四季折々(日々彦の文芸欄)

日々彦の詩歌句ノート、随筆、講演、紀行文など

◎もうろくの冬「四季折々」(2021年1月10日~16日)

〇病とともに「四季折々」(2021年1月10日~16日)
(10日)〇高齢社会に思うこと
 25年程前、20歳前後の若者と関わっていたことがある。一昨年その人たちと会う機会があった。その時の私は滑舌が悪く、足元がよたよたしていて、かなり心配した人もいるかもしれない。
 いろいろな話をして楽しかったのだが、そのなかである人に、私(たち)がどのような〈老い〉を過ごしていくのか、「注目しているんですよ」と言われた。
 その時に、背中を見られている、そのように思ってくれているのだなと感じ、自分(たち)の生きざまが次の世代につながっているのだという印象が残った。
 福祉活動をしてきて、それなりに高齢社会のことに関心があったが、73歳になる現在、改めて自分の状態に腰を据えながら、超高齢社会の課題に向き合っていきたいと思っている。
・冬田晴枯れゆくものの放つかげ
 

(11日)〇いつも楽しみにしているFacebookの記事から。

 友人がこの正月に南野神社初詣に行った。

〈この神社には、隣接して一見民家のような了福寺という寺があり、境内に小さな「薬師観音」の祠がある。 寺の境内には、末吉神社という神社。祠の前に狐がいるところから荼枳尼(だきに)天を祀っているようだ。ちなみに、荼枳尼天は仏教の神でありながら、神社に祀られる。伏見稲荷は、言うまでもなく神社だが、僕の郷里近くの総本山、豊川稲荷は妙厳寺という、「れっきとした」曹洞宗の寺院だ。 末吉神社の横には弁財天も祀られている。弁財天は言うまでもなく、七福神の一人で、もとは、インドの川の神だ。すなわち、この小さな神社の周辺には、仏教の神様も神道の神様も所狭しと、仲良く祀られているように見えるのだ。これはたぶん、驚くにはあたらない。 江戸時代まで、日本の神社や寺は、ここの神社のように仏教の神様も神道の神様もほぼ一緒に祀られていたのだから。その江戸時代の姿を、かろうじてこの神社が伝えているということだろう。さらに面白いことには、了福寺には小さな庭があり、そこに織部灯籠といわれる、茶道で有名な古田織部が考案したというユニークな形の灯籠がぽつんと立っている。この灯籠は別名、キリシタン灯籠といわれる。これが本当にキリシタンを表すかどうかは議論があるのだが、とにかく、ここには神道、仏教、さらには、キリスト教までが仲良くは混在しているように「見える」のが、僕には非常に興味深い。〉

 Kさんの興味からくる探求心は面白い。おそらく普通の「民」にとって、各派の趣旨よりも、大いなるものに畏敬の念を持つことがさまざまな形になって顕れ、現在のようになったではないでしょうか。

・神仏共存共栄去年今年

 

(12日)〇内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』を読んだ。

 何回も同じ本を読むことはあまりないが、この人の著作は読み返すことが多い。この本に所収されている、Ⅵ「死と愛をめぐる考察」―「あなたなしでは生きてゆけない」に促されるものがあり、自分に引き付けて考えてみた。

 自分にとって「かけがいのない人」について、まず浮かぶのは妻である。面と向かってはいわないが、心の底にはある。

 自分の身辺のことを書くときに、ともすると主語が「わたし」から「わたしたち」と一人称複数形になっていることがある。というより、分けることができないのかもしれない。

 娘が結婚してから身辺のことについて話すとき、「わたし」のなかに「相方も含んだわたしたち」が入り込んでいるし、子どもが生まれてからは、その子も含んだものになっていることが多い。娘夫婦にとって赤ちゃんは「かけがいのない人」になっているようだ。

 これが夫婦になること、子どもを持つことの、人間社会にしか見ることのできないとされている「家族」というものの核となる現象なのだろうとも思う。

 ・今ここのひかりに集う初雀

 

