月8日~14日日)

〇病とともに「四季折々」(2020年3月8日~14日)

(8日)〇東日本大震災の文明災

 今の情勢から新型コロナウイルス関連の報道が圧倒的に多いが、この時期

になると東日本大震災関連の報道もよく取り上げられる。

 東日本大震災の特徴は、大きな地震、津波による災害であるとともに、原発事故に象徴されるように、いまだ経験したことのないような大きな文明災であり、私(たち)の身近な暮らしにつながっているものであり、今の実態をつかんでいくことはしていきたい。情報の吟味が欠かせないが。

 原発に関しては、順調に稼働していて事故が起きない限り、一度に大量に電気を経済的に発電する事が可能で、エネルギー確保のメリットがあるが、それが破綻をきたすと、修復が困難なものになり、損害が本当に計り知れない。また、そこから派生する放射性廃棄物などにより長年にわたって環境汚染となる。さらに人々の心理面に不安をかきたてるものとなる。

 原発は、私たちの暮らしに直結するする電気エネルギーの多くを依存しているのので、今すぐどうこうとはいかないものの、ものごとは秩序から混沌へと流れていきこの度のようなことは必ず起きるので、代替案を産み出し縮小するあるいはやめる方向でみたいと思っている。

・蜃気楼原発事故は文明災

 

(9日)〇渡辺京二『東日本大震災で考えたこと』から

 渡辺京二は『東日本大震災で考えたこと』の「かよわき葦」で次のように語っている。

〈人間がこの地球上で生存するのは災害や疾病とつねに共存することを意味する。(中略) 人間が安全・便利・快適な生活を求めるのは当然である。物質的幸福を求めずに精神的幸福を求めよなどとは、生活の何たるかを知らぬ者の言うことである。—-私たちに必要なのは、安全で心地よい生活など、自然の災害や人間自身が作り出す災禍によって、いつ失われてもこれもまた当然という常識なのだ。—-人工の災禍という点でも、人間の知恵でそれから完全に免れるという訳にはいかぬと私は思っている。人間はそれほどかしこい生きものではない。それでもつねに希望はあるのだと思っている。

 このたびの災害で、日本という国は見直しされるのだという。—私には日本とか日本人という発想はない。私にはただ身の廻りの世の中とそこで暮らす人々があるばかりだ。その世の中が一種のクライマクス(様相)に達していて、転換がのぞまれるとは、むろん私も感じている。だがそれは、いわゆる3.11がやって来ようと来まいと、そうだったのである。〉(『3・11と私 東日本大震災で考えたこと』「かよわき葦」藤原書店、2012より)

 この文章の特に印象に残るのは、〈人間がこの地球上で生存するのは災害や疾病とつねに共存することを意味する。〉で、ものごとを「共存」という角度から見ていきたい。また、「かよわき葦」としても〈それでもつねに希望はある〉と思っている。

 そして、自分の暮らしている場はささやかな世界だが、それは地域社会、日本という国、さらに世界中のあらゆる出来事、宇宙自然界を含むあらゆる出来事とつながっていて、様々な影響を受けながら、自分の生活が成り立っているのも事実だと思う。

 そのようなことも抑えながら、その考える出発点として、どこまでも身近な人たちに寄り添い、日々の暮らしから向き合っていこうと考えている。

・春愁ふそれでもつねに希望あり

 

(10日)〇7日、ETV特集選「“中間貯蔵施設”に消えるふるさと~福島 原発の町で何が~」をみた。番組内容は次にようになっている。

〈福島県内の「除染」作業で出た“原発事故のごみ”は、東京ドーム11杯分。その全てを住民の帰還が困難な原発のそばに集めて保管する「中間貯蔵施設」の建設が進む。福島県外で最終処分するまで30年、仮置きする計画だ。予定地の地権者は2360人、すでに7割が土地を提供する契約を国と結んだ。事故で故郷を追われ、人生をかけて築いた大切なものを失うという厳しい現実に、どう向き合ってきたのか。3人の地権者の証言で描く〉

 原発はひとたび事故が起きると取り返しのつかない状況になること、その後始末に計り知れないエネルギーと時間がかかることなど思いながら見ていた。

 6年前、福島の知人宅を訪問したときに、いわき駅から第一原発のある広野を通って竜田駅まで常磐線が開通したばかりで乗車した。無人駅も多く、途中黒いシートに覆われた瓦礫、緑のシートに覆われた放射線量の多い瓦礫の山が遠近にあり、閑散とした街並みとあいまって寂しげな感じが残った。

 番組で中間貯蔵施設建設予定地を見ながら6年前の風景とダブって見えた。

 そんな中で、福島県飯舘村で暮らす前原子力規制委員長の田中俊一さんの「原発はいずれ消滅します」の発言がある。

 ・春みちのく黒い袋と献花台

 

(11日)〇「原発はいずれ消滅します 福島・飯舘村で暮らす、前原子力規制委員長・田中俊一さん」

 この記事が毎日新聞2020年3月6日東京夕刊に掲載された。これは放射能廃棄物の処理にまつわる「中間貯蔵施設」のことなど語っている。いろいろ批判はあるかもしれないが、自分のこととして真摯に向き合っている姿に共鳴するものがある。現状を伝える一つの記録だと思う。 毎日新聞でも一部読めるが「地球倫理:Global Ethics」に全文引用されている。

 https://globalethics.wordpress.com/2020/03/08/

 

〇田中俊一さんの記事から

〈そんな田中さんに復興の進捗度を尋ねると、渋い顔になった。「なかなか進みません。少しずつ努力していますが、元々暮らしていた住民の多くが戻ってこない。避難が長期になり、新たな仕事をもったり、子どもの学校の関係があったりして、村外に家を建てた人も多い。特に、若い人は都会志向が強い」

 長泥地区を除き村の避難指示が解除されたのは17年春のことだ。震災前の人口は約6200人だが、現在暮らすのは約1400人。震災前、村内の小中学校には約530人が通っていたが、20年度は65人の見通しだ。「避難先の学校に子どもを通わせる親の多くはわざわざ村内の学校に戻らせようとしません。村には診療所が1カ所ありますが、開いているのは週2日。病を抱えている人は戻りにくい」〉

〈 福島県は郷里でもある。東北大で原子核工学を学び、日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)へ。原発事故前は日本原子力学会の会長や、内閣府原子力委員会の委員長代理を務めた。原子力ムラの中枢を歩んできたとの印象だが、本人は傍流だと自嘲する。

 「私は核燃料サイクルの実現は技術的に無理だと言ってきたので『村八分』の存在です。使用済み核燃料を再処理して高速増殖炉でプルトニウムを増やして、1000年先、2000年先のエネルギー資源を確保しようと言っているのは世界でも日本だけ。安全神話も私は信じていなかった。科学的に『絶対安全』はあり得ない。日本の原子力政策はうそだらけでした」〉

〈福島県大熊、双葉両町にまたがる中間貯蔵施設が15年に稼働後、飯舘村から約50万立方メートルの汚染土が搬出されたが、いまだ約150万立方メートル分が村内の仮置き場に保管されたままだ。農地に設けられた仮置き場では農業が再開できず、復興を阻害する要因になっている。

 県外に汚染土を受け入れる自治体がないとすれば、どう最終処分すればいいのか。これも国民的議論が必要な問題だ。〉

 など、田中俊一さんにより、この間の経緯が詳細に語られている。

・原発はいずれ消滅涅槃西風  

 

(12日)〇社会に向き合う詩歌、俳句などの可能性

 東日本大震災は、文芸の各分野に、それを語る表現についての様々な課題をもたらし。俳句関係者(誌)も度々そのことを取りあげている。また、いろいろな体験や関心から多様な俳句が数多く生み出されている。

 このようなことを表現するとき、濁流している橋の上からではなく、共に濁流に乗るところからの表現が必要ではないかという人もいる。確かにそれは大事なことであるが、多様な関わり、表現の自由度を狭めたくないとも思っている。

 時事や厄難を詠むに不向きといわれてきた最短詩型の俳句に、むしろ可能性を感じている他分野の人たちもでてきている。趣味の範囲を出ない私にも、俳句はこんな風に詠むことで、深いものを表現することができるのかと、改めて感じている。

 東日本大震災に関しては、高野ムツオ氏や照井翠が随時意欲的な俳句を詠み、ブログに照井翠句集『竜宮』を取り上げた。

・春の波しづもる村に亀の声

 

(13日)〇本当は違う「釜石の奇跡」 24歳語り部が伝えたい真実

 朝日新聞3月11日に菊池のどかさん(24)の記事がのる。

 《誤解があればできるだけその場で正すようにしていますが、十分わかってもらえたかどうか自信はありません。でも、震災直後に報じられたことと、私たちが体験した事実と違うことはたくさんあります。》

 県立大を卒業と同時に、「いのちをつなぐ未来館」に就職した。今度は助ける人になりたいと消防士や教師をめざしていたが、地元に防災教育の場ができると聞き、ぴったりだと思った。

 《避難のお手本のように伝えられてきたので、来館者の中には「釜石の子どもは全員助かった」と思って来る人もいます。》

〈私たちが助かったのは消防団員の的確な指示や近所の人の助言のおかげ。運や偶然も重なって生かされたんです。一般的な防災教育だけではだめだと思う。地形を知ること、ふだんから近所の人たちと交流しておくこと……。やるべきことは多いと思います。〉

〈実は私たちも最初から小学生の手を引いて逃げたのではなかった。いったんは自分たちだけ逃げたんです。これからはそういう真実も語っていかないと本当の教訓にならないと思う。〉などなど語られる。

事故当時中学生だった女性が語る真実を伝える難しさと彼女の姿勢に共感するものを覚えた。

 https://www.asahi.com/articles/ASN3B6RL4N36UJUB00F.html

・回想のかげろひ我につきまとふ

 

(14日)〇NHKスペシャル「 “奇跡”の子と呼ばれて~釜石 震災9年~」を見る。

 番組内容〈ラグビーW杯で注目された岩手県釜石市の「復興スタジアム」は、東日本大震災で破壊された小中学校跡地に建設された。学校が津波にのまれた時、生徒達はいち早く高台に自主避難してほぼ全員が助かり“釜石の奇跡”と報じられ賞賛された。だが、津波で親を失った子や友人隣人を失った子も多く、彼らは “奇跡”と“悲劇”の狭間で、震災の記憶を封印するように生きてきた。あれから9年、“奇跡”の子たちは大人になった。就職に迷う者、仕事の壁にぶつかる者、人生の岐路に立ついま、封印した過去とようやく向き合い始めた。東京の短大で学ぶミカさんは、親友リコさんの死を受け入れられず、今も“二人一緒にいる感覚”が続き苦しむ。二十歳の成人式を前に、ミカさんは、友の家族で唯一生き残ったリコさんの祖父を訪ねる。9年を経て、初めて語り合えたリコさんのこと。互いに封印してきた思いがあふれ出す。“奇跡”の子たちの震災9年の今を見つめる。〉

 見ながらグッと詰まることが多々あった。ミカさんやリコさんの祖父はテレビ撮影に戸惑う思いはあったろうが、現実ときちんと向き合う姿勢に感銘していた。

 さらに、「“奇跡”の子」という安易なセンセーショナルな表現というものに左右されながら生きていくことを強いる面があることを思った。

 また、小中学生3千人の殆どが助かり「釜石の奇跡」と呼ばれ、称賛された。でも「全てが本当の事だったわけではない」。あの時の中学生の一人、菊池のどかさんは振り返る。鵜住居地区にできた津波伝承館で働き始めて1年。語り部として真実を伝える事の難しさを日々感じているだろうことも印象に残った。

・生まれてくる奇跡はいつも薄氷

◎日々彦「詩句ノート」・照井翠・句集『龍宮』

〇東日本大震災は、文芸の各分野に、それを語る表現についての様々な課題をもたらし。俳句関係者(誌)も度々そのことを取りあげている。また、いろいろな体験や関心から多様な俳句が数多く生み出されている。

 このようなことを表現するとき、濁流している橋の上からではなく、共に濁流に乗るところからの表現が必要ではないかという人もいる。確かにそれは大事なことであるが、多様な関わり、表現の自由度を狭めたくないとも思っている。

 時事や厄難を詠むに不向きといわれてきた最短詩型の俳句に、むしろ可能性を感じている他分野の人たちもでてきている。趣味の範囲を出ない私にも、俳句はこんな風に詠むことで、深いものを表現することができるのかと、改めて感じている。

 その中で、深い感動を覚えた照井 翠さんの句集『竜宮』から、いくつかの句をみてみる。照井 翠は岩手県釜石市在住の俳人、県内の高校で長く国語教師を務める。東日本大震災では、岩手県立釜石高校で被災、1ヶ月間体育館と合宿所で生活した。

 句集の題名『龍宮』は、「昔話の浦島太郎に出てくる龍宮城があるなら、そこで津波の犠牲になった人たちが、もう1つの人生を幸せに送ってくださいという鎮魂の思いが込められている」とある。

 

・〈卒業す泉下にはいと返事して〉

 泉下(せんか)」とは、黄泉の下、死者の行く所、あの世のことだ。今回の震災と津波で教え子を亡くされている。震災後の卒業式で一人ひとり名前を呼ぶ。そうすると向こう側の世界から返事がある。はじめてこの句に触れた時、何とも言えない思いが湧いてきた。

・〈寒昴たれも誰かのただひとり〉

 寒昴は、真冬の冬空を飾る星座としてオリオンと並び賞される牡牛座のこと。『枕草子』に「星はすばる」とあげられ、古来から親しまれていて、俳句の季語としてもよく使われる。

 この句は、星座をなしている星の一つひとつが違っているように、死者2万人という抽象的な数字ではなく、一人ひとりのたれもが誰かの欠けがいのないたった一人の人である。一つ一つ光り輝いているが、遙かに遠いところに行ってしまった。というような感じもある。

・〈春の星こんなに人が死んだのか〉

 池澤夏樹はCoyote’s Journey「世界が共有するもの」の、作家や翻訳家が国を超えて語り合う日本初の国際文芸フェスに寄せたメッセージでこの句を次のように紹介している。

「この詩人は夜の空を見上げます。そこにたくさんの星が見える。その一方で詩人は、あの津波で二万人が亡くなったということを知っている。数字は知っているけれど、亡くなった一人一人を知っているわけではない。二万人の死者というのは抽象的で、一人一人の死としてとらえることができない。しかし夜の空を見上げて、あの星がみな死者だとしたら、数えられない数だとわかる。そして夜の星は非常に遠いところで手が届かない。もう手の届かないところに行ってしまったが美しい。そういうことが全部、一句の中に凝縮している。俳句の原理は二つの事象を結びつけることにある。一つは自然界、もう一つは自分の心の中。その二つの間に呼応関係が生まれ、そこから一つの感慨が生じる。照井さんはあの震災の悲劇をこういうふうに表現しました。これからもずっと続けられる営みです。」

・〈初蛍やうやく逢いに来てくれた〉

 伊勢物語などの古典、和歌から小林秀雄まで、蛍のはかない輝きに「もののあはれ」を感じ取り、その神秘性に引かれ、自分の偲ぶ人をみたてていく心の動きがある。群れ飛ぶ蛍は人の魂でもあり、その幻想的な中から、ようやく一匹、自分のところに来てくれた、きっとこの蛍が大事な人だったに違いない。何んとも懐かしいようなことに思われた。その心の移ろいを詠んだのではないだろうか。

・〈泥の底繭のごとくに嬰と母〉〈双子なら同じ死顔桃の花〉

 俳句はたった17音の定型詩で、多くを語らず、省略、切断することによって、余白が生まれる。決して作者の思いを押しつけたりせず、その事実のみを付かず離れずの自然のものと結びつけることで思いがけない効果を生み出すこともある。

 池澤夏樹は「俳句はこんな風に辛いことも表現できるのか。哀切の思いは深いが、それでずぶずぶと崩れるのではなく、きちんと客観化されている。⋯–何か中から律するものがある。」と語っている。(『詩のなぐさめ』岩波書店、2015より)

・〈柿ばかり灯れる村となりにけり〉〈しら梅の泥を破りて咲きにけり〉

 自然に打ちのめされた後ですら、自然のいのちの力を感じる。被災者からのことばや俳句で、花鳥風月や自然のものが癒しの効果をあげているのも多々見られる。ある文章の中で、「被災した街の星空がこれまでに見た星空の中で一番美しい星空です」などのことも報告されている。人の計らい、生死のあわいを超えたところで、長い月日をかけて育まれてきた自然界のものの感受性が高まり、次第に象徴性を帯びていく。

・〈気の狂れし人笑ひゐる春の橋〉〈鰯雲声にならざるこゑのあり〉

『龍宮』のあとがきは、次のように結ばれている。「死は免れましたが、地獄を見ました。震災から一年半、ここ被災地釜石では何ひとつ終わってないし、何ひとつ始めってないように思われます。いまだ渦中にあります。しかし生きてさえいれば、何とでもなる、そしてどんな夢も叶えられると信じています」

※照井 翠(1962年生):岩手県花巻市出身。岩手県釜石市在住。岩手県内の高校で長く国語教師を務める。現在「寒雷」「草笛」同人、現代俳句協会会員。

・現代俳句協会のHP「現代俳句協会賞・平成25年特別賞」で、照井 翠『龍宮』自選五十句を詠むことができる。http://www.gendaihaiku.gr.jp/prize/kyokai/

 

【参照資料】

〇照井翠・句集『龍宮』「あとがき」(角川学芸出版、2013)

 転勤により暮らしていた釜石市で東日本大震災に遭遇し、被災したことで、私の精神世界は激しく揺さぶられ、ひたすら生と死を見つめる日々を送ることになりました。以来、人の死に寄り添い、祈り、感謝する日々のなかから生まれ出た句を柱に据え、未熟ながらも一人の人間として、津波による無念の死を迎えざるを得なかった数多くの方々への鎮魂の思いを込めて、この一集を編むことを決意いたしました。

 二〇一一年三月十一日、地震の前兆の不吉な地鳴り。まるで数千の狂った悪魔が地面を踏みならしているかのよう。地鳴りに続く狂暴な揺れ。ここで死ぬのか。次第に雪がちらついてきた。数十秒ごとに襲う激しい余震、そして誰かの悲鳴。避難所となった体育館は底冷えがする。大音量のラジオから流れてくる信じ難い津波被害と死者の数。スプリングコートをはおっただけの身体をさする。誰かが灯してくれた蠟燭の揺らめきをぼんやりながめる。それにしても今夜の星空は美しい。怖いくらい澄みきっている。何か大きな代償を払うことなしには仰ぐことが叶わないような満天の星。このまま吸い込まれていってしまいたい。オリオン座が躍りかかってくる。鋭利な三日月はまるで神だ。

 避難所で迎えた三日目の朝、差し入れられた新聞の一面トップに「福島原発 放射能漏れ」という黒い喪の見出しと信じ難い写真。ああだめだ、もう何もかも終わりだ。こうしてはいられない。避難所を出、釜石港から歩いて数分の、坂の中腹にある我がアパートを目指す。てらてら光る津波泥や潮の腐乱臭。近所の知人の家の二階に車や舟が刺さっている、消防車が二台積み重なっている、泥塗れのグランドピアノが道を塞いでいる、赤ん坊の写真が泥に貼り付いている、身長の三倍はある瓦礫の山をいくつか乗り越えるとそこが私のアパートだ。泥の中に玉葱がいくつか埋まっている。避難所にいる数百人のうな垂れた姿が頭をよぎる。その泥塗れの玉葱を拾う。避難所の今晩の汁に刻み入れよう。

 戦争よりひどいと呟きながら歩き廻る老人。排水溝など様々な溝や穴から亡骸が引き上げられる。赤子を抱き胎児の形の母親、瓦礫から這い出ようともがく形の亡骸、木に刺さり折れ曲がった亡骸、泥人形のごとく運ばれていく亡骸、もはや人間の形を留めていない亡骸。これは夢なのか? この世に神はいないのか?

