四季折々(日々彦の文芸欄)

日々彦の詩歌句ノート、随筆、講演、紀行文など

◎「見立て遊び」のこと「四季折々」(2021年3月21日~27日)

〇病とともに「四季折々」(2021年3月21日~27日)

   (21日)〇孫の成長記録(姉2歳5ヶ月、弟7ヶ月)①

 午後遅くから3時間ぐらい二人の孫をみる生活が続いている。

 弟はしばらく前から離乳食をはじめ、おぐらやま農場のリンゴをすり卸して、スプーンから食べさせるのも慣れて、モグモグして上手に食べている。

  歯も生えてきて、娘と相談して、リンゴを薄く切って手に持たせ、手づかみで食べる練習を徐々に始めているが、まだまだおぼつかなく、すぐに落としてしまう。

  寝かせた状態のゴロンとしたところから少しだけ体を横向きにするところまできているので、寝返りも近いのではないだろうか。

 ソファーに寝かせ、おとなしくしていたと思うと、やがて全身を使って大泣きし、妻が抱きかかえると泣き止み、やがて眠りにはいる。

 尿意と睡魔は赤ちゃんにとって不快な感覚らしい。泣くには泣くだけの訳があるのだろう。

 お姉ちゃんの「泣き」は自己主張的なことが多く、ときには抗議の意思表示で、したたかに感じることもある。切り替えも早いが。

 ・全身で泣いて育つや木の芽晴

 

(22日)〇孫の成長記録(姉2歳5ヶ月、弟7ヶ月)② 

 最近のお姉ちゃんの動きで面白いのは、「見立て遊び」である。

 幼児は、お母さんや周りの人の動きをみていて、好奇心が湧いたら、すぐに模倣して、ものにしていく。

 大分前から、携帯電話の買い替えのときに、古い電源の入っていないものを、玩具代わりに与えたところ、すぐにお母さんの仕草を真似し始めている。

 今では電源が入っていないにも関わらず、一人語りで結構話し込んでいる。

  また、一歳の誕生日プレゼントの犬のぬいぐるみを、いつも子分のように引き連れていて、それに自らお母さんになり切って接している。

  ぬいぐるみをソファーに寝かせたり、幼児用の便器に座らせたり、体温計を脇に当てたりして、少し前から、時折自身のおっぱいを与えるマネをするようになり、何か話しかけている。面白いのだろう。

  我が家から帰る時に、わたしとハイタッチをして別れるのだが、最近はぬいぐるみにもしろと催促をしてきて、それに応じている。

「見立て遊び」とは、何かに別のことを見立てて想像的に遊ぶことで、お姉ちゃんは1歳過ぎたころに、果物の絵本から果物の絵をつまみだす手ぶりをし、そのまま口をモグモグさせる時があり、その後、保育園や弟の誕生で、お気に入りのレパートリーも増えている。

  これはやがて「ごっこ遊び」やより難度の遊びにつながり、子どもにとって大切な「遊びの世界」が豊かになっていくのだろう。

 ・吾子の春見立て遊びをきりもなや

 

(23日)〇「見立て遊び」について

「見立て遊び」のことについて、いろいろな方が述べている。

 その中で【st-medica】サイトの「子供の発達で大切な見立て遊びとは?見立て遊びでの発達分類や「象徴」「象徴機能」について言語聴覚士が解説!」の記事が参考になった。一部抜粋する。

・「見立て遊びとは?」

 幼児期の子どもたちの遊びのなかで多くみられるものに、「ままごと」や「電車ごっこ」などの「ごっこ遊び」がある。

 そのなかでは、たとえば砂がご飯に、泥水がコーヒーに、縄が電車に、というように現実とは異なった物を用いて、いわばその「ふり」をして遊んでいるといえ、このような活動を「見立て」と呼ぶ。

