四季折々(日々彦の文芸欄)

日々彦の俳句日誌、随筆、講演、紀行文など

◎語り継ぐこと(「四季折々」2020年1月12日~18日)

〇病とともに「四季折々」2020年1月12日~18日)

(12日)〇岩崎航詩集『点滴ポール ~生き抜くという旗印』を読む

「津久井やまゆり園」事件については、少なからずの人が、植松被告は経済的に役に立つかどうか、生産性があるかないかで、人を判断する社会風潮が作り出した病だと指摘している。それに関連して、『点滴ポール ~生き抜くという旗印』のなかにある詩「貧しい発想」に触発されるものがあった。

・詩「貧しい発想」

管をつけてまで/寝たきりになってまで/そこまでして生きていても しかたないだろ?

という貧しい発想を押しつけるのは/やめてくれないか

管をつけると/寝たきりになると/生きているのがすまないような

世の中こそが/重い病に罹っている

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 私が90歳超えた義父と一緒に住みはじめた頃、介助されるような場面では、必ず「すまないなー」と付け加えていた。その時分は寝たきりになっていて、意識はしっかりしていたが、「長生きし過ぎた」と、もらすことも度々あった。  

 私が重度心身障害者など対象の仕事をしていたこともあり、寝たきりの人のことなども話題に上るようになっていた。あるとき義父から、「よくそんなんで生きていられるんだな」というようなことを言われて、戸惑ったことがある。

 これはどういうことだったのだろうか、私が義父のような状況になった時はどうなんだろうか。

 貧しい発想法は、結局のところ、自分自身をも縛ることになり、押しつけることになるのではないだろうか。

 ・冴ゆる月生き抜くといふ旗印

 

(13日)〇「誰もがある/いのちの奥底の/燠火(おきび)は吹き消せない/消えたと思うのは/こころの 錯覚」(岩崎航)

 あるインタビューに岩崎航は次のことを述べた。

(東日本大震災)は病を抱えた自分だけでなく、誰もが先の見えない大変な状況に陥った緊急事態。岩崎さんの心は、閉じていった。

「家族を含めて周りは皆、奔走するのに、自分は動けない。本当は自分も動きたいけれども、何もすることができないというのは、すごくつらいことだったんですね。それはやっぱり僕の中で今までにない経験。今まで、これほどの状況に追い込まれたことはなかったですね。自分は守られるばかり、助けてもらうばかりで、周りの人は奔走して、疲れていく。自分がこんなにも周りを疲労困憊させている。周りの人はそういうふうには思っていないんですけれども、私の心情として、周りが疲労困憊していく姿を見ることしかできない、本当に自分の存在はなんなんだという考えに傾いていきそうになる。それは今思うと、悪循環だと思うんです。答えはないし、そういうつらさは、震災に遭ったことで、改めて強烈に突きつけられたことなんです」

 いま私は、動くための基本的な歩くことが不不如意になり、何か人と一緒に行動するとき、「足手まといにならないように」と意識がのぼるようになる。まだチラッと思う程度だが。 今後どうなっていくのだろう。

・考える足に任せて老の坂

 

(14日)〇優れた記事を編集して紹介

 ブログ日々彦「ひこばえの記」の記に、【貧しい発想(岩崎航詩集『点滴ポール ~生き抜くという旗印』を読んで①)】を投稿した。併せて岩崎航のその頃の思いを伝えるインタビュー記事があり、それを紹介しようと考えた。

 その記録は心のこもった優れたもので、自分の見解をはさまず、それを短く編集したほうが良いと思って、【魂の奥底から思うこと(岩崎航詩集『点滴ポール ~生き抜くという旗印』を読んで。②)】として、①につなげた。

 自分の考えていることはささやかで限りがある。他の人の優れた記録があれば、紹介したいし、それを自分なり適宜編集しながら投稿していくこともありかなと思っている。

 この辺は著作権の問題もあり、原則として自分の見解も出していくことも大切にし、出典は正確に伝える必要もあると考えている。

※2015年5月、6月と読売新聞のヨミドクターの岩永直子さんから岩崎さんへ5回に亘って編集長インタビューがあり、その記録が、読売新聞・「yomiDr」に掲載された。

 本文の詩とともにいくつか編集してみた。

・猫の手も借りて乘り切る吾の子年

 

(15日)〇ユーモア精神で「老い」「病」を生きる

 わたしにとって「ああーいいな!」と思う老いの姿を巧みに描いた詩人に天野忠がいる。身の回りを鋭く観察して生まれた親しみやすい諧謔に満ちた作品が多く、澄んだ視線で老いをとらえる。老夫婦として生きる喜びとユーモアの精神がクッキリと浮かんでくる。「老い」や「病」を考えるときに天野忠のような視線は大事にしたいと思う。

 2編挙げる

 ・「覚悟」

真剣勝負せねばならんとしだなあ/この世の瀬戸際まできたんだから。

つくづく、じいさんはそう思う。

しかし/その真剣が見つからん・・・・

誰と勝負だって? /ばあさんが台所でひょいと顔をあげる。

昨日年金を貰ったので/今夜は久しぶりにうなぎである。

特上のその次のを/エイッと張りこんだ。

誰と勝負するのか/じいさんはまだ思案している。  

(天野忠『長い夜の牧歌 ー老いについての50片』書肆山田、1987より)