 この様な極限状況の中で私が辛うじて正気を保つことが出来たのは、多分俳句の「虚」のお陰でした。私には、長年俳句の「虚実と」と向き合ってきた積み重ねがありました。加えて、師である加藤楸邨先生が試みられたように、私もシルクロードを初めとする世界の辺境を歩き、日本とは異質な風土を俳句に詠むという訓練も積み重ねてきておりました。

 震災後の混乱と混沌のなか、自分自身すら見失いかけていた私は、自らの「本当の物語」を再構築し、「本当の自分」を捉え直す必要を強く感じました。その時、私を助け、救い、導いてくれたのが俳句でした。辛く悲惨な経験も、時間の経過とともに夾雑物が取り除かれ、いつしか俳句に昇華していきました。この『龍宮』を纏める前に私はホチキス留の手作りの震災鎮魂句集『釜石①』『釜石②』を製作し、ご支援をいただいている方々にお配りしました。

 死は免れましたが、地獄を見ました。震災から一年半、ここ被災地釜石では何ひとつ終わってないし、何ひとつ始めってないように思われます。いまだ渦中にあります。しかし生きてさえいれば、何とでもなる、そしてどんな夢も叶えられると信じています。

 二〇一二年九月 震災から一年半 月の輝く釜石にて  照井翠 

◎「自己」と「非自己」(「四季折々」2020年3月1日~7日)

〇病とともに「四季折々」2020年3月1日~7日)

(1日)〇2月の色

 いろいろな意味で厳しい状況ですが、自然界に目を向けると、居宅の廻りには花など、徐々春らしくなってきました。

 総じて二月は色の乏しい季節で、その中で、居宅の近くにある山茶花、錦木、水仙は、寒さに強く丈夫で長い期間にわたって楽しませてくれている。

 山茶花は2月に入ってからは徐々に涸れてきた。盛りの時は赤い花、白い花が、咲いたかと思うとすぐに散りはじめ、散ったかと思うとすぐに次々と咲きはじめていたが、今ではほんのわずかに赤い花が目に入るぐらいだ。

 錦木(おそらくそうだと思っている)は、家の近くのいつも通るマンションの生垣にぐるりといけられていて、これほど身近に触れるのは神戸に来て以来で、その紅葉はとても目立っていて、周りの風景全体に趣を醸し出している。2月末になり少し赤さが薄れてきているがなかなか衰えを感じさせない。

 日本水仙は群がっていて、涸れるのもあるが次々に花をつけていて、全体としては今からが盛りともいえそうな雰囲気もある。

・水仙花自然は水際立ってゐる

 

(2日)〇天然界の奏でる色と人間界が作り出す色

 正岡子規の随筆『赤』に、次の文章がある。

「美しい現象の最要素は色である。色は百種も千種もあるけれど、概して天然界の色はつややかにうつくしく、空の緑、葉の緑、花の紅白紫黄の明るく愉快なるに反して、人間界の色はくすんで曇って居る。人間の製造した衣服、住居、器具などは皆暗く寒い色であって、何だか罪悪を包蔵して居るやうに思われる。」

 子規の見方はそれとして、たしかに天然界の奏でる色と人間界が作り出す色は、根本的に異なるような気がする。

 色が大きな比重をしめるだろう絵画の専門家でも、その人独自の色の世界を作り出すことに研究を重ねるだろうし、器具を用いることによる、より写実的であろう写真や映画でも、デジタル化などにより、ある種の限界を抱えながら様々な工夫を重ねているだろう。いいとか悪いとか、現実的であるとかそうでないとかの判断はつけられないが、決定的に違うと思う。

 わたしが感じるのは、天然界のものには、そのもののなかに、生き生きとしたつややかさを宿しているものが、辺りのものと溶け合って独特のものを醸し出しているのではないか。それに対して、人間界の作り出すものは、たとえ精巧な器具を用いたとしても、どこまでも人為的なものがかかわり作り出す色で、一葉の絵柄に収められるものではないのだろう。海に差し込む光、澄み切った空に漂う雲の動き、草木、花、あるいは人や犬などとハッとするような出会いがあったときに、そのようなことを感じる。

・2月尽天然色の春めけり

 

(3日)〇人はつまるところ「大河の一滴」である

 さまざま社会現象や知人、友人の近況に触れて、何がおこるのか、いつどうなってしまうのか分からないなということを改めて感じる。

 近年、身近な知人や友人を見送ることが多く、昨年は長年交流していた同年代の友人がたて続けに亡くなり、自分も「死」を考えることもある。といっても差し迫っていると感じているわけでもないし、そこを考えるよりも、今生きていることをより大事にしたいと思っている。だが「死」に対する心構えは必要だなと考えている。

 考え方としては、高村光太郎の詩の中の「死ねば死にきり、自然は水際立っている」という言葉がいいなと思っていた。

 最近触れた中で、五木寛之の「死」への考え方・心構えに面白いものを覚えている。

【人はつまるところ「大河の一滴」である。大きな河の流れに身をまかせて、おのずと海へくだってゆくのだ。その流れの上で、ピチピチ跳びはねたり、岩にぶつかったり、深い淵によどんだり、流れに逆らって渦を巻いたり、いろんなことをするが、結局は一滴の水として海に還る。死ぬということは、つまりは大きな生命の海に還ってゆくことだと考えたい。なつかしい海の懐に抱かれてしばしまどろみ、やがて太陽の熱と光をうけて蒸発する。そして雲となり、霧となり、雨となって、ふたたび空から地上へ降りそそぐ。】

 そして多田富雄や近来の免疫論を踏まえて次のように述べる。

【〈落地生根 落葉帰根〉という文句のおもしろさは、〈根に帰る〉という最後の部分ではあるまいか。人は去ってゆくのではない。還るのだ。どこへ? 生命力の流れの根元へ、である。みずからの出発点である非自己へ、命の水源に還るのだと考えたい。自己のふるさとこそ非自己ではないのか。老化を自己が崩壊してゆく過程、ととらえる見方もあるだろう。しかし免疫の混乱を自己の秩序の崩壊と考えるより、非自己へ帰るための解体作業と受けとめる立場はないものだろうか。】

・人はみな大河の一滴水温む

 

(4日)〇「自己」と「非自己」

 多田富雄は『免疫・「自己」と「非自己」の科学』で次のように述べる。

【〈近代の免疫学は、免疫系とは、もともと「自己」と「非自己」を画然と区別し「非自己」の侵入から「自己」を守るために発達したシステムと想定してきた。そんなに厳格に「自己」を「非自己」から峻別している事実があるとすれば、その判断の基準は何か。そして免疫系が守ろうとしている「自己」とはそもそも何なのか。というのが免疫学の問題の立て方だった。(中略)ところが、〈「自己」は「非自己」から隔絶された堅固な実体ではなく、ファジー(あいまいなさま)なものであることが分かってきた。それでも一応ウイルスや細菌の感染から当面「自己」を守ることができるのは、むしろ奇跡に近い。免疫学はいま、ファジ―な「自己」を相手にしている。ファジ―な「自己」の行動様式は、しかし、堅固な「自己」よりはるかに面白い。】

 多田をはじめ、現在の免疫論の考えかたは、真の〈自己〉は〈非自己〉の延長線上にあり、その〈非自己〉との関係のしかたによって、〈自己〉が成り立つ、内なる〈非自己〉の存在なくして〈自己〉はありえないとする。

・冴返る自己は非自己へ生は死へ

 

(5日)〇あいまいな「自己」

「非自己」の侵入から「自己」を守るために発達してきたとされる免疫機能だが、実はその「自己」があいまいで、「非自己」との境界は後天的にシステム自体が作っていくものであり、自己免疫症のように自己を攻撃したり、癌やアレルギーのように過剰に非自己を攻撃したりするあいまいさを有している。

 免疫機能に限らず、自分のからだは、現実には私の意のままにならないことからも、意識でとらえた精神的な自己、人格的な自己も、つきつめて考えていくとあいまいなものではないのか。

 自己の体内を見ても、ミトコンドリアをはじめ腸内細菌など「非自己」なるものと共存し、他の生命をいただくことで生きながらえてきて、もっと大きな宇宙・自然界のさまざまな現象の影響を受け、育まれてきて、そこでいろいろな人と出会い、たくさんのことを味わい、やがて死んでいく。

 朝眠りから覚めると、当然のように私は私であると思っている。認知症など極度の老化が進むと、いずれそれすらもおぼつかないことになるかもしれない。

 いずれにしても、やがて来るだろう死の間際になったときにおだやかな気持ちでいたいと願っている。 

・春眠やはたして我は何者か

 

(6日)〇新型コロナウイルスについて思うこと

 伝染病などによる感染症の歴史は生物の出現とその進化の歴史とともにあり、有史以前から近代までヒトの疾患の大きな部分を占めてきた。

  いろいろ調べて、次のことがいえるのではないかと思う。

・感染に関しては、発病するか否かは、宿主側との力のバランスによって決まる。ウイルスに限らないが、免疫力の低下した高齢者、病弱者などは病状が悪化する可能性が高い。

・新型のウイルスが人に感染すると、完全一致する抗体・免疫を持っている人は少ないため、急速に社会に広がっていく。

・持病のあまりない抵抗力の強い人にとっては、インフルエンザ等のウイルスに初回感染した場合と同じように、自己の免疫力により、一時体調に変化があっても重症化することなく、やがて自然治癒する。

・一方、高齢者や糖尿病などの厄介な持病のある人の場合は、重症化することがある。これは、若い頃から蓄積された免疫情報を利用して、ウイルスへの感染防御を行っている部分があるものの、新種のウイルスに対しては、一致する場合が少ないからだと考える。

・また、ウイルスに感染しても症状が出ない人から、抵抗力の弱い人へ伝わっていく恐れが高いので、注意する必要がある。

 このことを知ったからといって個人的にどうなるものではないが、個人としては散歩・掃除など適度に体を動かし、日々の体調を整えておくことが大事で、こまめによく手洗いをすることなど留意する。このことを意識しながら暮らしている。

・新型のコロナウイルス春寒し

 

(7日)〇新型コロナウイルスと社会の動きから。

 今まで経験をしたことがない社会的災難には、蓄積された知恵が乏しいので、対策・政策など右往左往する。

 さらにトイレットペーパーなど買い占めによる社会的混乱など、社会性を帯びた免疫力(この言葉でいいいのか?)が弱いため、「自分さえよければ」の人たちが跋扈しだす。

 物が潤沢にある間や、いろいろなことがある程度順調にいっているときは気が付きにくいが、このような人が張り切りだす社会気風は結構根強くあるのではと思う。

  ほとんどのものはどこかに在庫があり、流通が追い付かないだけであり、当座のこととして、知人、近所の人などと分かち合いをしていけばいいだろう。

 社会・経済的なダメージについてはすぐにどうにかできるものではないが、個人としてやれることがあると思っている。

 阪神淡路大震災、東日本大震災や近来の大災害時に、少なからずの人たちが助け合いの気持ちで乗り切ろうと行動していたように(※だがこれも喉元過ぎれば熱さを忘れる部分もある)、「自分さえよければ」の風潮を、一人ひとりの心を寄せることにより「誰もが安心して暮らせる」社会気風をより強固にしていく機会でもあるのではないだろうか。

 また、人がこの地球上で生存していけるのは、大概の場合、新たにおこってくる疾病と共存することで可能になってきた。

  ちなみに、厚生労働省の人口動態統計によると2018年にインフルエンザで亡くなった人は日本で3325人だった。感染者は1万人を超えているといわれる。

 新型コロナウイルスについては、武漢から短期間に急速に世界中に広まったので、ここを抑えることが第一義であるが、世界中の叡智を結集することで、いずれ収束し、あるいは共存していくだろうと思っている。

 ・形代にウイルスたくす雛流し 

◎日々彦「詩句ノート」石牟礼道子(全句集 「泣きなが原」+未収録の27句など))

※これまで石牟礼道子さんのことを、さまざまな角度からブログに載せてきた。

 2020年1月8日の読売新聞に「石牟礼さん 未収録の27句」という見出しで、まだ句集にも載っていなかった俳句27句が発見された、というニュースが載っていた。

 そこで、石牟礼道子の俳句に関しての記録をまとめてみた。

 

〇『石牟礼道子全句集 泣きなが原』から(藤原書店、2015)・日々彦選句

さくらさくらわが不知火はひかり凪

花ふぶき生死のはては知らざりき 

いかならむ命の色や花狂い

女童や花恋う声が今際にて 

花びらも蝶も猫の相手して

 

毒死列島身悶えしつつ野辺の花

わが耳のねむれる貝に春の潮

睡蓮や地表の耳となりにけり

けし一輪かざして連れゆく白い象を

坂道をゆく夢亡母とはだしにて 

 

笛の音すわが玄郷へゆくほかなし

鬼女ひとりいて後ろむき 彼岸花

薄原分けて舟来るひとつ目姫乗せて

前の世のわれかもしれず薄野にて

ひとときの世を紅葉せよ舞の影

 

にんげんはもういやとふくろうと居る

ひとつ目の月のぼり尾花ヶ原ふぶき

わが酔えば花のようなる雪月夜  

おもかげや泣きなが原の夕茜

わが干支は魚花みみず猫その他

 

祈るべき天とおもえど天の病む

そこゆけば逢魔ヶ原ぞ 姫ふりかえれ

童んべの神々うたう水の声     

われひとり闇をだきて悶絶す

山の上に黒牛どのと石ひとつ

 

〇現代俳句コラム(「現代俳句協会」)

祈るべき天とおもえど天の病む 石牟礼道子

「1950年代を発端とするミナマタ、そして2011年のフクシマ。このふたつの東西の土地は60年の時を経ていま、共震している」――石牟礼道子との対話『なみだふるはな』(2012年3月刊)の序にある藤原新也の言葉である。

 さる7月31日、国の水俣病被害者救済法に基づく救済策の申請が締め切られた。石牟礼氏は珍しくテレビのインタビューに答えて、とつとつとせつせつと、ゆるやかに首を振りながら、この非情について語っていた。いてもたってもいられないという、静かな衝迫に満ちて。でも、詩人の言葉はどこにも届かない。でも、本当にどこにも届かないのだろうか。

 句集『天』は、四半世紀ほど前に、天籟俳句会の穴井太氏(1997年逝去)の手により刊行された。収載作品は41句。穴井氏の友人で画家の久住賢二氏の装画とともに、見開きに1句ずつ収められている。穴井氏は、掲句が、石牟礼氏の文章とともに、新聞(1973年8月1日、新聞名は不明)の学芸蘭に掲載されたときの感動を「句集縁起」と題した解題のなかで綴っている。この句に秘められた思いを述べた石牟礼氏の言葉を、いわば貴重な証言として、孫引きして紹介してみたい。