・「見立てる」ために必要な力

 この「見立てる」という活動は、非常に高度な認知的能力を持っているからこそ可能になるもので、特にこの活動にとって必要な能力には、表象と象徴機能とがある。

 表象によって心のなかにイメージしたものを、日の前にある別のものに置き換えるという象徴機能によって成立していると考えることができる。

・「ものを見立てる子どもの心」

 ものを見立てている子どもの心理状態は、どのようなものなのか。たとえば、ままごとで泥水をコーヒーに見立てている場合、おいしそうに飲むふりはしても、本当に飲んでしまうことはない。

 それは、確かに遊びのなかでは「コーヒー」であっても、子どもは心のなかで、「本当は泥水だけれども、ここ(ままごと)のなかではコーヒーの『ふり』をしている」ということを認識していることを示している。

 つまり、子どもなりに現実の世界と想像の世界とを区別しているのである。

 ・草若葉見立て遊びの育ちかな

 

(24日)〇春光戦予選、印象に残った句から。

 ▼2/18プレバト。春光戦予選(A・Bブロック)。題「雲丹の軍艦巻き」

・流星群いくつか海に墜ちて海胆  藤本敏史 A1位

 夏井評:季重なりは色んなタイプがあるが、秋の季語「流星」と春の季語「海胆」と季節の違う季語を入れるのは凄く難しい。大体の人は「流星のごと」と比喩に持ってくるが、そうせず「墜ちて」まで物語のようなファンタジーを紡ぎながら「海胆」を主役にする。「墜ちて」が隕石が墜ちる印象をもつ表記で、最後「海胆」。

・海苔篊(ひび)の等間隔に暮れかかる 村上健志 A2位

 夏井評:「海苔篊の」から「等間隔に」で、広さが表現できる。「暮れかかる」の複合動詞で時間経過も表現できる。「海苔篊」は海苔の養殖で、海苔の付着に使われる資材。

 ▼2/25プレバト。「春光戦」予選。C・Dブロック。題「きのこの山とたけのこの里」

・買い食いを叱られて来し末黒野よ 東国原英夫 C1位

 夏井評:最後「末黒野」という季語に着地した途端、焼野の跡の非日常の中に自分がぶち込まれたような不思議な気持ちになる。臭い・光景とか。そして季語が出た瞬間、後悔・切なさ・悲しみがこの季語によって一気に吹き出してくる。

・花疲れ臓腑に溶けるチョコレート 向井慧 Ⅾ1位、

 夏井評:「花疲れ」は人出も多く、花の美しさに酔いしれた疲れを指す季語。疲れたら甘いもの食べたくなる、チョコレートかと。ここに小さな意外性と小さな納得を置いた。

 ・巻寿司にたっぷり海胆の祝い膳

 

(25日)〇3/25プレバト。「春光戦」決勝。題・「じゃんけんの写真」

 ▼印象に残った句から。

・浜風光るスクイズの土埃 Kis-My-Ft2・横尾渉 春光戦優勝。

※横尾氏:「じゃんけんの写真から、キャッチャーのサイン、浜風は甲子園に吹く風。」

 発想は面白いが句としては、それ程いいとおもわなかった。

※わたしの添削「浜風やスクイズ決まる春の雲」「浜風にひかるスクイズ土埃」

・サザエさんに後出しあいこ吾子の春 千原ジュニア 第2位

※サザエさんじゃんけんとは、アニメ「サザエさん」の放送終了間際に開催される、主人公サザエとのじゃんけん大会である。子供が小さいのでまだじゃんけんの意味がわかってなくて、テレビのサザエさんが出したものと同じものを出す、というわけ。サザエさんじゃんけんのことを知らなかったので、最初は分からなかったが、句としてはいいと思った。

・「最初はグー」聞こゆ志村忌春の星 梅沢富美男 第3位

※志村けんさんが亡くなったのは昨年の3/29。「最初はグー!」の掛け声を最初に考案したのは志村けんさんだったそうだ。

 夏井評:「聞こゆ」「志村忌」「春の星」と切れているがそれなりにリズムは出来ている。それに忌日の句であるにもかかわらず明るい感じになっているところがいい。こういう句が詠まれることによって将来、志村けんさんの忌が季語として定着すると思う。

