四季折々(日々彦の文芸欄)

日々彦の詩歌句ノート、随筆、講演、紀行文など

◎「麦は踏まれて強くなる」四季折々(2020年7月26日~8月1日)

〇病とともに「四季折々」(2020年7月26日~8月1日)

(26日)○おぐらやま農場に思うこと。

 7月上旬の長野の集中豪雨で年間会員になっている農場のことが気になっていました。そこで7月上旬分は遅れているなと思っても連絡しませんでした。ところが20日過ぎても音沙汰がないので、連絡を入れました。

 ところが発送漏れと聞いて、年間契約の基本だと思うので、チョト残念でした。

  特に7月上旬はブルーベリーということで楽しみにしていましたが、届いたのが7月26日。6月の末頃に収穫していると思うので、1か月ぐらいたっていると思います。

 そのこともあるのか味がぼけていて、この農場の生産物は、いつでも美味しくいただいていますが、この度はもうひとつだなと思いながら食べています。

 Facebookやブログには農場の生産物や、独自の農法の考え方を述べていて、私もその魅力は充分に認めていて年間契約をして楽しみにしています。

 だが、「いいものを適期に確実に届ける」という出荷体制はまだまだ弱い感じがしています。

 どんなことにも失敗はついて回るので、そのことが次に生かされていけばいいかと思っています。

 ・ブルーベリーポリポリかじる吾子の笑み

 

(27日)〇麦は踏まれて強くなる。

 いつも楽しみにしている7.8月度のニュースレターの「おぐらやま農場だより6月」の中で「麦畑で起こっていること(6月29日)」の興味深い記事がありました。

《今年は梅雨時期に強雨を伴う強風が何度かあり、収穫前の倒伏が高い割合で見られます。穂が膨らみ重くなった時に茎の堅さが追いつかない為に起こります。》とあり、次のような記事が続きます。

「軒並み倒伏している小麦畑を見ると、麦畑の一番外側だけは倒れずに持ちこたえていて、どこの麦畑を見ても、倒伏する麦は畑の内側。いつも風にあたる外側は接触刺激でエチレンという植物ホルモン生成を盛んにし、根張りが強くずんぐり型の太い茎をつくるので倒伏しにくいようで、稲作の現場でも同じ傾向が見られます。」(要約)

 そして次のように述べます。

《目の前の植物作物たちが、自然環境とどんな応答をしながら暮らしているのか、ちょっと意識を自然現象の方へ持っていくと時々面白いことを見つけられます。》

 ここの農場主らしい記録で、考えさせられることも度々あり、楽しみにしています。

  このことから、「麦は踏まれて強くなり、唐辛子は煮詰められていよいよ辛くなり」との詩の一節の言葉が浮かびました。

  “麦は踏まれて強くなる。”は、詩や人が育つうえでの箴言として、また、困難な状況に出会ったときに、よく引用されます。

 麦を生業にしている農家の麦踏みは、芽が出て伸び始める時期に根元を踏むことで、エチレンの生成を促し、根元が強化され、その後、麦の背丈が伸びた時に、風に負けない強い麦が育つと言われます。

・旱星麦は踏まれて強くなり

 

(28日)〇昨日、100分de名著 吉本隆明“共同幻想論”(4)「“個人幻想”とはなにか」を見る。

 番組内容:〈吉本は国家をどう相対化し個人が自立できるかを問う。その際の鍵概念が「沈黙の有意味性」。吉本にとって沈黙とは国家を沈黙をもって凝視するということが含意される。声高に国家を批判することでは何も変わらない。庶民たちが日常に根をはりながら沈黙をもって問い始める「違和感」や「亀裂」。そうした日々の生活感に寄り添いながら思考を紡いでいくことにこそ人が自立して思考する拠点があるとする吉本思想の核心に迫る。〉

『共同幻想論』は私には難しくて、読み通ししたことはない。しかし、その中のある言葉「沈黙の有意味性」「大衆の現像」などに魅力を覚えることがあり、それについて考えることがある。