〈地中海のほとりが、ギリシャ古代国家の遺跡であるのと相似て、水俣・不知火の海と空は、現代国家の滅亡の端緒として、紺碧の色をいよいよ深くする。たぶんそして、地中海よりは、不知火・有明のほとりは、よりやさしくかれんなたたずまいにちがいない。〉〈そのような意味で、知られなかった東洋の僻村の不知火・有明の海と空の青さをいまこのときに見出して、霊感のおののきを感じるひとびとは、空とか海とか歴史とか、神々などというものは、どこにでもこのようにして、ついいましがたまで在ったのだということに気付くにちがいない。〉

 石牟礼氏の想いの果てが、やがて断念という万斛の想いを秘めながら、この句に結晶していったと穴井氏は言う。現代国家の滅亡の端緒として。何ときりきりとした言葉であろうか。同じ悲惨を繰り返しては……ならない、と、ひとり思う。

(出典:石牟礼道子句集『天』(昭和61年)評者: 堀之内長一 平成24年8月31日)

 

〇石牟礼道子はかつて短歌との訣別をしたらしいが、『苦海浄土』を経て俳句が大好きになったようだ。その短歌についての発言の記録がある。

〈短歌そのものについて、私にとってにがへしくもいとおしいのは、ともすればえたいの知れない詠嘆性だ。これは、でもこわい。短歌は結局、詠嘆にはじまり詠嘆に帰結するのではないかしらと云うしごく当り前のことに対する疑問、詩人の民族的権威をもって詠われた詠嘆の時代はもうすぎ去ったのか。(略)

 架空の小市民的団欒、それをもって芸術的であると思い込んでいた理科教室の標本箱の雲母のようにうすい幻想。永久に生活に根づくことのないサロンへの憧憬。そのような中間性から生れる限り短歌はついに文芸でしかあり得ない。

(「詠嘆へのわかれ」『南風』1959)より〉

 

・「人間がやることは、この先もあんまりよくなる可能性はないですか。」「あまりない。いや、いいこともあります。人間にも草にも花が咲く。徒花(あだばな)もありますけど。小さな雑草の花でもいいんです。花が咲く。花を咲かせて、自然に返って、次の世代に花の香りを残して。」『石牟礼道子全句集 泣きなが原』(2015)所収。句集の解説から、上野千鶴子氏との対話を抜粋

 

〇【石牟礼さん 未収録の27句】(2020年1月8日の読売新聞から)

 水俣病の悲劇を描いた「苦海浄土」で知られる作家、石牟礼道子さん()2018年に90歳で死去) が、

 40代から晩年にかけて詠んだ俳句27句が、遺品の日記やノートから確認された。全句集 (213句)には未収録で、専門家は「石牟礼文学の研究を補完する貴重な作品」と評価している。

《全句集外 不知火海や母へ思い》


 石牟礼さんの執筆活動を支えた熊本市の思想史家、 渡辺京二さん(89 が)遺品を調査、200冊を超える日記やノート類の中から確認した。

 石牟礼さんは1970年頃から俳句誌などに寄稿を重ね、2015年に未発表作品を加えて「石牟礼道子全句集 なきなが原」が刊行されたが、今回の27句は含まれていない。

 

 27句のうち最も古いのは69年9月13日の

〈おとめ降りくる草のあいだの晩夏かな〉

 石牟礼さんはこの年「苦海浄土」を刊行し、水 俣病裁判の支援に携わっていたが、自然を素直に詠んだ句には多忙な現実を離れた静かな趣が感じられる。


〈わが海に入る陽昏しも虚空悲母〉

 は96年の、元日に詠まれた。俳人で熊本大名誉教授の岩岡中正さんによれば「かつて水俣病が発生した不知火海に沈む夕日は昏いけれども、その空に悲母観音の姿を感じる」という意味。岩岡さんは「水俣病に象徴される近代の堕落から救いと再生を願う、石牟礼さんの思想が端的に表現されている」と解説する。

 

〈いつもより柿食べており母恋ひし〉(07年12月)

 は亡き母を慕う句で、

〈初春やひとあしごとに地震くる〉(16年4月) 

 は熊本地震で被災した後に詠んだ。

 27句のほか、全句集収録句に類似した4句も確認された。

 

 渡辺さんは「石牟礼さんは、俳句を発表するためではなく、ひそかな楽しみとして作っていたようだが、どの句にも文学的なエッセーンスや独特な味わいが感じ取れる」と語る。 

 今回確認された俳句は2月上旬、弦書房 (福岡市)から出版される句集に収録される。

(以上)

◎共感力(「四季折々」2020年2月23日~2月29日)

〇病とともに「四季折々」2020年2月23日~2月29日)

(23日)○NHKスペシャル:〈食の起源第5集「美食」・人類の果てなき欲望!?》をみる。人間がおいしさを感じる仕組みの不思議を探る内容。この手の番組はある角度から構成しているので、「?」を入れて見ることが必要だが、面白かった。

 人類史にとって永い間、食の安定した獲得は最優先の課題であっただろう。私たちが何気なく美味しく食べているものも、数多の叡智の結晶であり、こんなものを食としておいしくいただいていることを不思議に感じることもある。

 番組は、人類が生き延びるために獲得した「おいしさを感じる3つの特殊能力」があることに焦点を当てていた。

1:「苦味」を「おいしさ」と結びつけて記憶する能力。それこそが、人類が手にした「美食につながる“第1の特殊能力”」。

2:人類は「味よりも食べているものの香り=“風味”をおいしさと強く結びつけて記憶する」ようになり、人間が感じる食のおいしさにとって、味覚よりも嗅覚の方がはるかに重要。

3:3つ目は「仲間への共感」を生み出す脳の中枢(腹内側前頭前野)に焦点を当てる。

 集団で協力し合って生き抜く道を選んだ私たち人類の祖先は、他人が感じる喜怒哀楽を、まるで自分の感情のように共感できる能力を高度に発達させてきた。この優れた「共感能力」が、祖先たちの食に劇的な変化をもたらしたと紹介している。

 それについて二人の研究者は次のように語る。

「人類の祖先は他の動物に比べると非常に弱い生き物で、自分と違う味覚を持った仲間と“同じ食べ物を共有していく”ことが重要だったと思われます。私たちにとって“おいしさ”とは、“自分だけが感じるおいしさ”ではなく、みんなで共有するものなのです。おいしさを共有する、あるいはそれを拡散していくということは、非常に重要な人類の特徴であると思われます。」(今井教授)

「私たちのおいしさの感じ方というのは、単に味の記憶や匂いの記憶だけで決まるのではない。その食べ物を誰と一緒に食べたか、どういう気持ちになったかという、“共感の記憶”も重要になってくるんです。人によってそれぞれおいしいと感じるものが違うのは、何を今まで食べてきて、誰と食べてきて、どういう気分を共有してきたかという経験がすべてそこに含まれていて、それが人によって大きく違うからなんです。」(坂井教授) 

 近来の人類史研究成果では、二足歩行‐道具の発明‐脳の発達と身体の進化とともに、家族の形成‐仲間と協力する連帯感‐共感力‐想像力‐同情心‐好奇心などの心の進化が、過酷な自然条件の中で生き延びてきた大きな要因であるとする見方が有力となっている。

 「共感能力」が人々の「食」に大きな比重を占めているのが伝わってくる内容だった。

・おいしさの共感力のうららかさ 

 

(24日○食の起源第5集「美食」実験の内容も面白かった。

 同じメニューを、献立名を変えて二つのグループに分けて食べてもらった。

・Aグループに伝えた2品の料理名は、「低脂肪ごぼう健康スープ」「パスタ風ズッキーニと大根の炒め物」

・Bグループの料理名は「鳴門鯛のダシたっぷりポタージュ」、「モチシャキ2色麺の創作ペペロンチーノ」 

・Aグループの感想。「うーん、味がない、薄い。」「一口、二口、薬的な感じでしかいただけなかったですね。」

・Bグループの感想。「食べたときに、シャキッとしてて、後味がよかった。」「すごくおいしくて、なんか優しい味だなって思って。もっとあったら飲みたい。」

 〈伝えられた料理の名前が「おいしそう」な印象を与えるものになっただけで、食事に満足する人の割合が60%から87%に上昇するという、驚きの結果に。私たちには、「自分の舌や嗅覚で直接感じるおいしさ」よりも、「人から与えられる情報で感じるおいしさ」の方を強く感じるという、じつに不思議な能力が備わっているのだ〉と、番組では述べていた。 

 心というのが、与えられる情報によって影響を受け、ものすごく揺れ動くのはよく見受けられる社会現象である。おいしさに限らず健康概念なども当てはまることだと思っている。

・冴え返るうわさで心揺れ動く 

 

(25日)〇共感力と共食から思うこと①

 NHKスペシャルの〈食の起源第5集「美食」〉で、「共感能力」が人々の「食」の成り立ちに大きな影響を及ぼしているとのことから、「共食」のことを思った。

 昨年3週間の入院から帰ってきて、普段ほとんど意識することはないが、妻と食事するのはことさら楽しいと思った。

 病院では一人でモクモクと食べる。普段と違ったメニューや味付けなどに面白さを感じ、限られている暮らしのせいか、味気ないことどころか楽しみではある。

 しかし、気の置けない人との「共食」は格別いいものだなと思う。 

 孫と食事機会もあり、まだ1歳4か月なので、そのお相手をする妻はあわただしい様子で,自らの食事を味わうどころか、落ち着いて食べていないようだ。

だが、気楽に見ている私から見て、孫の旺盛な食欲には「おやまあー」と思うこともあるが、見ていて頼もしい。 

 母や見守り手と子の関係は、乳を飲ませ、糞便・尿の始末をすることから始まる。やがて、世話をしながら共に食べ、そのための仕付けをしていく。その過程で、親密さと信頼という人の社会的関係の礎となるものが育まれると思っている。

・木の芽和え明るき言葉交わし合ふ

 

(26日)〇共感力と共食から思うこと②

「天麩羅は揚げたてにかぎるなー、家で食べるのは何年ぶりかなー」

 10年程前、私たちが義父母(以下父・母)と暮らし始めて、父は同様なことを再三洩らしていた。九十歳を越えた二人での食生活は、近くのスーパーで惣菜を買ってくるか、福祉サービスの仕出し弁当に頼っての生活であり、母は調理するのが大層億劫になっていて、普段は簡単に済ましていたようだ。娘である妻の料理を、何かと父は「こんなのしばらくお目にかかっていないなあー」と、毎度の食事を楽しみにするようになりました。

 一緒に暮らし始めてから、父は他の人に迷惑をかけたくないとの気持が強く、娘である私の妻には早くから気を許していたが、私にはかなり長い間気を遣って遠慮していた。

 共に食事をしながら、いろいろな話を交わすことが、より打ち解けた関係になるのに大きな役割を果たしたのではないかなと思っている。

 食べることは、人が生きていくための核になるもので、栄養があり安全で食べやすいというような基本機能だけでなく、心からみたされていく「食の楽しみ」が、よりよく生きていくための原動力になっている。

 また、人は他の人と共に楽しく食べるという習慣や機会を大事にしてきた。

 このことは、介護の現場でも同じようなことがいえる。身体的に衰弱が激しい人や闘病中の人にこそ、心が満たされるような食生活を送り、生きる力を養ってほしいし思う。

 義父のような終末期の人には、「おいしく食べる」ということが、「より良く生きる」の中で比重がかなり大きくなったと思う。その美味しさは、食べることへの慈しみと、共に食べる人との醸し出すものによって、より一層増してくるのではないだろうか。

 ・のどけしや身の上話に花が咲く 

 

(27日)〇「8050問題」について

「8050問題」との言葉があります。何らかの事情で暮らしていくことが困難な人が40歳、50歳代になり、それを70歳代、80歳代の親が支える、超高齢化社会の渦中の大きな問題となっています。わたしにとっても身近な課題です。

  私は50歳を過ぎてから、福祉関連の活動、主に精神障害や重度心身障害の方が対象ですが、精神障害などを抱えた当事者の親御さんと、さまざまな機会に、考えたり行動を共にしたりしました。

 当事者がさまざまな困難を抱えていると共に、親御さんもたいへんな苦労や困難を抱えている人もいました。また、ひきこもりの人を抱えた親とも定期的に会合を持っていました。 

 一人ひとりの状況は違っていても、共感して話を聞いたり、安心してともに考えたりできる場であったようです。 嬉しいこと、楽しいことだけではなく、悲しいこと、困ったこと、苦しいことも共に分かち合える人に包まれているのは、人が前向きに生きていくときに、大きなことだと思っています。 

 その中での大きな話題が、支えているそれぞれが高齢化したとき、どうなっていくのだろうと心配で、70、80歳を過ぎた方が、私が先に行くわけにはいかないという話が少なからずありました。

・季(とき)を知るいのち育む春の川 

 

(28日)〇若い友人が「突発性難聴」で入退院

 入院して2週間の治療はあまり回復しなかったようで、退院して次の治療段階にしていくと連絡がありました。

 持ち前の明るさと前向きな気持ちで語っていましたが、たいへんな状態が伝わってきて、ただ良くなっていくことを願うのみでした。

 こういう場合、何か励ましの言葉を寄せたいと思い、僕もコメントを書き、さまざまな方がその人なりの親身なコメントを寄せていて、本人の厳しい状況にもかかわらず、全体に温かさをかもしだしていました。

  退院後に、〈日常、仕事、趣味には大きな支障はないし(左は健康そのもの)なにより下らないことで鬱ぎこむなんて俺じゃないですよ。やれることは最大限やってそれでもダメなら運命と思えばそれもまた人生。前向きにしか行きません❗〉と、素晴らしい気概がしみいるように入ってきました。最後に〈この繋がりも大切な宝ですね〉と報告をしていました。

「身内」ということばがあります。

 辞書・広辞苑によると【身内:①からだじゅう。全身 ②家族。親類。みより。③ 同じ親分に属している子分。】

  身体は私の体(=物体)を包み込んでいる皮膚という境界を越えて、伸びたり縮んだりもします。運転中の車幅感覚、職人の仕事道具、重度障害者の車椅子、老人の杖などなど身体の一部になっていると感じることがあります。

  人間関係でも、身体の一部には成り難いと思いますが、嬉しいこと、楽しいことだけではなく、ときには馬鹿話をする間柄、悲しいこと、困ったこと、苦しいことも、共に分かち合える人に包まれているのは、人が前向きに生きていくときに、大きなことだと思っています。血がつながっているとかないとかは関係ありません。 

 彼は独身らしいが、少なからずの「身内」に包まれているなと感じました。

 だからといって症状がすぐに改善されるわけではありませんが、何事も心のもち方が大事で、今後どのような展開になろうと、この繋がりは大切な宝だと思います。

 ・胎内の記憶をさます涅槃西風 

 

(29日)〇さまざま社会現象や友人の近況に触れて、

 何がおこるのか、いつどうなってしまうのか分からないなということを改めて感じる。

 新型コロナウイルスについてのいろいろな動きを見ていて、普段当たり前のようにしていることが、出来なくなることもあるなと思う。

 私の場合は、良く利用する施設が閉鎖される、妻は買い占めによるトイレットペーパーの在庫がないとこぼしていたなど微々たるものだが、学校、福祉・医療施設など関係者にとっては切実な人も多いだろう。

 そのことに対応していくことはむろん必要だが、人も社会もどんどん変化していくわけで、その変化に応じる力をつけていくことも大事ではないだろうか。

 出来なくなることに焦点を当てるよりも、このような機会に、普段当たり前のようにしていることを見直すことや、工夫を重ねて出来ることを見つけることに焦点をおいていきたいと考える。自分の病状に関してもそのように思っている。

・海坂に春虹かかり空深し

  

◎日々彦「詩句ノート」2020年の2月放送のNHK俳句、プレバト俳句などから

◎2020年2月放送のNHK俳句  
2/2題「雪解」選者・宇多喜代子  
一瞬が一瞬を追う雪解川(只見川) 宇多喜代子
山のこと海に伝へよ雪解川 1席 調布市 ハードエッジ
一頭も帰らぬ軍馬木曽雪解 2席 岐阜県 渡邉充
雪解川陸奥一國を貫けり 大阪府 東谷日出男
雪とけて一茶そわそわ動き出す 小平市 北野安太
雪解川どこも濡らさず川烏 小林聡美
2/9題「凧」選者・長嶋有  
取り込めば糸冷えてをり春の凧 ゲスト徳山雅記
よくあがり凧にいつ飽きたらよいか 長嶋有
凧あげて上九一色村暮るる 1席 敦賀市 中井一雄
勝ち凧と表彰台に並びけり 2席 京都府 山田浩子
ぐにゃぐにゃのビニール凧や休校日 3席 多摩市 堀江良
2/16題「追儺」選者・井上弘美  
かへるべき山をはるかに鬼やらひ  井上弘美
柊さす果しや外の浜びさし  蕪村
鬼やらひ見えざるものに豆をうつ 1席 東広島市 別祖満雄
天と地を祓ひてよりの追儺かな 2席 京都市 宇野恭子
黒松の根瘤をこがす追儺の火 3席 愛知県 広瀬昭和
2/23 俳句さく咲く! 題「春」  選者・堀本裕樹
春の野や擦れ違ふ人皆達者 市川理矩・特選
母の字と分かり秋めく手紙かな 加藤諒・大会佳作
ロケバスは昼寝の国と成りにけり 酒井未踏・大会佳作
大木の万枝に春の光りけり(俳句大賞) 高槻市 加藤草梢
◎2020年2月放送のプレバト俳句  
2/6 題「美容室」  
啓蟄の決意辞表とショートヘア 馬場典子・特5→4級
2/13「名人・特待生一斉査定スペシャル」。 題「観覧車」
山笑う赤ちゃん象に哺乳瓶 松岡充・特2→1級
花冷えや解体前の観覧車 岩永徹也・特3→2級
観覧車の列に春ショールの教師 村上健志・一つ前進
2/20題「天気予報」。  
花曇り今日は降るよと祖母の声 平井理央、70点
花粉来て獺(おそ)の祭りのごとちり紙 梅沢富美男・一つ前進
2月27日「春光戦」Aブロック予選 題「カップ麺」
赤本で蓋す春夜のカップ麺 岩永徹也・2位
春寒のスタアの悲報カップ麺 藤本敏史・1位
カップ麺三分蜥蜴穴を出る 立川志らく・添削
ゴシップと小言とデカフェ山笑う 高橋真麻・裏技季語入れ