・「老衰」天野忠

十二月二十八日正午一寸前。

生まれて初めて へた、へた、へた、と 私は大地にへたばった。

両手をついて /足の膝から下が消えて行くのを見た。

七十八歳の年の暮れ。

スキップして遊んでいる子供がチラとこちらを見た。

走って行った家から人が出てきて

大地にしがみついている私を 抱き起こした。/「どうしました」

冷静に /私は答えた。/「足が逃げました」

(天野忠遺稿詩集『うぐいすの練習』編集工房ノアより)

・沸く国技館炎鵬の技の冴え

 

(16日)〇ブログ「広場・ヤマギシズム」について

 阪神・淡路大震災から25年、今年は特に、記憶・教訓を継承する重要性を語る論調が目につく。

 振り返って私が25年余所属した実顕地を離脱してから20年近くたつ。

  私は、2017年12月にブログ「広場・ヤマギシズム」を立ち上げた。

  そこに次のことを書いた。

〈理想を掲げたヤマギシズム運動、実顕地の影響の大きさを考えると、第三者的な視点による研究、真っ当な批判の類は、はなはだ少ないと思う。そこで、関心を抱く人や研究者などの究明や学びに役立つような資料・記録館などをつくれないものかと思っていた。

 この度いままでのブログなどを整理する中で、個人的なブログでは限界があるにしても、ささやかなものしかできないが、「広場」として立ち上げてもいいかなと思った。

 まず、自分が思っていることを発信することが基本原則だと思う。

 それに加えて、わたしが持っている資料や『山岸巳代蔵伝』、吉田光男さんの『わくらばの記』などの記事も生かしていきたいと思っている。〉

 今年は、それにも気をおいていきたい。

・冬の星過去は未完の物語

 

(17日)〇災害における弱者および「震災障害者」について

 先日阪神芦屋駅の踏切で高齢と見える男の人が転んだ。丁度信号が鳴り出し、遮断機が下りるところだった。すぐに線路の外に這い出してきたが倒れたままだった。丁度眼の前でみたので、ハットしたが、自分の体は動かなかったというか動こうとしなかった。

 その人はなかなか起き上がれなかったが、幸い別の人が抱き起した。足をひきずりながら帰っていったところを見ると、体の不自由なお年寄りのようであった。

 阪神淡路大震災に限らず、近来の豪雨や台風などの災害が起こったとき、高齢者、重病者、障碍者など弱者はより一層の困難を抱えることになるおそれがある。

 私の場合も、自分が逃げる、避けるなどに精一杯で、他を助ける、救うことに体が動かないような気がする。むろん、妻へどの程度気をかけるのかを含め、その時にならなければわからないことだが。

 今年は「震災障害者」との言葉が特に気を惹いた。

 2007年、発災当時から阪神淡路大震災の被災者を支援し続けてきたN神戸市のPO法人「よろず相談室」は次のように述べている。

〈◇なぜ震災障害者か:1.震災によって障害者になること

 震災障害者の特異性(平常時に障害を負う場合との違い)は、障害を負った人を支える環境が震災によって壊れてしまうという点にあります。つまり、本人の障害の問題だけでなく、家族や住まい、地域の繋がり、いちどに何もかもが奪われるのです。

 ・災害時じたばたせんと春を待つ

 

(18日)〇一人ひとりに寄り添って

 昨日、NHKスペシャル『阪神・淡路大震災25年▽あの日から25年大震災の子どもたち』を見る。番組案内は次のようになっている。

〈阪神・淡路大震災から四半世紀、25年の歳月が過ぎた。この節目の年に私たちは、社会心理の専門家とタッグを組み、これまで前例のない大規模調査を行った。

 対象は震災当時、小・中学生(6~15歳)だった子ども、いわゆる“震災の子”だ。現在31~40歳となった5000人に、震災が「その後の生き方」や「進路」などにどのような影響を与えたか聞いた。集計・分析が進む中で、専門家も驚く結果が明らかに。「家族を亡くした」「自宅が全壊」など、被災程度が高い人の6割近くが「今では震災体験を前向きに捉えている」と答える一方で、「今も思い出したくない」「触れて欲しくない」と答える人が2割近くに上った。いわゆる「二極化」が起きていたのだ。〉

 この番組に、具体的な3人の方の経緯を追いながら、全体像と交差させていたのが印象に残った。

 大きな災害が起こると、往々にして、当事者の声以上に災害の内容や背景についての論説が多くなる。一人ひとり状況は大きく違うだろうし、25年の歳月は、なおさらと思う。

 V・フランクルに次の言葉がある。〈「医者が見ているのは、いつだって人間ではなく、「ケース」なのです。「この人」ではなく、「これは」なのです。」〉

 なにごとも、一人ひとりに寄り添って、そこから見ていくことが大事ではないだろうか。 

・冬銀河一人ひとりの物語