(13日)〇親が子に対する反応について。

 鶴見俊輔が亡くなった記者会見で息子の鶴見太郎は父のことを次のように言っている。

〈父は、私が子どものころから、いろんなことを話すごとに、「おもしろいな!」「すごいね!」「いや、驚いた!」と、目を見張って、心底からびっくりしたような反応を示す人でした。ですから、大人というのは、そういう人たちなのだろうと思っていました。

 ところが、いざ外の世界に出てみると、世間の大人たちは、何に対してもほとんど無反応でいる、ということがわかって、ショックを受けました。そして、このギャップをどうやって埋めればいいのか、ずいぶん長く苦労することになりました。------〉(黒川創『鶴見俊輔伝』)

 我が家では、妻の孫に対する反応に感心することが多い。わたしはどちらかというとあまり反応しないので、大事なことだと思うので、一言でいいので今日から意識する。

・すごいね!いや驚いた冬の蝶

 

(14日)〇Facebookの過去記事のお知らせから。
 2015.1.14日:元旦からブログを始めました。
 ブログの名称は、「わえいうえを通信 日々のしおり」です。(JUGEM)
 僕の場合文章主体になることもありFacebookにはほとんど発信していなかったですが、時々閲覧する友人たちのブログは楽しみにしています。また、公開には躊躇するものがありましたが、間違っていたら、おかしなことがあったら改めたらいいだけなので、迷惑が掛からないことには留意していきますが、日頃思っていることを発信していこうと思っています。
 次の文章は、数日前発信したものの一部です。
「現代社会の特徴的な考え方として、自動販売機的な発想法がある。貨幣やカードを入れると、自動で物品の購入やサービスの提供を受けることができる機器のように、大した手間をかけずに、自らの希望のものが手に入るという発想である。
ウィキペディアによると、そのような装置は紀元前のエジプトにもあったらしい。19世紀後半になると硬貨によるものが初めて出て、日本社会に広く普及したのは1960年代以後と言われている。その発想法は、簡単なボタン操作で手軽に扱える様々な電気製品、情報機器などを産み出し、確かに便利な感じがして、結構僕も利用している。それでもボタン操作一つで大量に資金が操作されているのを聞くと、不気味な気がしてくる。
 僕がここで取り上げたいのは、この発想法は自然環境や農業にはなじまない、通用しないということ。さらに、最近僕が関心を持ち始めた、子どもの育ちには全くそぐわない発想法である。
 その発想法の便利さを否定するのではなく、じっくり育てていくことの必要なもの(こちらの方が比較にならないほど人にとって大事なもの)とのバランスの問題でもある。」
 ・冬木立未生のいのち孕みつつ
 

(15日)〇鶴見俊輔『敗北力』を読む。➀

 『敗北力−−Later Works』は、2015年7月、93歳で死去した哲学者、鶴見俊輔さんの遺著ともいうべき本。

「Later Works」は鶴見さん自身が書き留めていた言葉で「晩年の作品集」という意味合いになるのか。文芸評論家の加藤典洋さんが付した「解説」によると、鶴見さんが生前に自選していた23編の文章と、未発表の詩5編、単行本未収録の原稿12編(未発表3編を含む)が収められている。

「著者自編」に収録された「なれなかったもの」「敗北力」「日本人は状況から何をまなぶか」「身ぶり手ぶりから始めよう」「二〇一一年を生きる君たちへ」など23編のこれまで発表された文章や単行本未収録の原稿12編にはさまざまな対象、人物が取り上げられている。そこには、著者が長い歳月をかけて練り上げ、血肉と化した基底音が響いている。

 題名の「敗北力」というエッセイは、2011年10月脳梗塞で倒れ、発信することに困難を伴うようになる直前に書かれた短文(『世界』2011年5月号)からのもの。

 〈自分の力が衰えたのに気がついて、「もうろく帖」を書きはじめたのは七十歳のとき。その第十七巻に入り、八十八歳を越えた。自分のつくったその本を読んで、今年一月八日の分で出会ったのは、敗北力という考えである。敗北力は、どういう条件を満たすときに自分が敗北するかの認識と、その敗北をどのように受け止めるかの気構えから成る。〉