 

〇『NHK俳句』2月号巻頭名句より。解説・片山由美子

▪️初午やずしりと重き稲荷寿司 金子千侍

 初午は二月初めの午の日に全国各地の稲荷神社で行われる祭礼。稲荷信仰は農耕を司る倉稲魂神(うかのみことのかみ)を祀って五穀豊穣を祈るものだが、狐神の俗信も習合されている。油揚は狐の好物といわれることから初午に付き物。甘辛く煮た油揚の中にたっぷり飯や具を詰めた稲荷寿司は、豊穣の象徴ともいえよう。『踊神』

 

▪️薄氷の吹かれて端の重なれる 深見けんニ

 春になってからも、気温の低い日には水面にうっすらと氷が張る。この句は、少し離れていた薄氷と薄氷が折からの風で接近し、わずかに重なり合ったというのである。それだけのことだが、その一瞬は、自然の営みの妙に触れ得た瞬間といえる。それを掬い取った、写生の極致の作品である。『余光』

 

▪️にぎはしき雪解雫の伽藍かな 阿波野青畝

 伽藍は寺の建物の総称。大きな屋根に積もった雪が溶け始め、軒からぽたぽたと雫が落ちているのである。それがあちらでもこちらでもと、競うかのように音を響かせている。その情景を「にぎはしき」ととらえた。春の到来を告げる音楽のようなにぎやかさに包まれる伽藍なのである。『万両』

 

▪️野火走るさきざき闇の新しく 三村純也

 春先、草が芽を出す前に野や土手の枯草を焼き払い害虫を駆除する。その灰が土を肥やすことにもなるのである。野火はその火をいい、地をなめ尽くすように広がる様は、どこか原始の光景を思わせる。「走る」は火の勢いを感じさせ、闇の中で行われる野焼の火と闇のせめぎ合いが 「新しく」 で見えてくる。『 Rugby』

 

▪️はしりきて二つの畦火相搏てる 加藤楸邨

 野焼同様、畦を焼くのは、春耕の準備のひとつである。両端から火を点けられた畦の火がまっすぐに燃え進み、ある地点でぶつかったところを描いた。「相搏つ」に火の力がとらえられており、まるで意志あるもののようだ。「はしりきて」は生き物の動きを見ているようで臨場感がある。『寒雷』

 

〇NHK俳句の兼題案内

▼「春の雪」井上弘美 2/10締切

「春の雪 雪/淡雪/牡丹雪/桜かくし」

 春の雪は「雪」とは言え、どこか明るく、解けやすく消えやすいのが特徴です。

▪️春の雪青菜をゆでてゐたる間も 細見綾子

▪️春の雪橋の全長見えて降る 館岡沙緻(たておかさち)

 ともに「春の雪」を上五に置いていますが、綾子句は時間を捉えて「青菜」との色彩の対比が美しく、沙緻句は空間を捉えて、春の明るい雪の中に橋の全長を浮き上がらせています。

▪️淡雪のつもるつもりや砂の上 久保田万太郎

「淡雪」は淡い雪の意。また大きな雪片が降ることから「壮丹雪」とも言います。この句は「淡雪」を擬人化し、降っても積もらないのに積もるつもりでいることよ、と哀れんでいます。

▪️可惜夜(あたらよ)の桜かくしとなりにけり 齊藤美規

「可惜夜」は惜しむべき夜の意。「桜かくし」は桜が咲く時期に降る雪のこと。あまり使われていませんが、使って見たい美しい季語です。

 なお、「斑雪」はまだらに降り積もった状態の春の雪で、別の季語です。

 

▼「木の芽」堀本裕樹 2/10締切

「木の芽 芽吹く/芽立ち」

「木の芽」は、春になって芽吹く木々の芽の総称のことです。散歩でもしながら、木の芽を探して詠んでみたいものですね。どんな木の芽なのか、どのような光景の中で木の芽が出ているのか、さまざまな角度でその小さな息吹を感じ取って詠んでみましょう。

▪️大寺を包みてわめく木の芽かな 高浜虚子

 境内には多くの木々が植わっているのでしょう。それらが申し合わせたように芽吹きだしたのです。大寺を包むような数々の木の芽は声を発しているように作者は感じました。しかも「わめく」という大きな叫びを心の耳で聞き取ったのです。擬人法が見事に活かされた一言です。

▪️これほどのやさしさはなし芽吹山 青柳志解樹

 芽吹く木々を抱えた山を「芽吹山」といいますが、そこを散策しているか遠目に見ているのでしょう。木の芽がたくさん顔を出した山は、なんと気持ちよくて優しいのだろうと作者は感じました。芽吹山以外はすべてひらがな表記なのも、ほぐれた気持ちを表しているようです。

 

▼「蝶」対馬康子 2/20締切

 春になり街角や野原で蝶を見つけると、明るく楽しい気分になります。世界のほぼ全ての陸上環境に分布する蝶は、俳句の中でも変幻自在です。

 昆虫としての生態を細かく観察するもよし、想像の世界を自由に飛ばすことも楽しいでしょう。華やかだったり、孤独だったり蝶の気持ちになってみてください。

▪️高々と蝶こゆる谷の深さかな 原石鼎

「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った。」という安西冬衛の詩がありますが、この句では深い谷を眼下に、懸命にはばたく小さな蝶に、困難を超えて希望の天空へと向かおうとする強い思いを感じさせます。

▪️ひらひらと蝶々黄なり水の上 正岡子規

 これは蝶々の軽やかな様子が明るく絵のように描かれています。透明な水の上に、春の日差しを受けて映し出される蝶の翅の黄色に、生命を感じます。水を求めて飛ぶ蝶の姿は、子規の化身のようです。

 

▼「春燈」西村和子 3/5締切

「春燈 春灯しゅんとう/春灯はるともし/春の灯/春の燭」

 蠟燭からLEDまで、すべての春の夜にともす明かりを言います。明かりそのものは四季を通じて存在するものですが、温かくなって潤った空気にともる灯は、華やかで艶やかに見えます。ほっと心が明るむ感じもします。

「夏の灯」「秋の灯」「冬の灯」と比べてみると、季節によって趣が違うことが実感されるでしょう。

▪️仰山に猫ゐやはるわ春灯(はるともし) 久保田万太郎

▪️春灯の衣桁に何もなかりけり 清崎敏郎

▪️やりすごす夜汽車の春の燈をつらね 木下夕爾

 万太郎の句は「"祇園杏花"にて」と前書があります。芸妓の言葉をそのまま用いて、京ことばの艶なる響きを思わせる心増い手法です。

 敏郎の句も春宵の座敷が想像されます。衣桁に衣が掛けられていたら句としてはつきすぎですが、何もないと表現されると想像力が刺激れます。

 夕爾の作からは夜汽車が通過する闇の空間が思われます。車窓の灯の連なりも、春だからこそうるんで見えます。

 

▼「壺焼」櫂未知子 3/5締切

「壺焼 焼栄螺」

「俳句さく咲く ! 」の選者としての一回目は「壺焼」という、身近ながらふだんはあまり食べることの少ない季語にいたしました。なぜかというと、「あ、知ってる ! 」とすぐに作句に走るのではなく、「え。これって何」と考える時間を皆さんに持っていただきたかったからです。

▪️壺焼の蓋といふものありにけり 清崎敏郎

 この「蓋」は壺焼と共に出されると何となく看過してしまうものですが、単独でどこかに置かれていると、摩訶不思議な物体に思えて仕方がないものに変化します。面白いですね。

▪️壺焼に炎の先の触れにけり 小野あらた

 即物的かつ微細な観察で定評のある若い作者。単に「炎」が栄螺に触れるのではなく、「炎の先」というこまやかな見方が素敵ですね。小野あらたさんは思いを述べるより先に、まずは季語と寄り添う姿勢を見せてくれる人です。

 四月は、音数のレッスン。さて、「壺焼」「チューリップ」「入学」はそれぞれ何音でしょう。そこからスタートしましょう。

 

 

◎どの人にもその人ならではの丈がある(「四季折々」2020年2月16日~2月22日)

〇病とともに「四季折々」(2020年2月16日~2月22日)

(16日)〇第21回 NHK全国俳句大会受賞作品から

 2019年度は年号が平成から令和に代わる。詩句の世界も、一般の愛好家により詠まれた作品も世相を反映しつつ、なおかつ不易流行の要素もある。

 2月8日に短歌大会、15日の俳句大会の様子が放映された。

 選ばれた方のその句にまつわる話や選者の選んだ要点を聞き、字面だけでは浮かばない想像力をかきたてられ、その作品の良さが伝わってくるのが面白く楽しかった。

 詳細は16日の「詩句ノート」に記録した。

 印象に残ったのは大会大賞にも選ばれた「雀には雀の丈あり秋の空」(大阪柿谷有史)。

 全盲の柿谷さんがお母さんとウォーキングに出かけた時に作られた句で、他の鳥ほど高く飛べない雀には秋空がどのように映っているのだろうかと思い詠んだ句だという。

 高野ムツオさんの選評では次のように述べる。

〈「雀の丈」と表現されて、生き物にはみなそれぞれの背丈に応じた空があると気づかされた。麒麟には麒麟の、蟻には蟻の空がある。寝ころんで仰ぐ青空と坂道を上りながら見つめる青空もまた異なる。澄んだ秋空の下、雀は雀の世界を生きている。〉

 生き物、人にはそれぞれ丈(限度・勢い)があり、そこを精一杯生きていくだろう様子を秋の空に引き付けてご自分の境遇を含め詠まれたものと思う。

放映後のお母様の嬉しそう笑顔も印象に残った。

・どの人も独自の丈あり草の花

 

(17日)〇「適当」いう人間のかしこさ」

 池谷裕二『パパは脳研究者』の「脳育ちコラム」の中で次のことを述べる。

〈一般に、記憶力のいい人ほど、想像力がない傾向があります。なぜなら、記憶力に優れた人は、隅々までをよく思い出せるため、覚えていない部分を想像で埋める必要がないから、普段から「よくわからない部分を空想で補填する」という訓練をしていないと、想像力が育たないのです。記憶力の曖昧さは想像力の源泉です。〉

〈ヒトの脳はサルとは違い、成長とともに「曖昧な記憶」をする部分が発達していきます。ひらがななどの文字の認識も、ゆるやかな記憶の賜物です。記憶が正確だと、お手本の「あ」と手書きの「あ」を、同じ「あ」として読むことができません。特定の1種類の「あ」しか読めなかったりしたら、困ります。そういう点からも、ヒトの適当な記憶力は私たちの認知の核となっている〉

 言葉はコミュニケーションの手段として大きな要素であり、幼児がどのようにして、身につけていくのか見ていくのは面白い。また、記憶力と想像力がどのように育っていくのか興味は尽きない。

・蛹は蝶に吾子の脳波に蝶は飛ぶ 

 

(18日)〇孫との交流。

 孫が生まれてから1年4か月になる。歩くことをはじめ、さまざまなことに能動的になってきた。図書館に行くと、歩きまわり、気に入った絵本を捜している。

 孫の成長を見ていると、ひとりの人が生きていくことに、いろいろな思いが湧いてくる。孫の成長とわたしの老化がまるで双曲線のように感じるのもある感慨を覚える。

 私は「子放し」を標榜する特殊な共同体にいたので、1980年そこで末娘は生まれたが、安直にそれ担当の人に任せきりで、子育てには全くといっていいほど関わっていない。

 孫の育ちを見ていると、出産後の赤ん坊を育てていくのは、想像を絶するほどの手間暇がかかる。

 したがって、「子育ては大変だけど楽しかった」という豊かな体験、味わいも全くしていない。だからこそその反面、喜びと幸せも伴うのだろうとも思う。

わが家に来ると、妻が対応していることが多いが、少しは私も孫のお相手をする。

「じぃじ」という気楽な立場でもあり、いろいろな意味で疲れるが楽しい。

・子育ての苦あり楽あり麦を踏む

 

(19日)〇池谷裕二『パパは脳研究者』を読んで

 本書は、第一子である娘さんの誕生から4歳までの成長を脳研究者の立場から観察し、脳の発達と機能の原理から分析したことをまとめたもの。

 記述は1か月単位、近来の脳科学の知見と親バカ的なエピソードを交えながら娘の成長を記録している面白い著書である。本書も参考にしながら、私も孫の成長を記録している。

 本書の内容については、「はじめに」に要点が述べられていて、私の関心と重なることもあり、今回はそこから抜粋する。今後も随時参考にしていこうと思っている。

「はじめに――――私流の子育て」で次のように述べる。

〈毎日が驚きと感心の連続でした。赤ちゃんは生まれた瞬間から猛烈に発育し、一気に世界を駆け出します。すっかり成熟して時間の遅さに慣れきった大人の鈍脳は、まずもってその事実に面食らいます。〉

〈育児とは何でしょうか。脳にとって「成長」とは何を意味しているのでしょうか。発達中の脳はどう作動しているのでしょうか。世界観はどう芽生え、どう変化し、どう多様化していくのでしょうか。個性とは何でしょうか。

 こうした問いをとことん考えると、私たちの日常に、新しい立脚点が生まれ、世界の見え方が変わります。これこそが、育児と脳科学のコラボレーションの醍醐味。赤ちゃんの脳の成長を眺めることで、自分の脳の不思議さに気づくのです。ご飯を食べる、トイレに行く、笑顔を作る、会話をする、嫉妬する――――。普段、何気なくやっていることが、決して当たり前のことではなく、脳回路がもたらした奇跡なのだ、と――――。そんな観点から本書を読んでいただけましたら幸いです。〉

「赤ちゃんの脳の成長を眺めることで、自分の脳の不思議さに気づくのです」とあるように、高次脳機能や心がどのように成長してくるのかを知ることによって、自分の考え方や行動を新たな視点から捉えることもできると思っている。

・かかなべて吾子の成長ヒヤシンス

 

(20日)〇育児関連の書籍から孫の成長に引きつけてみるのも面白い。

 池谷裕二『パパは脳研究者』に次の記述がある。

〈脳科学の知識と、現実とは、もちろん合致しません。さらに、子どもは個性的です。一人一人が異なります。〉

〈もちろん、子育ては何が正しいかは実に難しい問題で、本当のところは、この教育方法で良いのかは、私自身にも確固たる保証があるわけではありません。ただ、私が25年間、脳研究を続けてきた経験から、娘にとってきっと良いだろうと信じる方法、つまり、強い干渉を避け、娘の思考力や論理力の発達をサポートするような方向で育てています。〉

 下條信輔「まなざしの誕生 赤ちゃん学革命」の中で、赤ちゃんを「好奇心のかたまり」「冒険家」「発見をする生き物」「応答する生き物」として見ることを提唱する。

 そして、赤ちゃんを精神的にひとりの人格として認めて付き合うことが大事だと言う。なぜなら、赤ちゃんは「『心をもつ者』として扱われることによって、またそのことだけによって、心は発生し成長する」と述べる。

 赤ちゃんはむろん、すべての人に対して『心をもつ者』としてみることは大切だと思う。

 ・山笑ふ愛され愛することを知り

 

(21日)〇眼科を受診する

 白内障の手術経過と軽い緑内障があり、定期的に受診している。いつも視力と眼圧の測定があり、半年ごとに視野検査がある。

 白内障手術後は、裸眼でびっくりするぐらいよく見えていたが、だんだんぼやけてきて、それでも日常生活を眼鏡なしで暮らしている。大体両目0.4~0.5ぐらいである。緑内障の目安としての眼圧検査は15くらいで、視野検査ともども安定していると主治医はいう。

 そんなにはっきりしているわけではないが、小学校の低学年からつけている眼鏡なしでいけるのはスッキリしている。眼鏡がなければ、一番軽度の視覚障害者であり、これまでの人生が全く違ったものであろうと思う。

 白内障手術も濁ったレンズを研究されたレンズに変えるだけであり、このような工業技術の発展により、障害者を助けることになるだろう。

・眼の力失せたる義母へ梅一輪

 

(22日)〇若い友人の「突発性難聴」で入院して1週間の記録から

〈超早期治療始めたのにもかかわらずあまり回復してないのが現状〉から始まり、持ち前の明かるさで語っているが、〈週末まで点滴(ステロイド全身投与)やって良くなければ鼓膜内直接投与に変えると言っていた。ステロイド全身投与は2週間がリミットみたいです。それ以降は無駄なんです〉と、たいへんな状態が伝わってくる。

〈聴力戻ればヨシだし戻らなくても左の聴力が異常に良いらしいので(検査員がこんな人は珍しいとw)仕事、日常、趣味には何の支障もないし(良い音では聞けないがw)前向きで行く事ですな(^-^)/〉と語るが、良くなっていくことを願うのみ。