・けいどろの牢に鐘楼花の寺 フルーツボンチ・村上 第4位

「の」→「は」に、夏井添削後「けいどろの牢は鐘楼花の寺」

 プレバト俳句は、それぞれの芸人の発想が面白いのと夏井氏の強引な添削が参考になる。

 ・(志村けん一周忌)

 「最初はグー」殿と佐保姫睦み合ふ

 

(26日)〇「イベルメクチン」と「新型コロナウイルス」のこと①

 最近、新型コロナウイルス感染症の治療や予防に「イベルメクチン」の有効性が一部で話題になっている。懇意にしている友人も大層な期待を寄せている。

 その期待のかけ方がどうかなと思ったので、そこでいろいろ調べてみた。

 イベルメクチンについては2015年ノーベル医学・生理学賞を受賞した、大村智博士の「線虫感染症の新しい治療法の発見」などから生まれたもので、大村智記念学術館のHPなどで調べた。

 イベルメクチンは、もともと寄生虫の治療薬として開発された薬。この原型となるエバーメクチンを大村智先生が開発され、そしてその成果によりノーベル生理学・医学賞を受賞されたので(2015年)、とても有名になる。

 WHO等によるアフリカや中南米における熱帯病撲滅プログラムの中で、1987年からオンコセルカ症やリンパ系フィラリア症の特効薬として無償提供され、毎年約4億人もが服用している。これにより既に中南米ではオンコセルカ症が撲滅されている。

 イベルメクチンと新型コロナウイルスについて読売新聞オンラインでヨミドクターの岩田健太郎氏の記事も読んだ。

 このことについて、ブログ日々彦「ひこばえの記」に掲載した。

 https://masahiko.hatenablog.com/

・逃水の果てに良薬ありにけり

 

(27日)〇「イベルメクチン」と「新型コロナウイルス」のこと②

 今時点のわたしの見解は、岩田氏などの見解に共感する。

 イベルメクチンはある種の症状にとって大層有効な薬だと思うが、新型コロナウイルスに対しては、有効かもしれないし、効かないかもしれないと思っている。

  現代医療の薬などの処方は、副作用にも充分に検証する必要があり、現代医療の基本であるEBM(科学的根拠に基づく医療)での、質の高い臨床試験の結果が出てから使用するか判断するべきと思う。

  むろん、新しいアイデアには心を開いておくこととともに、古いか新しいかによらず、どんなアイデアも懐疑的に厳しく吟味することが必要と考えている。

  このような時、どのような情報を信頼するのか、メディアリテラシー(メディアから得た情報を見極める能力)が問われてくる。

  メディアリテラシーについて、内田樹は次のことを述べている。

《いま肝に銘ずべきことは、「私たちひとりひとりがメディアリテラシーを高めてゆかないと、この世界はいずれ致命的な仕方で損なわれるリスクがある」ということである。

 そのことをもっと恐れたほうがいい。

 メディアリテラシーというのは、勘違いしている人が多いが、流れてくる情報のいちいちについてその真偽を判定できるだけの知識を備えていることではない。そんなことは誰にも不可能である。自分の専門以外のほとんどすべてのことについては、私たちはその真偽を判定できるほどの知識を持っていないからである。

 私たちに求められているのは「自分の知らないことについてその真偽を判定できる能力」なのである。

 そんなことできるはずがないと思う人がいるかもしれない。けれども、私たちはふだん無意識的にその能力を行使している。

 知らないことについて、脳は真偽を判定できない。けれども、私たちの身体はそれが「深く骨身にしみてくることば」であるか「表層を滑ってゆくことば」であるかを自然に聞きわけている。》(内田樹の研究室「メディアリテラシーについて」2019-02-22 )

・柴木蓮身にしみてくることば