 そして次のように述べる

〈今回の原子炉事故に対して、日本人はどれほどの敗北力をもって対することができるか。これは日本文明の蹉跌だけではなく、世界文明の蹉跌につながるという想像力を、日本の知識人はもつことができるか。原子炉をつくりはじめた初期のころ、武谷三男が、こんなに狭い、地震の多い島国に、いくつも原子炉をつくってどうなるのか、と言ったことを思い起こす。この人は、もういない。〉

 はじめに軍国主義に押し切られ自らまねいた大東亜戦争があった。その終わりに米国は、軍事上の必要もなく、すでに戦力を失った日本に原爆を二つ落とした。

そして次のように述べる。

〈このことから出発しようと考える日本人はいたか。そのことに気がつく米国人はいたか。その二つの記憶が今回の惨害のすぐ前に置かれる。

 軍事上の必要もなく二つの原爆を落とされた日本人の「敗北力」が、六十五年の空白をおいて問われている。〉(「身ぶり手ぶりから始めよう」〔朝日新聞、2011.3.31〕から)

  この国の近代化について、自らが起こした戦争と敗戦について、広島と長崎に落とされた原爆について、東日本大震災と原発事故について、さまざまな主題を論じながら鶴見さんが繰り返し語っているのは「敗北」をどのように受けとめるかということだ。

 なぜ、どのように敗北したのかの認識と、敗北にどう対処するかの気構えがないとき、同じ失敗を人はくりかえす。 また、そうならないための「認識と気構え」について、その態度をさまざまな先人を取り上げながら語っている。

・爺と孫身ぶり手ぶりのちゃんちゃんこ

 

(16日)〇鶴見俊輔『敗北力』を読む。②

 巻頭の未発表の詩5編は暗示のごとく、さまざまなことを思い起こす。

・「無題」

棒を/一本たてる。/ひろってきた/木のはし一個。

今はない人の/思いが/あつまってくる/自分ひとりの儀式。

流れついた/この岸辺に。

 わたしはこの詩を読んで、鶴見著『悼詞』の「あとがき」を想い浮かべた。

『悼詞』は、鶴見さんが、交わりのあった百数十人の故人について悼む心を綴ったもの。

《「あとがき」

 私の今いるところは陸地であるとしても波打際であり、もうすぐ自分の記憶の全体が、海に沈む。それまでの時間、私はこの本をくりかえし読みたい。

 私は孤独であると思う。それが幻想であることが、黒川創のあつめたこの本を読むとよくわかる。これほど多くの人、そのひとりひとりからさずかったものがある。ここに登場する人物よりもさらに多くの人からさずけられたものがある。そのおおかたはなくなった。

 今、私の中には、なくなった人と生きている人の区別がない。死者生者まざりあって心をゆききしている。

 しかし、この本を読みなおしてみると、私がつきあいの中で傷つけた人のことを書いていない。こどものころのことだけでなく、八六年にわたって傷つけた人のこと。そう自覚するときの自分の傷をのこしたまま、この本を閉じる。

(二〇〇八年八月一九日  鶴見俊輔)》

 自分の「悼詞」を自身に向けて編んだものとして、読むこともできるのではないかと。

 「著者自編」は、「なれなかったもの」からはじまる。

「なれなかったもの」は、「なろうとは思わなかった」ともつながるし、なりえなかった可能性をつぶしていくと、今やっていることに落ち着かざるを得ないともいう。

それが、鶴見さんの根拠となった。

  また、じぶんにとってかなり影響を受け、「あの人のようにはなれなかった自分ではあるが」、決して忘れられない、忘れるわけにはいかない人々の、その業績を簡潔に表現し、その人となり、身振り、態度を紹介していく。

 本書を通して、自分の心をゆききする人たちを一本の棒に集め、自分ひとりの儀式をするごとく。

・もうろくの波打際に生きる冬