 こういう場合、何か励ましの言葉を寄せたいと思い、「まずはじっくりつき合うしかないですが、あせらず治療してください。」とコメントを書いた。

 さまざまな方がその人なりのコメントを寄せていて、この記事全体に温かかさが流れていた。この辺りは友達宛のFacebookの良さだろう。

・山川異域風月同天涅槃西風 

 

◎日々彦「詩句ノート」・『江國滋闘病日記 おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』

〇江國滋は1997年2月6日に食道癌と告知され、その時点から闘病俳句を作り続けようと決意する。8月10日に亡くなるまで五百句ほどつくるのだが、周囲の温かい愛情に励まされつつ、死の淵をのぞきながら、俳句を詠み書き続けることは大きな心の支えになった。「おい癌め」は8月8日午前2時に「慶弔俳句目録」用の原稿紙の裏側に書きつけた辞世の句である。 

  • 江國滋 1934年8月14日、東京生れ。慶応大卒業後、新潮社に入社、「週間新潮」編集部員として勤務。1966年に退社後、文筆業に転じ、随筆家・俳人として活躍する。

  江國の文章は人々に対する温かい眼差しと、ユーモア精神が溢れている。江國の『俳句とあそぶ法』の一章に「もっけの病気―病中吟」に、「もっけの幸いという言葉があるが、もっけの病気、というふうに考えることにしたら、それこそ好機逸すべからず」とある。この闘病俳句とともに闘病日記を記録しているが、とても厳しい状況のなかでユーモアをまじえて自分をみつめている姿は、共感させるものがあり今回取り上げてみた。

 

 2月6日に癌告知され10日の国立がんセンターの第1回検診でタバコを禁止される。

・ 残寒やこの俺がこの俺が癌

・ 豆撒いてより三日後にわれは癌

・ 今生で最後の一服冬日向

 様々な検査が続き2月21日に入院することになる。なにやかやと頭を下げっぱなし。

・ 三寒の月々火水木検査

・ カーディガン、ナースはみんなやさしくて

・ 永き日や卑屈と深謝紙一重

 

 家族、知人も集まり、手術へのインフォームドコンセントがあり、病院生活となる。

・ 全員集合全員帰宅寒戻る

・ 束の間の平穏春愁きはまりぬ

・ 春ともし遺書を書かうか書くまいか

 手術に向けて低残渣食となり、手術中のわが身を想像したりする。

・ 娑婆のめし恋しや娑婆のはるかぜも

・ 三枚におろされてゐるさむさかな

・ いざ出陣妻子のぬくきたなごころ

 

 3月4日の手術は終り、翌5日からICUのベッドに仰向けになりながら俳句を詠む。

・ 癌に抗し生きて手術を終えて春

・ 春の闇阿鼻叫喚の記憶あり

・ 春眠を妨ぐ痛みの定期便

 手術後、様子を窺いながらの病院生活が続く。

・ 咳一瞬、痰の王者がとびだしぬ

・ 寒戻り“頻尿日和”となづけんか

・ 毎日が「以下同文」よ三月尽

 

(江國Ⅱ)四月に入ってから、欝状態に見舞われる。なにもかもいやになる状態となる。

・ 死神にあかんべえして四月馬鹿

・ 張り合ひもめりはりもなき日の永き

・ 涅槃西風(ねはんにし)「いい人だった」といはれても

 再手術となり、また病院の会計から3月分の医療費明細書が届く。

・ 春惜しみつつ手術場へするすると

・ 余寒の夜考えてゐる銭のこと

・ そのあした窓をあければ春の風

 大手術後の経過をみながらの入院生活。退院後の挨拶状もいつのまにか考えていた

・ 万緑も人の情も身に染みて

・ 新しき食道にまづビールかな

・ ゆっくりとしかしたしかな芽吹かな

 

 医療費明細書が届き、金が湯水のように出て行く。不慣れなナースにもイライラする。

・ くちなしやわがヒステリー許されよ

・ 激痛は激痛として五月晴

・ ここへ来て一寸先は夏の闇

 右上腕部、肩の痛みが激しくなる。転移が起り最悪の事態にも正対することになる。

・ 一難は去つて百難梅雨間近か

・ あぢさゐやわが病巣も七変化

・ 目にぐさり「転移」の二字や夏さむし

 

 転移に対しての放射線治療をおこない、モルヒネも使い始めることになる。

・ 又の名を「痛み前線」走り梅雨

・ 放射線に最後の願ひ託す夏

・ けふからは“モルヒネ患者“寝苦しき

 外泊をし「やなぎ句会」に参加、7月19日には退院するが病状が悪化し帰らぬ人となる。

・ 手術馴れして眠剤を冷酒で

・ 四万六千日いのちかみしめ外泊す

・ まだ生きてゐたかとつぶやき朝涼し

 

 江國滋はライフワークとして『慶弔俳句目録』を連載していた。これは、毎月、慶事凶事に関わった有名無名の人々について、その出来事の中味を簡潔に紹介しつつ、お祝いや励まし、お見舞いやお悔やみの俳句を贈る内容のものであり、自らにも死亡記事と追悼句を書いておいた。下記に掲げる。

 

 江國滋氏:おれ。随筆家。1997年8月10日、食道癌のため死去。62歳。著書『落語美学』『スペイン絵日記』『日本語八つ当り』『俳句とあそぶ法』ほか多数。本誌創刊以来の連載『慶弔俳句目録』は単行本全三冊で、ここに終りを告げた。こよなく酒を愛し、俳号を「滋酔郎」と名乗っていた。

・ 墓洗う代わり酒をそそげかし

◎考え方をはっきりさせる「四季折々」2020年2月9日~2月15日)

〇病とともに「四季折々」2020年2月9日~2月15日

(9日) 〇今日、高次脳機能障がい支援の『アイズ』の口笛カフェに参加する。 

  当日は、昨日のびわ湖大津プリンスホテルで開催された「障害者の文化芸術フェスティバル」での『白井いさおと愉快な仲間たち』の報告から始まった。

 その後、一人ひとり口笛演奏を披露した。皆さんの巧みな口笛を聴き惚れながら、私も遠慮気兼ねがなく「赤とんぼ」「上を向いて歩こう」を吹いてみた。むろん演奏といえるものでは全くなく、ほとんどかすれたような音しか出なかった。居宅で練習しているときは、もっと音が出ていたのだけどなと思いながら吹いていた。

 しかし、練習では音がハッキリ出るときもあるし、そのときは手応えも感じるが、どちらかというと不安定である。先ずは安定して持続的にきちんと音を出すことが必要だなと思った。

 こんな状態でも、和気あいあいの気風の中で、あとくされを全く感じずにいられるのは、皆さん気さくな方ばかりというのもあるが、この活動の成り立ちにあるような気がする。

  自由に口笛を楽しむ会「口笛カフェ」は、白井いさおさんの口笛CD作成から始まった「プロジェクトs」の「口笛で紡ぐ糸〜今を生きる〜プロジェクトs」の活動の一環として始まったと聞いている。

 『アイズ』の大きな特質として「障がい者と健常者が一つにつながるプロジェクト」活動に重点をおいていることがある。

 往々にしてこのような支援団体は、その病状に関係した人、関心のある人で構成されることが多い。

  だが、難病を抱えていようが、それぞれは病気を生きているわけではなく、一人ひとりのたった一度きりの人生を生きている。

 また、「病」というのは特殊であろうと、誰にでもなる可能性があり、高次脳機能障害もしかり。

〈障がい者〉と〈健常者〉の垣根をなくす理念は「口笛カフェ」によく現れていると思う。

・あたたかや口笛カフェで紡ぐ糸

 

(10日)〇「口笛カフェ」の「くちぶえ教室」に参加して。

 自由に口笛を楽しむ会「口笛カフェ」が三月から「くちぶえ教室」を始めるとのことで、私たち夫婦含めて3人、いち早くレッスンを受けた。

 音を出す前にいくつか基本となる要点があり、正しい姿勢、腹式呼吸、口輪筋(口の廻りの筋肉・唇)に力を入れること。その上で舌、唇、息を微調整しながら口笛を吹く。

  腹式呼吸、口輪筋を鍛えることは、構音障害、嚥下障害などのリハビリに限らず、人が健康を維持するうえで大きな要因といわれている。

 近来、趙高齢社会になるとともに介護が必要な高齢者が増加し「口腔ケア」の大切がいわれ、今では保健・医療・福祉の分野に広く浸透している。高齢者などが嚥下障害から肺炎になることを防ぐのは「ケア」の重点項目になっている。

  口腔ケアには口腔の「清掃を中心とするケア」と「機能訓練を中心とするケア」がある。要介護高齢者の口腔ケアでは、誤嚥性肺炎や口腔内の乾燥を予防すること、さらには老化や障害による口腔機能の低下を予防・改善することが主眼となる。

 「咀嚼する」「飲み込む」「鼻で正しく呼吸する」「滑舌よく話す」には、口をしっかり閉じることができる力(口唇閉鎖力)が必要で、口輪筋を鍛えておくことが大切。筋肉は使わないと衰えるので衰えさせないことが重要。口笛は楽しみながら自然に口輪筋の強化トレーニングができるとされている。

  レクチャーを受けて、わたしは腹式呼吸になっていないのと、口輪筋の劣化していることがよく分かる。なんでもそうだが、下手な鉄砲も数打てば当たる式では、いつまでも上手くならない。

  ものごとにはポイントがあり、特に口腔内の容積を微調整しながら工夫を重ねる口笛演奏には大事である。

 すぐれた講師による親身になっての指導はわかりやすく、ある程度上手な妻も大層喜んでいる。

  居宅に帰り、練習方法やどのようなところに気を置くか、また欠陥などもよく分かり、一緒に楽しんでいる音楽の素養が豊かな妻のアドバイスもありがたい。徐々にそれなりの音も持続して出るようになりつつある。

  自分の口を楽器として使う面白さとともに、72歳の手習い、リハビリ目的としても口笛は有意義だと思っている。

・口笛の口輪筋の春の風

 

(11日)〇『ためしてガッテン「血圧・虫刺され・リハビリ 医療を変えたスゴイ人SP」』』の再放送があった。(※2019年5月22日放送)

 内容は〈一生車いすと思われた多くの脳卒中患者を、次々と歩かせることに成功している理学療法士の吉尾雅春・リハビリの世界に革命!千里リハビリテーション病院の副院長。麻痺側ではなく、麻痺していない方のトレーニングをまずはしっかりやることで脳の機能を回復させよう…と言うものです。いままでのトレーニングでは「麻痺側をトレーニングすることに重点を置いていましたが、吉尾雅春先生の方法は、最初に麻痺していない方を重点的にトレーニングします。そうすることで、脳はダメージを受けた場所の代わりをし始めやがて麻痺した側も動くようになるというのです。従来理学療法士は脳画像を活用することはありませんでしたが、吉尾先生は積極的に患者さんの脳画像を見てその人の特性を見極めつつリハビリをすれば、成功の確率はより高まるのです。来年からは理学療法士の教科書に脳画像の理論も加わりました。〉というもの。

 これは「できないこと」は置いておいて、「今、できること」をより伸ばすことが、子どもたちの育ちには大事だと言われているが、人の心のもち方にも繋がる考え方だと思う。

・春うらら今できることをより伸ばす

 

(12日)〇野村克也氏が11日、虚血性心不全のため、84歳で亡くなった。

 小学生の頃(1950~1960年)、父に連れられて試合をみに後楽園、駒沢、神宮などによく行っていた。父は今のロッテの前身である毎日オリオンズを贔屓にしていて、その流れでオリオンズファンになり、その頃のミサイル打線の主砲山内和弘がとりわけ好きであった。周りは巨人ファンが多い中、パリーグの試合をよく見、野村氏は選手としても、後に監督になってからも関心を寄せてきた。

 その語録は実際の体験に裏打ちされていて参考になることが多々あり、ここに今の自分に引きつけて三つ記録しておく。

・〈「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」(江戸時代の剣術の達人肥前平戸藩主・、松浦静山の剣術書「剣談」から引用)〉

 どんなことでも良くできたときは、ある程度偶然が作用するが、失敗だな変だなと見えるときは、何らかの要因がある。〈・失敗の根拠さえ、はっきりしていればいい。それは次につながるから。〉

・〈全盛期を過ぎ、落差に耐えつつ、必死にやる、なんてことを惨めと感じる人はいるでしょう。ところが、僕はそうは思わないんですよ。なりふり構わず、自分の可能性を最後の最後まで追求する。そのほうが美しいという、これは僕の美意識です。〉

「なりふり構わず、自分の可能性を最後の最後まで追求する」との言葉は、老いの生き方として、そうありたいと思っている。

 ・〈「考え方が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。運命が変われば人生が変わる」(監督時代に好んで使った言葉)〉

 考え方をはっきりさせることが、ものごとの先決だと思う。

・冴え返る負けに不思議の負けのなし

 

(13日)〇『ガッテン!「寝たきり予防の最新メソッド“小脳力”トレーニングSP」から

 小脳は、脳の奥深くに位置し、手足のバランスや体の平衡感覚をつかさどっています。小脳が活発に働いていれば、つまずいて体のバランスが崩れても、小脳の働きによって姿勢を立て直すことができます。一方、小脳が活発に働いてくれないと、つまずいたあと、姿勢を立て直すことができず、転んでしまいます。つまり、転んでしまうかどうかは、その人の小脳が活発に活動しているかどうかに大きく関係しているのです。

 転倒予防のための"小脳トレーニング: 小脳トレーニング①

  • 両腕をまっすぐ前に伸ばし、両手の親指を立てる。
  • 顔は動かさず、目だけを動かして左右の親指を交互に見る。これを10往復行う。

  ポイント! できるだけ速く目を動かす

 小脳トレーニング②

  • 親指を立てた状態で片手を前に伸ばし、もう片方の手であごを固定する。
  • 伸ばしたほうの手をゆっくり左右に動かし、親指の先を目で追う。これを10往復行う。

 このトレーニングは、朝・昼・晩1日3回行うと効果的です。2つのトレーニングを1セットとして、1日につき3セット行いましょう。

・永き日の転倒予防のトレーニング

 

(14日)〇風評被害など情報リテラシーについて

 新型コロナウイルスにより、チャーター機の第1便で中国・武漢から帰国し、千葉・勝浦市のホテルで滞在していた人が、2週間ぶりに帰れることになり、その人たちが心境を語った。

・男性(50代)「心というのが、与えられる情報によって、ものすごく揺れ動くということを実感した2週間でした」、「自分が発生源にならない、隔離された状態で証明されるまでいるというところは、これはもう覚悟しなければならないと感じていました」

・男性(50代)「(チャーター機に)一緒に乗ってきた方が、陽性反応が出ましたということを聞くと、やはり自分もその可能性ありますという気持ちになりますし。自分の家族にうつす、それが一番嫌でした。『わたし大丈夫よね』っていうふうに、皆さん本当に見ていただけるのか、不安感というのは、やはりちょっと残っているのが、わたしの今の気持ちです」

 情報によって、思い方・心が揺れ動くのは、風評やいい加減な情報などに惑わされることもよく起る。組織による宣伝や誇大広告にだまされることもある。

 情報過多の現代社会において情報リテラシーは大きな課題だと思う。

 スポーツジムの帰り、バレンタインのチョコをいただく。与える方も嬉しそう。

 ・バレンタインチョコいただき心揺れ

 

(15日)〇鶴見俊輔「言葉のお守り的使用法について」から

 鶴見俊輔は自らも含めて立ち上げた雑誌『思想の科学』の活動目的は、「第一に敗戦の意味をよく考え、そこから今後も教えを受け取る」こととし、「大衆は何故、太平洋戦争へと突き進んでいったのか?」を問い始める。その理由の一つとして、「言葉による扇動である」と考え、最初の論文として、『思想の科学』1946年5月号(創刊号)に発表した論考「言葉のお守り的使用法について」を発表する。

 鶴見は、私たちが使う言葉を主張的な言葉と表現的な言葉とに大きく二つに分ける。

・主張的な言葉:実験や論理によって真偽を検証できるような内容を述べる場合。「1に1をたすと2なる」「平成は30年続いた」など真偽を検証できる主張。

・表現的な言葉:言葉を使う人のある状態の結果として述べられ、呼びかけられる相手になんらかの影響を及ぼすような役目を果たす場合。「あなたが好きだ・嫌いだ」「何かおいしいもの食べたいな」など感情や要望の表現。

 この二つの言葉の分類をもとにしながら、戦時中の「米英は鬼畜だ」の言葉のように、実質的には表現的(感情や要望の表現)であるのに、かたちだけは主張的(真偽を検証できる)かのように見えるケースがあり、このような言葉を「ニセ主張的命題」と呼んでいる。

「ニセ主張的命題」の言葉は、その意味内容がはっきりしないままに使われることが多いのだと、鶴見は注意を向ける。

「米英は鬼畜だ」の命題を例にとると、論理や実験では確かめることのできる主張ではなく米英をにくみきらう心理状態と、その心理状態をかもしだす社会動向を表現することにある。それは太平洋戦争の中で、多くの人々によって「1に1をたすと2なる」という主張的命題とおなじ性格のものとしてあつかわれていた。つまり「ニセ主張的命題」として自覚していなかった。

 戦時中は、「鬼畜米英」「八紘一宇(注:「道義的に天下を一つの家のようにする」の意)」「国体(注:「天皇を中心にした政体」の意)」などが「ニセ主張的命題」として使われ、政府はこの言葉を巧みに使って政策を正当化し、戦争の実相を伝えなかった。更に、「大量のキャッチフレーズが国民に向かって繰り出され、こうして戦争に対する「熱狂的献身」と米英に対する「熱狂的憎悪」とが醸し出され、異常な行動形態に国民を導くことになる。