 国家、家族制度、法律、貨幣、宗教、〇〇主義など、すべて人間が作り出した虚構(フィクション・物語)、つまり存在しないものを信じる能力・想像力によって、他の生物種には見られないほど大規模な社会的協力が可能になり、一方、大がかりな紛争や戦争に発展する要因にもなった。これは、現代の研究者などの共通の見識になってきた。

 最近話題になったユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』はこの「虚構」を軸に、人間の歴史を総括した歴史物語である。

 吉本隆明の「共同幻想論」は、「国家とか政治とか法律といった問題(共同幻想)、それから社会生活における家族それ自体の問題(対幻想)、そして家族のなかの個人の問題(自己幻想)、これが全部からまりあっているのが家族問題の大きな特徴だ。」(吉本隆明『家族のゆくえ』p147)とする、日々の暮らしにおけるもののとらえ方に参考になると思う。

・短夜や目覚めた我は誰なのか

 

(29日)〇吉本の次のような論考はさまざまなことを思う。

〈「公的にもっともらしいことを言っている人が、では身近に接している人にたいしてどうなんだ? 個人の暮らしではどうなんだ? そこに一貫したものがないのは信用ならない人だと思う」うろ覚えだがそのような発言があり印象に残っている。

 これは、現社会の近代工業技術社会にどっぷりつかっている人間が安易に反原発を唱えていることに、とんでもないよと反・反原発を唱え、少なからずの人に顰蹙をかったことを思い出す。(※加藤典洋が『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』などで、反原発には考えていく順序がいるなどで丁寧に解説している。)

 個人の生活、家族との生活、公的な生活は等価であるとする吉本の大衆原像ともつながり、次のことにもつながる。

《ここでとりあげる人物(マルクス)は、きっと、千年に一度しかこの世界にあらわれないといった巨匠なのだが、その生涯を再現する難しさは、市井の片隅に生き死にした人物の生涯とべつにかわりはない。市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったくおなじである。](『吉本隆明全集第9巻』「カール・マルクス伝・プロローグ」)》

 ひとりのふつうの人間が生きていくにあたっての生活思想や人間的自然を根底において、そこから思想を深め、日常生活の意味を掘り下げていった人として、あるいは「人間の等価性」と「価値ある人間の原像」を見据えた人として吉本を見ている。

・銀河系市井のすみの夕端居

 

(30日)〇プレバト「炎帝戦」予選(1)

 今回の炎帝戦は、4ブロックの予選会から、決勝に進めるのは、各ブロックの1位通過者と各ブロックの2位の中で最も良かった句の作者。

▼7/23プレバト「炎帝戦」予選(1)題「封筒」

Aブロック:亡き猫に病院からの夏見舞(千原ジュニア)1位

 夏井評:亡くなったペットに何かが届く発想の句は見られるが、中七の情報をここに入れたのが良い。猫・飼い主・病院のスタッフの交流が見える。「に」「からの」の助詞の選び方も間違っていない。季語が出た瞬間に、病院からの「お元気ですか?」という文面や涼やかな手紙の絵柄や色合いが読み手に伝わる。季語の涼やかさを持って亡き猫を飼い主がしみじみと偲んでいる。そつがない。

Bブロック:二枚目はベランダで読む手紙かな(村上健志)1位

 夏井評:村上さんの世界を本人が思うように気持ちよく詠んだ。上五「は」が上手く使えているのを褒めるしかない。一枚目はリビングなどで何気なく封を切ったかもしれない。二枚目だけは場所を変えたと。ベランダでしみじみと読むかもしれない。季語と「は」だけでどう読むかも伝えようとしている。「かな」の詠嘆も嫌味なく手紙を見せている。これはさすが。