・自由というお守り言葉涅槃西風 

◎2019年度の優秀作品から。NHK俳句大会、短歌大会など

〇2019年度は年号が平成から令和に代わる。詩句の世界も、一般の愛好家により詠まれた作品も世相を反映しつつ、なおかつ不易流行の要素もある。

 2月8日に短歌大会、15日の俳句大会の様子が放映された。

 選ばれた方のその句にまつわる話や選者の選んだ要点を聞き、字面だけでは浮かばない想像力をかきたてられ、その作品の良さが伝わってくるのが面白く楽しかった。

  ここには、多くの愛好家が集まるNHK俳句大会、短歌大会と読売句壇から記録した。

 

〇2020年1月26日(日)NHKホールにて「NHK全国俳句大会」が開催された。

<投句数> 一般の部:41,107句、ジュニアの部:36,667句 龍太賞:518組

▼第21回 NHK全国俳句大会受賞作品から

 選者①兼題「大」、②自由句特選1位、➂自由句特選2位の順。

 備考欄は私の評価など。〇特に良いと思った句、△印象に残った句。

  第21回 NHK全国俳句大会受賞作品    備考欄
西村和子選 大寒の海ごつごつとオホーツク 神奈川 石関武之  
  人呑みし川とは見えず櫨紅葉 広島 若本鴻遊
  壺一つ置きて涼しき出窓かな 川匂幸子  
髙柳克弘選 がつんと夏ナウマンゾウのいた大地 東京 朝野治美  
  滝落つる大地途切れし驚きに 岡山 池田純子
  人類の化石は未完天の川 龍太一  
宇多喜代子選 山一つ大きくしたり山桜 神奈川 小林政道
  なで肩の鬼も交じり追儺式 兵庫 渡辺啓充  
  濡れ縁をはみ出す家族夏夕べ 佐々木和子  
片山由美子選 夏至の夜や一粒大きアンタレス 福岡 小林浩代
  淡き日を拾ひ拾ひて秋の蝶 東京 種田瀬音 大会大賞〇
  日に幾度出ては戻りて捕虫網 矢吹あさゑ  
坊城俊樹選 捨案山子川を流れて大海へ 千葉 森美樹  
  北窓を塞ぐ自画像立てかけて 福岡 山口あや子  
  ふらここを手懐けし夜のハイヒール 有本仁政  
正木ゆう子選 三回で大なわとびの音になる 長野 遠音 大会大賞〇
  あの茂みに届いたらホームランな 福岡 あいだほ  
  母猿も子猿も峰を見てをりぬ 菅野公子
井上弘美選 明日は伐る大木の影今日の月 長崎 田原より子
  小鳥来るプラテノドンも飛びし空 東京 乗松明美  
  シュレッダーの砕きゆく名や冬木立 江野古乃子  
小島健選 鬼やらい父となる子の大き声 神奈川 菅原輝子  
  全鱗の恍惚として蛇泳ぐ 東京 此花悠  
  灯ともして留守の寒さ払ひけり 石川宣子  
夏井いつき選 終点のバスより大蛾掃き出しぬ 東京 嶋田恵一  
  コンビニは光る水槽夜の秋 神奈川 青木喜代江
  母猿も子猿も峰を見てをりぬ 菅野公子  
高野ムツオ選 天体は大きな棺渡り鳥 栃木 龍太一
  雀には雀の丈の秋の空 大阪 柿谷有史 大会大賞◎
  空よりも海よりも露草の青 浅香佳子  
宮坂静生選 被災地に大きなポスト草の花 栃木 森加名恵  
  降る雪はわが故郷の宝物 新潟 板垣柳子  
  父乗せて母が櫓をこぐ銀河かな 氏家亨  
三村純也選 大粒の音に始まる夕立かな 大分 阿部恭子  
  遠く見て母語りだす端居かな 富山 野崎郁雄  
  虚子忌なき季寄の紙魚を払ひけり 坂井愛子  
神野紗希選 火星大接近山蛾畳這ふ 栃木 龍太一  
  タイムスリップするなら未来星流る 福岡 古賀睦子  
  糸瓜忌やはるかを薄き土星の環 楢崎美和子  
ブラジル  豚小屋に南瓜汚れの斧一つ 村上士郎 海外秀作〇
ブラジル  倒木を渡りて蟻の道続く 百合由美子  海外佳作
ドイツ  板チョコの正しく割れて冬に入る 露 砂 海外佳作

 

▼「大会大賞」選評から

・三回で大なわとびの音になる 長野県 遠音(46)

(正木ゆう子選評)二人で回す大縄跳びは、縄が長いので、最初のうちは縄が緩んでしまう。それが三回目にピシッピシッと地面を打ち始めたというのだ。そんな場面は確かに子供の頃に何度でもあった。見過ごしてしまうような瞬間を捉えて、読み手を子供時代にタイムスリップさせるリアルな句だ。

 

・淡き日を拾ひ拾ひて秋の蝶 東京都 種田瀬音(73)

(片山由美子選評)単に蝶といえば春のことであり、夏蝶は揚羽など大型のもの、秋の蝶は、盛りを過ぎてまだ残っているものをいう。春や夏のいきいきと飛ぶ蝶とは違い、やや頼りなげである。「淡き日を拾ひ拾ひて」は、地面に近いところを飛んでいることを思わせ、いかにも秋の蝶らしい。

 

・雀には雀の丈の秋の空 大阪府 柿谷有史(41)

(高野ムツオ選評)「雀の丈」と表現されて、生き物にはみなそれぞれの背丈に応じた空があると気づかされた。麒麟には麒麟の、蟻には蟻の空がある。寝ころんで仰ぐ青空と坂道を上りながら見つめる青空もまた異なる。澄んだ秋空の下、雀は雀の世界を生きている。 

 

「ジュニアの部大会大賞―中学生の部」

・夏祭りあふれる人と動かぬ木 東京都 中2 住谷拓明

・光よりダダダと落ちる男滝かな 東京都 中3 村上蒼梧

・偏差値よ線香花火の火の玉よ 埼玉県 中3 山田広基


▼「飯田龍太賞」 神奈川 伊藤節子15句 

・思ひ出は母の手料理雛まつり ・看取る手をしばらくやすめ蝶の昼

・誘ふとも誘ひ合ふとも蛍とぶ ・ハワイアン音楽で梅雨払ひけり

・打水のたちまち乾く昨日今日 ・合づちを打ちつつ送る団扇風

・身の丈に合ひたる暮し涼しけれ ・万緑にひれふすごとし寺の屋根

・夏終る岸辺にゆれる遊び舟 ・朝顔の数の減りゆく日々となり

・コスモスの咲くとこ風の通るみち ・はやばやとビルの灯ともる秋の雨

・心して夫の代りの賀状書く ・十二月たちまち埋まる予定表

・室咲や佳き人よりのよき便り

「受賞のことば」

 五十歳を過ぎてから始めた俳句が、いつの間にか 三十五年余も経ちました。現在は九十五歳の夫を看 取りながら、作句を続けております。私自身の自由 な時間は大分制約されておりますから、外出もまま にならず、今回の十五句は、日々の生活の中での句 が殆どです。 このたびの思いがけない受賞に戸惑い、驚きつつ、 俳句を続けてきた喜びで一杯です。選者の先生方に 心から深く感謝申し上げます。

「選にあたって」

・稲畑汀子:第六回龍大賞は「雛まつり」に決まった。雛祭 と言っても、雛の句は第一句目だけである。何故 「雛まつり」という題にしたのかと考えると、雛 まつりの句に取り上げられた母上のことが、全体 に流れるように込められているのを感じたからで ある。ご病気の母上を看病しているのだろうか、 と思うのが六句目である。俳句は短い詩である。 全部を言い切らないで、読者の想像に委ねる俳句 が散見出来るこの作品群が龍太賞に該当したのだ と思う。

・宇多喜代子:おだやかで、ささやかな作者の身辺が平明なこ とばでさらりと表現されており、すらすらと読む ことができた「看取る手を」「心して」など、深 く読めば深刻にもなるが、読者に負担をかけない 句、そんなよさがあった。「万緑に」のおおきな 構えもいい。

・大串章:自らの人生を諾い、日々を大事に過ごす作者。 その暮しぶりが四季を通じて見て取れる。〈身の 丈に合ひたる暮し涼しけれ〉には謙虚な人柄も窺 える。私の好きな句を一季一句と限ってあげると 〈思ひ出は母の手料理雛まつり〉〈ハワイアン音楽 で梅雨払ひけり〉〈朝顔の数の減りゆく日々とな り〉〈十二月たちまち埋まる予定表〉となる。

・鷹羽狩行:〈朝顔の数の減りゆく日々となり〉の秋の深まっ てゆく季節感、〈ハワイアン音楽で梅雨払ひけり〉 の梅雨の鬱陶しさ一掃の壮快感を生かした佳句が あった。また〈思ひ出は母の手料理雛まつり〉の ように、長寿時代によって回想句がふえたように も思う。二句を推敲中には身も心も若き日の甦っ ていたことであろう。

 

▲「読売新聞2019年年間賞」から

・俳句① 矢島渚男選:身を寄せて生きた歳月星祭 香取市 諏訪好道

【評】俳句は世界最短の詩だが、長い年月も、ときには宇宙の時間さえも詠うことが出来ることに誇りを持っている。この句は夫婦の歳月を詠って愛がこもる。

皆さんの句を選んでいて、ときどきハッとする句に出会って、さまざまに教えられ励まされる。この素朴で美しい句もそうした句の一つであった。

・俳句② 宇多喜代子選:天高し地球が浮かんでゐる日和 盛橋市 茂野昭美

【評】秋のいい天気に恵まれた平穏な日。今、自分が生きてここにこうしている地球が天体の一惑星として宙に浮かんでいることが不思議に思われてくる。地球が浮かんでいるということは、自分も同じように浮かんでいるということ。その浮遊感と秋の澄みきった秋天、申し分のない秋日和のひとときの気持ちの軽さから生まれた好句です。

・俳句③ 正木ゆう子選:白鯉や撒き餌に悠然と遅れ 東京都 望月清彦

【評】餌に群がる鯉の後ろから、悠然と近づいて来る大きな白鯉。「遅れ」るのは、他より劣っているからと見なされる世の中だが、それこそが大物の証とこの句は言っている。「悠然と遅れ」が、中七から下五へかけて句跨がりになっているために、独特の抑揚が生まれた。その伸びやかさが、鯉のゆったりとした動きさながらである。

・俳句④ 小澤實選:秋うらら社食にハラールのメニュー 我孫子市 土井探花

【評】 ハラールはイスラム教徒が口にできる食事。食に配慮することで、この会社は世界の人に開かれた場になっている。「秋うらら」の季語を得て、作者がそれを肯定しているのもわかる。「うらら」と「ハラール」とが音として響き合っているのも楽しい。評価すると模倣作が生れてくるものだが、一切無かった。徹底的に新しいのだ。

 

〇2020年1月25日(土)NHKホールにて「NHK全国短歌大会」が開催された。

<投稿数> 一般の部:18,867首、ジュニアの部:14,145首 近藤芳美賞:361組

▼第21回 NHK全国短歌大会受賞作品から

選者①兼題「大」、②自由歌特選1位、➂自由歌特選2位の順。

備考欄は私の評価など。△印象に残った歌。

  第21回 NHK全国短歌大会受賞作品から    
俵万智選 農大生の友と歩けば土手に咲く花は次々名をもらひたり 東京 吉田久枝 大賞
  スイッチでやさしい風にできるけどやさしい気持ちのスイッチは無い 徳島 坂東典子  
  母われにたったひとつの贈りものレブロンの口紅柩へかえす 千葉 山﨑蓉子  
永田和宏選 目を見つめ大丈夫?って聞かないでだいじょうぶって答えてしまう 福井 藤田久子  
  ジーンズの右のお尻のスマホから君の知らせは振動でくる 茨城 森純一  
  この人にお茶を淹れたいこれからも冬のオフィスで決めた若き日 東京 平子薗子  
穂村弘選 好きよりも大好きの方が逃げ道を残せるかしら終電が来る 千葉 万仲智子  
  すきまという言葉おぼえしおさな子はすきますきまと指さし歩く 東京 山口妙子
  花の名はこの花の名はと母に聞くこの一瞬が終はらぬやうに 愛媛 和泉幹子  
坂井修一選 シリウスはナイル氾濫の時知らす大地を祭れ種播く時ぞ 福島 須木ひろ子  
  水晶のやうな一日は暮れゆきて老人ホームに〈イマジン〉流る 埼玉 荻原信子  
  運転の免許返納翌朝に歩道で出会うバッタと若葉 広島 小田浩巳  
大島史洋選 耳遠くなりたる妻に大声で言えばそんなにおこるなと言う 大分 芦刈成雄
  雨の日は紙の匂ひが深まれり湖底のやうな小さき古書店 新潟 滝沢三枝子 大賞
  足を病むわれには出来ぬフラダンス 真似てみるなりせめて手振りを 静岡 半田貞子  
大辻隆弘選 苦戦中の大坂なおみベンチにてバナナの筋をゆっくり除りいつ 三重 鈴木圭子  
  すきまという言葉おぼえしおさな子はすきますきまと指さし歩く 東京 山口妙子
  スーパーの鮭の切身はノルウェー産 まだ見ぬ白夜想ひ手に取る 長崎 小泉浪士  
斉藤斎藤選 末っ子の最後の学費を納め終え駅前通りを大きく歩く 大阪 東大路エリカ  
  もう何も出来なくなつたと言ふ母を二度笑はせてわたしも笑ふ 三重 加藤京子  
  蒔く気にはならぬキウイの小さき種自分をもっと面白がろう 神奈川 羽嶋聡子  
佐伯裕子選 大学の七万余冊の図書の段仰ぎつつゆく知のアルプスを 秋田 田口順子  
  峡の村たったふたりのためだけに若きパン屋は週いちど来る 青森 加賀谷富美子  
  エプロンの裾が僅かに触れただけバジルは本気か一面香る 群馬 鈴木美幸  
佐佐木頼綱選 大楠をひたすら登るカタツムリきみよ世界はこんなに広い 岡山 平尾三枝子  
  鳥になる準備を始めた父の眼は空を見ており時を映さず 愛媛 丸山香苗  
  枯れ果てた向日葵のみた夢だけを集めひかりの花束とする 京都 喜多瑛優  
伊藤一彦選  漁師との対決終へて静かなり大間の鮪は解体を待つ 埼玉 望月敬子
  大通り曲ればことんと静かなり能楽堂の矢印が見ゆ 東京 岡本和子  
  ホルダーの書類に父母の写真添え避難準備の完了とする 北海道 仁尾泰子  
小池光選 大いなるリトルボーイを落とした手は家に帰って何を抱いたか 神奈川 新井場公徳
  ちちのみの父のちからの名残なる砥石のくぼみに指をふれたり 東京 大山園枝 大賞
  河原にてチューバ練習する男の子 チューバに空と雲を映して 大阪 瀬川幸子  
三枝昻之選 サバ缶を大根おろしにポンと入れさあ疾く食べよ仕事日和だ 群馬 大塚とみこ  
  新しい色鉛筆に君の名を書いてゆく春どの色も君 埼玉 古田里麗  
  雨の日は紙の匂ひが深まれり湖底のやうな小さき古書店 新潟 滝沢三枝子 大賞
江戸雪選 大通り曲ればことんと静かなり能楽堂の矢印が見ゆ 東京 岡本和子  
  ちちのみの父のちからの名残なる砥石のくぼみに指をふれたり 東京 大山園枝 大賞
  冬の雨上がりて朝の教会のステンド グラスの白百合眩し 岩手 髙橋貴子  
小島ゆかり選 六月の日暮れの街は蜥蜴いろ名前を知らぬ知り合ひにあふ 埼玉 荻原信子  
  残業の帰りにいつも会う猫がたいへんじゃないだねと蟬をくれたり 愛媛 梅原秀敏  
海外秀作 大戦で父を取られた母の傷おおうガーゼをコストコで買う コーヘン恵美子米)  
海外秀作 ハワイより父の介護に帰省する機内にペットボトルひしゃげる 鵜川登旨(米)  

 

◎一生懸命に今を生きる(「四季折々」2020年2月2日~2月8日)

〇病とともに「四季折々」2020年2月2日~2月8日)

(2日)〇新型コロナウイルスについての報道から

 中国で新型コロナウイルスに感染し、死亡した人は高齢者に集中しているという。

 朝日新聞の記事(2月2日)によると、〈1月30日までに亡くなった213人のうち、地方政府の発表や報道で、年齢や性別などがわかる54人分の個人データを朝日新聞が集計した。平均年齢は70歳で、65歳以上が約8割を占めた。専門家は抵抗力の弱い高齢者に対する周囲のケアが必要だと指摘する。〉

 感染に関しては、発病するか否かは、宿主側との力のバランスによって決まる。ウイルスに限らないが、免疫力の低下した高齢者、病弱者などは病状が悪化する可能性が高い。

 国家衛生健康委員会の専門家は新型コロナウイルスで「重症化し、亡くなる感染者の多くは持病を抱える高齢者」と分析している。

 なお、『YomiDr」Dr.イワケンの「感染症のリアル」の岩田健太郎氏『中国で発生 謎の新型コロナウイルス肺炎とは』(1月10日)『何が「分かって」いて、何が「分かってない」記事の次の言葉にそうだなと思った。

〈分からないことが分かっていることより、どのくらい多いのかと言うと、それすらもよく分からないのですが、大事なことは分かっていることと分からないことの区別ができること。何が分かっていて、何が分かっていないかということが理解できること。〉

 ・着眼大局着手小局鬼は外

 

(3日)〇孫の成長記録(1歳3ヶ月)。一生懸命に今を生きる

 孫が生まれてから1年3か月になる。歩くことをはじめ、さまざまなことに活発になってきた。その成長を見ていると、ひとりの人が生きていくことに、いろいろな思いが湧いてくる。

 1歳を過ぎたころから、伝え歩きがはじまり、今はほとんど歩き回っている。まだまだ危なっかしいところがあるが、日に日にしっかりしてきた。

 この辺は、赤ん坊が成長する上り坂と比例したように老人が下り坂を降りていくと言われるが、まさに私の足の状態と双曲線をなしているような気がする。

 また、転ぶときもあり、何かにぶつかると泣くときもあるが、「痛いの飛んでいけ」と言いながら頭をなでなですると、すぐに泣き止むことが多い。

 食欲が旺盛で、幼児用のスプーンやフォークも扱えるが、すぐに手づかまりになることが多い。物足りないと催促の声を上げるが、しばらくすると収まり、次のことに邁進していく。

 わが家には絵本以外は特別な玩具はなく、そこらへんにあるオムツ、スリッパなど、何でも遊び道具にしていくのは見ていて面白い。

 未来や過去のことをほとんど考えず、一生懸命に今を生きているようだ。

・三世代の一病息災福は内

 

(4日)〇孫の成長記録(1歳3ヶ月)、「適当」だからこそ、柔軟な脳。

 孫は大部前からこちらが言うことはおおよそ分かるようになってきて、「そこを閉めて」「赤いあれをとって」というと応えるようになってきた。

 また少しずつだが、言葉らしきものを出すようになる。「ママ」「マンマ」「ババ」などを言っているのだろうと思う。しきりに言い、こちらにもはっきり分かるのは「ワンワン」である。

 この辺りは犬を連れて散歩している人が多く、散歩に連れていくと、犬を見かけると指差しして「ワンワン」という。ところが猫を見ても「ワンワン」という。

 また、絵本に動物が出てくると、犬だろうが、猫、熊、ライオンだろうが、指差しして「ワンワン」という。おそらく動物全般を「わんわん」と言っているのだろう。

  池谷裕二は、『パパは脳研究者』の「適当」だからこそ、柔軟な脳の中で、チンパンジーとヒトの脳の使い方の例を挙げて次のことを述べる。

 〈言葉を獲得していくためには、曖昧さやいい加減さが重要。でないと「カテゴリー」という概念を理解することが出来ない。〉

 さらに脳育ちコラム「『適当』という人間のかしこさ」の中で次のことを述べる。

〈記憶は、正確すぎると実用性が低下します。いい加減で曖昧な記憶の方が役に立つのです。例えば、ある人物を覚えたいとき、「写真」のように記憶すると、ほかの角度から眺めたら別人となります。記憶には適度な「ゆるさ」がないと、他人すら認識できません。記憶は、単に正確なだけであっては役に立ちません。ゆっくりと曖昧に覚える必要があります。〉

・脳朧いい加減のもつ良い加減

 

(5日)〇友人N子さんの投稿から

 投稿の要旨は〈お母さん94歳の誕生日に、栃木県足尾町出身の母に、郷土料理の『しもつかれ』を作ってお祝いをしようと思ったが、一度も食べたことがないので、味の想像がつきません。何処かで食べさせてくれるお店をご存知の方はいませんか? 作り方のコツも、教えていただきたいです。一度私が食べれば、作れるかと。〉との内容です。

 これに対し、さまざまなコメントがあり、僕もネットで調べて、情報を提供しました。結局栃木お住いの方が送ることになり、N子さんも作るといっています。N子さんの手作りそのものが大きな贈り物のような気がします。

 N子さんもお母さんも送る人も知っている人ばかりで、友人同士のFacebookならではの心温まる交信記録でした。今後どのようになっていくのかも楽しみです。

・「しもつかれ」巡る交信春立つや

 

(6日)〇友人Iさんの投稿から

〈今日(2日)から16日まで入院することになりました。病名はALS。筋肉が衰えて行く病気です。何てことを書くと心配するかも知れませんが、今は左手に症状が出ているだけで、右手は健在❗ 元気なうちに絵をたくさん描きたいな~と、逆にやる気になっているところです。今日の夕食の一品。病院でも節分ですよ。嬉しいねーなんか豊かさを満喫してます。〉

 57歳のIさんがALSで入院と聞いて、以前ALSの人と関わったことを思い出していた。何かコメントをと思い、次のようなことを書いた。

「僕は病を得てから今まで何気なく出来ていたことができなくなることが増えました。

そのことを引きずることはあまりないです。いつまでも今やれることに心をおいていきたいと思っています。また、いろいろなことの見え方、捉え方が違ってくるのも面白いです。Iさんは絵の才能が豊かで、節分の絵も愉しいですね。絵もますます深さを増してくると思います。」

 要点は二つ。一つは、今の自分の状態を冷静に見つめ状況に対応する客観力が必要ではあるが、出来なくなることに捉われず、どのような状況になろうと、今やれることに心をおいていくこと。精一杯の力を注ぐこと。

 もう一つは、人生を「できる」ということからではなく、「できなくなる」というほうから見つめてみること。もっと違ういのちの光景が眼に入ってくるのではないだろうか。

・新しきいのちの出会い風光る 

 

(7日)〇退院後3ヶ月目の脊髄小脳変性症の診察を受けて

 寒波南下で今冬一番といわれている寒さの中(神戸2℃)、脊髄小脳変性症の診察を受ける。来る途中風がとても強く、揺らされながら病院にたどり着く。風花が舞っていた。

 この病院は地元でもかなり大きく、いつも大勢の人が寄っている。むろん老若男女さまざまだが、付き添いも高齢化している人も目立ち、現日本の高齢化社会の縮図のようだ。新型コロナウイルスの影響かマスクをしている人が多い。

 私も1週間前に風邪をひき、熱もなく2日でかなりおさまったが、まだ少し尾を引いていて、漸く手に入れたガーゼ用マスクをつけた。

 診察では、主治医の見立てでは、あまり変わっていないという。

 私自身は坂を下るときに、特にぎこちなくなるのは大部前からだが、だんだんちょっとした勾配でも、妻に支えられて歩くようになった。

 私の中では「下り坂」の歩行状態が病状の具合の目安になっている。徐々に劣化が進んでいるようだ。今後どうなっていくのか。

・治療受け春めくなかに風花す

 

(8日)〇俳句の魅力に取りつかれる

 57歳の友人IさんがALS(筋萎縮性側索硬化症)で2週間ほど入院するとの連絡があり、ビックリした。

 私は50歳を過ぎてから、病院併設型の筋ジストロフィー症やALS(筋萎縮性側索硬化症)など肢体不自由者・児が多くいるS市の養護学校(現・特別支援学校)で、支援ボランティアグループを立ち上げ、要請を受けて非常勤講師をし、病棟に出向いての訪問教育もしていた。かれこれ13年程前になる。学校や病院にはいろいろな方がいて、そのときのことを思い出していた。

 その学校の高等部に70歳を過ぎたKさんが入学していて、何かと私が担当になって共に動くことが多かった。Kさんは、とても知的好奇心が旺盛で勉強がしたくて病院から通っていた。俳句や俳画をたしなんでいて、学校の生徒たちと俳句クラブを作っていて、文化祭などに発表していた。生徒たちも短い詩の形で、感じたことなどを発信できることもあり楽しんでいたようだ。

 それらのことがきっかけになり私も俳句をつくりはじめる。そのはじめの頃に出会ったのが折笠美秋だ。それ以後、俳句の魅力に取りつかれるようになる。 

・春きざす俳句の魅力に取りつかれ 

◎日々彦「詩句ノート」・折笠美秋

〇 57歳の友人IさんがALS(筋萎縮性側索硬化症)で2週間ほど入院するとの連絡があり、ビックリし、家族や今後のことを気になり、いくつか思うことをメールで伝えた。

 私は50歳を過ぎてから、病院併設型の筋ジストロフィー症やALS(筋萎縮性側索硬化症)など肢体不自由者・児が多くいるS市の養護学校(現・特別支援学校)で、支援ボランティアグループを立ち上げ、要請を受けて非常勤講師をし、病棟に出向いての訪問教育もしていた。かれこれ13年程前になる。学校や病院にはいろいろな方がいて、そのときのことを思い出していた。

 その学校の高等部に70歳を過ぎたKさんが入学していて、何かと私が担当になって共に動くことが多かった。Kさんは、とても知的好奇心が旺盛で勉強がしたくて病院から通っていた。俳句や俳画をたしなんでいて、学校の生徒たちと俳句クラブを作っていて、文化祭などに発表していた。生徒たちも短い詩の形で、感じたことなどを発信できることもあり楽しんでいたようだ。

 それらのことがきっかけになり私も俳句をつくりはじめる。そのはじめの頃に出会ったのが折笠美秋だ。それ以後、俳句の魅力に取りつかれるようになる。

 

〇折笠美秋についての覚書
・ 微笑が妻の慟哭 雪しんしん  

 『君なら蝶に』(昭61)所収。作者は新聞記者だった時に筋萎縮性側索硬化症にかかり、全身の筋肉が不随になり、人工呼吸器で命を保つようになる。目と口は動かせるが声は出せない状態で病院生活を送り俳句を作り続けた。句は夫人が書きとった。

 折笠美秋(1934-99)横須賀市生れ、俳人。早大卒、新聞記者勤務時に筋萎縮症発病、闘病生活を送る。「俳句評論」創刊同人。句集『君なら蝶に』『虎嘯記』等。
※参照 大岡信『新 折々のうた1』岩波新書、1994年。

 病院で寝たきりになった彼を奥さんが看病していた。奥さんは、本当はつらいのに、つらさを全然示さずに、寝ている彼にいつも微笑を絶やさなかった。ご主人である折笠にとっては、実は妻は慟哭しているのだとわかるのだが、「ありがとう」とも言えなくなってしまっていた。そんな折、病室の外には雪が降り積もっている。この句は『君なら蝶に』という奥さんをたたえる題の句集に所収されています。この句集から

 

・ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう
・ 見えざれば霧の中では霧を見る
※参照 鶴見俊輔編『日本人のこころ』(対談大岡信)岩波書店、2001年

・ 紫陽花に百たびの雨百たびの色
・百合咲く頃逢いたる君よ今も百合の香
・山吹一重わが身ひらたくなりにけり

 

  二人が出会ったのは1959年5月、美秋が東京新聞の駆け出し記者で、智津子はハトバスに入社したてのガイドの卵で、山百合が美しかった頃である。美秋の一番好きな花は紫陽花。紫陽花を宇宙に見立てて妻とよく語り合ったそうである。晩年は、ほとんど動けない状態であったが花に託しての句はとても多い。

 

 ・腹いっぱいコスモス咲く夢枯らす夢
・夢ありや生きとし生けるものに雪
・八十八夜は雨歩けねば歩く夢

 

  芭蕉の「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」は生涯が旅のごとくものであり、何かを求め歩き続けている孤高の姿を感じさせる。美秋は寝たきりの生活の中で精力的に俳句を作っていったのだが、1999年に亡くなるまでどんどん夢が広がっていく生涯であったような気がする。「腹いっぱい」の句は『死出の衣は』の8月15日敗戦日の項の掲載句である。

 

・雪うさぎ溶ける生きねば生きねばならぬ
・菜の花どきは子に帰りたし 帰っている
・動けぬにあらず動かぬ千年杉

 

 美秋の句は、せいいっぱい生きていこうとする生命力と、時間と空間を飛翔していく想像力と、自分と身の回りの家族だけではなく社会に開かれていく視線を感じさせる。

 

・抱き起こされて妻のぬくもり蘭の紅
・君の手が我が手一文字書くことも
・君在りて我ある日々やまたの秋

 

  折笠美秋は1985年の現代俳句協会賞を受賞した。1982年5月に筋萎縮性側索硬化症と診断されてから3年後のことであった。「抱き起こされて」の句を妻の智津子が書きとった頃は、アキ(美秋)は日ごとに身動きが不自由となり“抱き起こさ”ねばならないことが多くなり、智津子が最も難儀な時期であった。この後、アキの身体の方はより厳しくなっていくのだが、智津子の方もゆったり大きく受け止めていくようになる。俳句については、始めの頃、指示通り間違いないように書こうとするだけで作品を味わう余裕がなかったが、美秋にとってどんなに大切なものなのか理解するようになり、美秋の俳句が心の支えとなり、美秋と一体となって俳句を書きとるようになっていた。

 受賞に際して、17歳になった娘の美帆(ミミーMIMI)はパパに手紙を書いた。
「いつも、同じ堅さの布団の上で目覚め、同じ景色だけが目に映って、何度となく、まったく同じ御飯を口にして—-又同じ—-又同じ—-で一日が過ぎてゆく、そんな辛く単調な毎日の中から素敵なリズムがあって、知的で人の心を引く俳句を書き、そして受賞されたんですもの。MIMIのパパにしか出来ない事だもね。MIMIは、そんなお父さんの娘で本当にうれしく誇りに思います。ありがとうPAPA」(『妻のぬくもり 蘭の紅』から)
※参照 折笠智津子著『妻のぬくもり 蘭の紅』(主婦の友社、1986年)
折笠美秋著『死出の衣は』(富士見書房、1989年)

 

〇『死出の衣は』から。

  • ととのえよ死出の衣は雪紡ぎたる
  • 盃や無数の詩と友底に居り
  • 雪明り死者は夢見ることありや
  • 新宿にもシャガールの絵の夜空あり
  • 振りむけば氷雪 誰ももういない
  • 百合透けて咲き透けて見ゆ百合世界
  • 連翹(れんぎょう)や人に寄り道迷い道
  • 薫風と妻に書かせてみたりけり
  • 菜の花に懸る一番低い雲
  • 生者死者ある夜乗り合う月光船
  • 新緑を一枚妻に盗ませる
  • 銀河系大洪水のあとに百合
  • 人の形に雲行く会釈の形して
  • かたつむり日々、<複雑>を去りつつあり
  • 一人寝は銀河の瀬音思うべし
  • 川は川自身流れて流れ継ぎ
  • 折り取って何か聴こえる夕桔梗
  • 陽炎や 今きた道は もう見えぬ
  • 生涯の落葉喬木いま真紅
  • 風車回したあとの風の淋しさ
  • 我が臓腑に海あり荒れる雪海峡
  • 草枕 波枕 翼あり いま 雲枕
  • 白繭や内なる俳句動きおり
  • 月見草下校の鐘が聞こえくる
  • 闇よりも濃い闇が来る燭持てば

※参照 折笠美秋著『死出の衣は』富士見書房、1989年

◎自分のこととして(「四季折々」2020年1月26日~2月1日)

〇病とともに「四季折々」2020年1月26日~2月1日)

(26日)〇徳勝龍令和2年初場所で優勝す

 番付最下位、西前頭17枚目の徳勝龍(33歳、木瀬)が結びの一番で大関貴景勝(千賀ノ浦)を寄り切り、14勝1敗で初優勝を果たし男泣きした。幕尻Vは00年春場所の貴闘力以来20年ぶり。

 大きな腹と大きな体の割には立ち合いの変化や引き技の多い印象のある徳勝龍と、引き技をせず常に真っ向勝負の印象のある正代との優勝争いでは、正代にしてほしかった。

 だが、優勝インタビューで「自分なんかが優勝していいんでしょうか」と言い、「優勝は意識することなく…、うそです。めっちゃ意識してました。ばりばり、インタビューの練習をしてました」と館内を爆笑させたのを聞いて、これはこれでよかったなと思った。

 北の富士氏は、「何はともあれ、横綱休場、上位陣総崩れの場所であったが、思いがけない結末でささやかな感動が見られたのは救いであった。しかし喜んでばかりいられない現象である。白鵬が休場すると、誰が優勝するかわからない。皆にチャンスがある。しっかりした、実力通りの横綱、大関がいて、それを倒し優勝を争うのが大相撲の本来の姿ではなかろうか。」と結んでいる。

・初場所や誰しも知らざる力あり

 

(27日)〇息子の工場に行き、食事をともにし、その後動画を撮る。

 息子は昨年感染症により足が化膿し、12月の仕事が予定より進まなかったこともあり、1月に入り結構遅くまでやり込んだらしいが、翌週はかなり疲れたという。

 頑丈が鎧を着たような体も、40歳を過ぎた今、あまり無理はできないなという話になる。

  金属加工は、「成形」、「切削」、「接合」に分けられ、それぞれに様々な工程がある。例えば材料加工の場合、鉄やアルミ、ステンレスなどの金属材料を、設計図面をもとに専用の工作機械を用いて切ったり曲げたり穴を開けたりする。

 大掛かりなものは、リースした機械できめ細かな設計をして作成するのだが、それにまつわる部品・工具作りなどの作業は自分でやるとのこと。

 息子のやれることは注文を受けているので、いろいろ手掛けているようだ。

  その後動画づくりをした。

 今回息子のしているのを見させてもらったが、精密機械の金属加工というのは、黙々と作業をこなし続けるだけの忍耐力や精神力が必要な手づくりそのものだなと思った。

 今回の動画は手作業でする基礎的な工程で、卓上グラインダーでドリルを研ぐというもので、①フラットに研いだドリル(写真)を、②卓上グラインダで研ぎ、➂通常の形状に研ぎ直し(写真)、④その出来栄えを確かめる、4工程からなる動画。