「私が印象に残った句」・検診結果封切る刃先日の盛り(皆藤愛子)B2位

 夏井評:検診結果の封を切る発想は俳句で見られるが、「刃先」を中七に持ってきたのがとても良い。刃先の映像がクローズアップされ、季語との取り合わせによって緊張感が表現できている。最も太陽が強く照り付ける夏の午後の日差しの暑さと、ハサミの硬質な光の感触も緊張感になる。取り合わせのメカニズムを分かった上で作っている。

・死去通知頭は白い夏野かな

 

(31日)〇プレバト「炎帝戦」予選⑵

▼7/30プレバト「炎帝戦」予選(2)題:アイスクリーム売り場

Cブロック:かき氷密かに崩す銀河の夜(千賀健永)1位

 夏井評:作者の描きたい世界は非常に丁寧に描けた。手元のかき氷から始まり、夏の明るい季語をなぜ密かに崩すのかと読み手は疑問に思うが、星の美しい夜に食べるという語順の展開。移り変わる季節の中のベランダかもしれないと手に取るように伝わる。「かな」では銀河が強く出るが、「夜」で時間の幅や空間を表現したと判断。「星の夜」で季重なりは解消できるが、「銀」のこだわりでかき氷の光や冷たさを表現する意図で敢えて残したと分析した。

Dブロック:氷壁崩落白玉を掘り出す(三遊亭円楽)1位

 夏井評:◎非常に楽しませてもらった。上五はアイガー北壁や南極の氷山を匂わし、「白」が出ると氷山崩落のイメージを脳で思うため、一瞬「白玉」だと思いにくく、考える間合いが非常に面白い。頭が大袈裟なため、後半も敢えて大袈裟にしないと言葉の質量のバランスが取れない。「白」の一字の効果を見事に使って飄々とした味わいを出した。作者が元々持っている素質がやっとこの句で出た。

▼「決勝へ」・八月十五日アイス溶け続け(立川志らく)D2位 

 夏井評:季重なりの句。何月何日の季語は多いが、一番重い終戦記念日。重い季語の後に「アイス」と夏の季語が続く。玉音放送や蝉の声、すすり泣く人たちの声が否応なく出る季語に対し、「アイス」は現代に切り替わっていると読んだ。手のアイスは(時の流れを超えて永遠に)いつまでも溶け続けている。「け」と切らずで流しているのも作者の意図に違いない。チャレンジしている。(決勝進出理由)重いテーマに果敢に挑んだ姿勢を褒めたい。終わらない戦争のイメージをアイスの現代的な映像で切りだしていく。力をつけている。

・アイス舐め三人のおとめわらへりき

 

(8月1日)〇あるコメントから。

 友人のすい臓がんの転移による抗がん剤の点滴治療に対して、否定的なコメントがあった。むろん、友人のことを思っての提言だと思う。それとは別にN・Tさんのコメントがあり、共感するものがあった。

《Yさん、私もきっと同じ選択をします。無知かもしれないけど、薬でも医療でも、何とかしたくて、一生懸命な人はいる。多摩の加藤さんの息子さんが、お父さんはお父さんの生き方で生きたんだから良いかもしれないが、僕だって息子としてできる限りのことはしたくて、今の医療で、最善とされるお医者さんや薬のことも調べて、一度で良いから会って、話だけでも聞いてほしいと頼んだけど、今の医療なんて!と言って聞いてもらえなかった。子供のときも、係の言うことを聞けと言うばかりで、一度もボクの話には、息子の話には、耳を傾けてくれなかった。と泣いておられました。死に方は生き方。自分の命でもあるけど、子どもたちや奥さんの内には死んでもその人が生きていく。」一途なのも良いかもしれないが、ありがとう😊と言いながら、ごく当たり前の今の暮らしを生き切るYさんを、私はとてもステキだと思います。》

 わたしは、一人ひとり感性、考え方、身体の状態も違うし、家族や環境も違う、人生観も違えば、医療との付合い方も違う。延命治療や「終い方」に対する唯一の答えなどあるはずがないと思うので、友人にとって奥さんにとってすこしでも良くなることを念ずるのみである。

・河鹿笛死に方生き方終い方