・手作りの工夫を重ね春を待つ

 

(28日)〇『昭和の遺言』投稿のコメントから

 倉本聰『昭和の遺言』の感想をFacebookに投稿したところ、次のようなコメントがあった。

〈人の記憶は曖昧ですが、今を大事にすることは、過去から学ぶことも多くて、便利で流されていたら、ホントに大事なことを見落としそうです。手間をかけるのがということもありますが、結局何をするかということの方が大事なような気もしています。〉

 私が意識していることは、時折立ち止まって、なんで自分はこのことをしているのかと問い直すこと。結構難しいが。

 福井正之さんはブログで<現在の私は認識の基本軸において、過去は同時に未来および現在であり、その逆も真であることをしっかりと肯定する。〉と述べている。

 過去から学ぶのは大事にしたいと思っていて、自分から見てこのことは伝えておきたいことを何らかの方式で述べること、また、いいものは取り上げて伝えていくのもしたいと思っている。

・若者の素直ななんで小春風

 

(29日)〇価値の遠近法から

 鷲田清一は『語りきれないこと 危機と傷みの哲学 』の中で、〈わたしは「教養」や「民度」ということについて、次のように考えています。なにかに直面したとき、それを以下の四つのカテゴリーのいずれかに適切に配置できる能力を備えているということです。まず、絶対に手放してはいけないもの、見失ってはいけないもの。二番目に、あったらいい、あるいはあってもいいけど、なくてもいいもの。三番目に、端的になくていいもの。なくていいのに、商売になるからあふれているもの。そして最後に、絶対にあってはならないこと。〉と“価値の遠近法”として提案している。

 自分の身の回りを見ていくと、二番目以下が随分多いなと思う。杓子定規になることはないが、「絶対に手放してはいけないもの、見失ってはいけないもの」は、そのまま後続世代に繋げていき、四番目の「絶対にあってはならないこと」をなくしていきたいと願っている。

 どの段階にあるのか判断することは大変難しいことだと思うが、そのことを心においておくことはしていきたい。

・ものごとの軽重はかる冴ゆる脳

 

(30日)〇物事の重要性は、問いつづけることの中にこそ存在する

 吉田光男さんは『わくらばの記』の中で、辺見庸『1★9★3★7』に触れて次のことを述べている。

〈辺見庸は、「なぜ」と問うことを続けている。物事の重要性は、説明や解明にあるのではなく、問うことであり、問いつづけることの中にこそ存在する。説明、解明、解釈、理論づけ、……それらはそれ以上の究明を放棄するときの弁明にすぎない。終わりのない過去を、つまり現在に続く過去に区切りをつけ、ごみ袋に詰めて捨て去るときに用いるのが、説明であり解釈である。説明の上手下手は、ごみ袋が上物か屑物かの違いにすぎない。〉

 どんなことも、立ち止まって問い直すことや、結論を急ぐのではなく問いつづけることを大切にしたい。

・なぜと問いつづけるこころ冬の月  

 

(31日)〇新型コロナウイルスについて

 今話題になっているコロナウイルスのことで、どちらかというと私にはある程度距離を置いた出来事だったが、奈良の観光バスの運転手に症状がでたとの報道に、バスの運転手をしている友人のS君のことを思い、ぐっと身近なことになる。

 ヒトからヒトあるいは動物からヒトに感染する伝染病は、古くから人間の生命健康を脅かすものとして恐れられていた。

 またウイルスは他の生物(動物、植物、細菌)の細胞を利用して自己を複製できる微生物の一種である。他の生物の細胞を利用すれば増殖することができるという特徴をもっているので、それなりの戦略?があるのだろう。

 近来の大きな災害が起こるたびに、そこに親しい友人がいると、どうしているのか気にかかってくる。日本に関しては、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨など、どの地域でも親しくしている友人がいる。そうでないと、自分のことというよりも、距離を置いてみることが出来る。

 この辺はいいい加減な感じもあるが、文明、交通の発展により、世界でも起こることはやがて自分にも関係してくるおそれがあることは心しておきたい。

・眠る山マグマ溜まりを内に秘め

 

(2月1日)〇「自分のこととして」関わっていく

 50歳を過ぎてから難儀を抱えた高齢者や重度心身障がい者関連の活動をしていたととき、気持ちの置き所は、一人ひとりに応じていろいろではあっただろうが、総じて第三者的な視点で関わっていることが多かったと思う。

 今は自分のことのように感じることも多く、あの時にあの人はこんな気持ちではなかっただろうかと振り返ることもある。

 ある問題について、「自分のこと」としてみるのか「他人事」としてみるのかで、向き合う態度が極端に違ってくる。「他人事」は、時がたつとともに流され、関心が薄まっていき、やがて忘れさられていく。

「自分のこと」として、想像力を働かせることから見えてくることも多いのだろう。

 最近南海トラフ地震の情報などに触れることもあるが、そのような体験がないか、あるいは想像力が及ばないのか、どうも自分の身近な問題になっていかない傾向がある。

 どんなことでも、他人ごとになると、どこかで「何をそんなに懸命になるんだろうな」という思いがわく。一旦自分のこととなると、妙に力が入っていく。

 考えていくときに、「他人ごと」と「自分のこととして」と、どちらにたって見ていくのか、大きな分岐点になるような気がする。少なくとも「他人ごと」である限り、きちんと考えていけないと思っている。

 ・もしそれが私だったら冬の星

◎日々彦「詩句ノート」2020年の1月放送のNHK俳句、プレバト俳句などから

〇2020年の1月放送のNHK俳句とプレバトから

  ◎2020年の1月放送のNHK俳句から  
1/5NHK俳句 題「春着」選者・宇多喜代子 司会・小林聡美
  ▪️幅広の春着の縞目立ち上がる  宇多喜代子
  ▪️九十年生きし春着の裾捌  鈴木真砂女
  ▪️春著きて孔雀の如きお辞儀かな  上野泰
  ▪️膝に来て模様に満ちて春着の子  中村草田男
  ▪️たとう紙に春着とたたむ今日の瑣事  三田市 志茂哲郎 特選一席
  ▪️ぽくぽくと八幡様へゆく春着  浜松市 紫雲英 特選二席
  ▪️おさがりの四女に及ぶ春着かな  横浜市 小塚信江 特選三席
  ▪️嬉しくもまた寂しくも春着の子  富山県 小野田裕司 小林聡美選
  ▪人形のごと熟睡(うまい)の春着かな 小林聡美
  ▪衣桁より色したたらせ春小袖 浜田市 青木道子
1月12日 題「雪女」選者・長嶋有 ゲスト「人間椅子」和嶋慎治。
  ▪️除雪車の吐き出す影や雪女   草加市 西川由野・岸本葉子選
  ▪️こんこんと雪女にもつもるらむ 1席 川崎市 和泉まさ江・和嶋慎治選
  ▪️前つぼにひそと緋まとふ雪女  世田谷区 大武美和子
  ▪️よく笑ふ雪女ではないな 3席  福岡県福岡市 松本逸朗
  ▪️停電の五分の長し雪女  2席 岡山県 山本敏男
1月19日 題「雑煮」選者・井上弘美  
  ▪柏手を打っていただく雑煮かな 1席 愛知県 松田学
  ▪雑煮澄み赤べこ色の会津塗 2席 郡山市 滝田光昭
  ▪大鍋の浜の雑煮や海老の髭 3席 青森県 藤本則
1月26日  俳句さく咲く! 題「初詣」  選者・堀本裕樹
  ▪日本がここに集る初詣  山口誓子
  ▪千人に千の横顔初詣 俳句大賞 千葉県 松本勝
  ◎2020年の1月放送のプレバト俳句から  
1/3プレバト 冬麗戦。題「お鍋」  
  ▪湯豆腐の湯気アインシュタインの舌 東国原英夫・10段2位
  人気番組対抗戦。第「福袋」  
  ▪雑煮の香雨の銀座の生中継 竹内涼真・鈴木亮平 1位73点
1月16日 題「一月の浅草と着物」  
  ▪爪革の紅のさくさく霜柱 梅沢冨美男・10段前進
  ▪抜き衿寒し酔客のうしろ影 ミッツ・マングローブ・1級昇格
1月23日 題「冬の新宿駅」  
  ▪オーディション帰りの車窓波の花 早見あかり・2位71点
  ▪職質をするもされるも着膨れて 的場浩司・1位72点
  ▪誘導鈴風花ひかる改札へ 中田喜子・名人3段→4段
1月30日 題「銀座での買い物」  
  ▪道草は砂町銀座おでん食ふ 森口瑤子・特待生5級→4級
  ▪春近し鳩居堂二階句帳買ふ 梅沢冨美男・10段前進

 

〇1/26NHK Eテレで 15:15から「夏井いつき 俳句の種をまく」という番組。

 夏井いつきさんの日常やその過去のことが放送され、そういう中で如何にして夏井さんの俳句人生が始まったかがわかるように構成されていましたが、もっと感動したのは、やはり「俳句は人生の杖である」ことを心情に夏井さんが活動されてきた結果、本当に俳句を支えとして人生を生きている方々がたくさんおられ、そういう方々のことが取り上げられていたことでした。勿論夏井さん自身も過去に俳句があったがために前に進むことが出来たという経験と実感があったればこそ。

 

▪露草やかなしみにくじけるこころ(夏井いつき)

▪蛍草コップに飾る それが愛(夏井いつき)

▪つながれぬ手は垂れ末黒野の太陽(夏井いつき)

 

▪正夢にしたき梅見や下肢装具(ペトロア)

※ペトロアさんは筋肉が衰えていく難病)

▪まばたきで礼せし妻の毛布替え(ペトロア)

▪自宅療養このお粥から秋の山(福岡の放浪鴎)

▪稲光思春期黒く渦巻きぬ(立志)

▪シロナガスクジラごとき春一番(立志)

▪歩けぬを知らぬ母なり鰯雲(方城奈都美)

▪子にタイマー機能つけたき良夜かな(方城奈都美)

※ゆいと君(5歳)が手足が不自由なんだそうです。

参照:『すえよしの俳句ブログ』https://ameblo.jp/kawaokaameba/

 

〇『NHK俳句』1月号 片山由美子選の「巻頭名句」より。

 ▪️初空の藍と茜と満たしあふ 山口青邨

 これから初日が昇るところである。明け始めた空は夜の名残りのように藍色に覆われていたが、東の空からしだいに茜色が広がってきた。やがて全天が藍色と茜色に染め分けられ、その相半ばするところを藍と茜が満たし合っていると見たのだ。新年らしい美しく荘厳な光景である。『薔薇窓』

▪️相聞のごとくに天地初茜 岩岡中正

 元朝の空がほのぼのと染まってきた。赤とも橙とも違う美しい色を茜という。その色が次第にあたり一面を染める様子をとらえたスケールの大きな作品である。天の神と地の神の出会いによってこの世界が誕生したかのような神話的な発想は、一年の始まりならではといえるだろう。「ホトトギス」2017年5月号

 

▪️希望が丘緑ヶ丘より賀状くる 宇多喜代子

 あちらからもこちらからも年賀状が来た、ということなのだが、その地名がポイント。私鉄沿線の分譲住宅地か、それとも市町村合併によって新しくできた地名か、歴史とは縁遠いような美しさである。作者は、その幸せそうな名前をアイロニカルに受け止めていることが伝わってくる。『記憶』

 

▪️ふるさとの土産をもらう四日かな 仁平勝

 年末年始に帰省をしていた人たちが、仕事始めの四日に職場で土産を配る、というありそうな場面である。それぞれ、ふるさとらしさを感じてもらえて、しかも配りやすいものを探してくるのだろう。受け取っている作者は帰省する故無があるわけではない。「もらふ」にそんな雰囲気が感じられる。「俳句」2016年3月号

 

▪️忘れたるところは飛ばし手毬唄 今井つる女

 昔から歌い継がれてきた遊び歌には長いものが多い。子供の頃覚えたものは何十年も経ってもけっこう覚えているもので、手毬唄など、毬を衝き始めるとおのずと口をついて出てくる。とはいえ、怪しいところもあって、そんなときは飛ばしてしまうというのがなんとも楽しい。『今井つる女句集」

 

▪️つく羽子の天より戻る白さかな 西宮舞

 追羽根の羽子の動きが目に見えるようだ。高く突き上げた羽子が落ちてくるとき、突く前よりも白さが増したかのように思えたのは、青空を背景にしているからだろう。好天に恵まれた穏やかな正月を象徴するかのようで、「白さ」にめでたさが極まる。「戻る」の一語が効果的。『千木』

 

▪️寒牡丹夕影まとふこと迅し 有馬朗人

 冬の夕景れは早い。午後の日が傾き始めたかと思うと、あっという間に夕方である。日差しを浴び、色を凝らして咲いている寒牡丹も、たちまち寒々しい夕影に包まれてしまった。色の乏しい寒中にけなげに花をつける寒牡丹の哀れさが感じられ、にわかな寒さも伝わってくるかのようだ。『知命』

 

▪️厳寒の駅かんたんな時刻表 仲寒蟬

 一日に数本しか便が無いようなローカル線の駅だろう。厳寒の日々にはいっそう侘しさが増す。時刻表と言っても、立派なものは必要もなければ、書きようもない。そのシンプルさが、あたかも厳しい寒さのせいであるかのように結びつけたところがこの句の面白さになっている。『巨石文明』

 

▪️地の涯に倖せありと来しが雪 細谷源二

 作者は第二次世界大戦終戦直前の空襲ですべてを失い、家族と共に開拓民として北海道の十勝に入植した。しかし、夢を抱いてやってきた新天地での生活はきびしかった。そんな思いがこの作品になったと言える。雪は無垢の美しいものと言う概念と、抗うことのできない自然の力の二面性をもつのである。 『砂金帯』

 

▪️限りなく降る雪何をもたらすや 西東三鬼

 見渡す限りの雪景色。雪はやむ気配もなく降り続けている。ひたすら降る雪を眺めているとき、この雪はいったい何をもたらすのだろうか、という思いが湧き起こったのである。疑問の「や」で終わることで「いや何も…」という答えを引き出す反語的な効果を上げ、無力感をかきたてる一句となっている。 『夜の桃』 

 

〇私が注目した2019年度プレバト俳句24選

12月26日:「冬秋戦」兼題「年末年始の駅弁売り場」

 皆藤愛子・右肩に枯野の冷気7号車(1位)

 梅沢冨美男・初旅やほのかに匂ふポリ茶瓶(3位)

 村上健志・抜型を重ねて仕事納めかな(2位)

12月12日:兼題「羽田空港からモノレール」

 東国原英夫・オッケーグーグル冬銀河にのせて(10段前進)

12月5日:兼題「洋服の試着」

 森口瑤子・ブティックの鏡うそつき落葉蹴る(1位→特待生)

 村上健志・代役の衣装合わせや虎落笛(10段前進)

11月28日:兼題「旬のスイートバイキング」

 九重龍二(千代大海)・秋場所勝ち越しビュッフェは千疋屋(1位70点)

 千原ジュニア・パティシエに告げる吾子の名冬うらら(特1→名人初段)

11月21日:兼題「満員電車」

 梅沢冨美男・乗り換えのマフラーの波寡黙なり(10段前進)

10月31日:俳句の才能昇格査定スペシャル。兼題「ATMの行列」 

◎立川志らく・色変えぬ松や渋沢栄一像(特1→名人初段)

10月10日:秋のタイトル「錦秋戦」予選兼題「冷蔵庫」

 石田明・明日もまた生きるチルド室に葡萄(1級3位)

 千原ジュニア・長き夜のジャーの隣に立つ杓文字(1級2位)

決勝兼題「歩行者用信号」

東国原英夫・信号は点滅稲妻への挨拶(10段1位)添削後

藤本敏史・信号待つ騎馬警官の背のさやか(10段2位)

9月26日:兼題「運動会」

 ミッツ・マングローブ・秋声に褪する石灰最終種目(特3→特2)

9月19日:兼題「秋の果物屋さん」

 光浦靖子・無花果や苛めたきほど手に懐き(1位73点)

9月19日:俳句甲子園優勝校(弘前高校)との対外試合。兼題「道後温泉」

 弘前高校西野結子・湯冷めして脳の吸はれてゆくような(7対3)

8月9日:夏の炎帝戦。兼題「ラジカセ」

 梅沢冨美男・旱星ラジオは余震しらせおり(優勝)

7月26日:兼題「離婚届」

 東国原英夫・調停の席着く妻のサングラス(名人9→10段)

7月19日:兼題「砂浜」

 梅沢冨美男・嬰児の寝息の熱し砂日傘(名人9→10段)

6月28日:兼題「梅雨明け」        

 梅沢冨美男・道ばたの花束ひとつ虹たてり(名人8→9段)

5月17日:兼題「公園の自転車」 

 北山宏光・原爆忌あいつと青く飛んだ日々(1位72点)

4月12日:第2回春の俳桜戦。兼題「桜と富士山」 

 東国原英夫・花震ふ富士山火山性微動(優勝)

 梅沢冨美男・空のあお富士の蒼へと飛花落花(2位)

1月4日:俳句王『冬麗戦』兼題「雪と青空」

 千賀建永・雪原や星を指す大樹の骸(優勝)

 藤本敏史・船長の側にペンギン日向ぼこ(2位)