日々彦の文芸欄

日々彦の俳句日誌、随筆、講演、紀行文など

◎語り継ぐこと(「四季折々」2020年1月12日~18日)

〇病とともに「四季折々」2020年1月12日~18日)

(12日)〇岩崎航詩集『点滴ポール ~生き抜くという旗印』を読む

「津久井やまゆり園」事件については、少なからずの人が、植松被告は経済的に役に立つかどうか、生産性があるかないかで、人を判断する社会風潮が作り出した病だと指摘している。それに関連して、『点滴ポール ~生き抜くという旗印』のなかにある詩「貧しい発想」に触発されるものがあった。

・詩「貧しい発想」

管をつけてまで/寝たきりになってまで/そこまでして生きていても しかたないだろ?

という貧しい発想を押しつけるのは/やめてくれないか

管をつけると/寝たきりになると/生きているのがすまないような

世の中こそが/重い病に罹っている

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 私が90歳超えた義父と一緒に住みはじめた頃、介助されるような場面では、必ず「すまないなー」と付け加えていた。その時分は寝たきりになっていて、意識はしっかりしていたが、「長生きし過ぎた」と、もらすことも度々あった。  

 私が重度心身障害者など対象の仕事をしていたこともあり、寝たきりの人のことなども話題に上るようになっていた。あるとき義父から、「よくそんなんで生きていられるんだな」というようなことを言われて、戸惑ったことがある。

 これはどういうことだったのだろうか、私が義父のような状況になった時はどうなんだろうか。

 貧しい発想法は、結局のところ、自分自身をも縛ることになり、押しつけることになるのではないだろうか。

 ・冴ゆる月生き抜くといふ旗印

 

(13日)〇「誰もがある/いのちの奥底の/燠火(おきび)は吹き消せない/消えたと思うのは/こころの 錯覚」(岩崎航)

 あるインタビューに岩崎航は次のことを述べた。

(東日本大震災)は病を抱えた自分だけでなく、誰もが先の見えない大変な状況に陥った緊急事態。岩崎さんの心は、閉じていった。

「家族を含めて周りは皆、奔走するのに、自分は動けない。本当は自分も動きたいけれども、何もすることができないというのは、すごくつらいことだったんですね。それはやっぱり僕の中で今までにない経験。今まで、これほどの状況に追い込まれたことはなかったですね。自分は守られるばかり、助けてもらうばかりで、周りの人は奔走して、疲れていく。自分がこんなにも周りを疲労困憊させている。周りの人はそういうふうには思っていないんですけれども、私の心情として、周りが疲労困憊していく姿を見ることしかできない、本当に自分の存在はなんなんだという考えに傾いていきそうになる。それは今思うと、悪循環だと思うんです。答えはないし、そういうつらさは、震災に遭ったことで、改めて強烈に突きつけられたことなんです」

 いま私は、動くための基本的な歩くことが不不如意になり、何か人と一緒に行動するとき、「足手まといにならないように」と意識がのぼるようになる。まだチラッと思う程度だが。 今後どうなっていくのだろう。

・考える足に任せて老の坂

 

(14日)〇優れた記事を編集して紹介

 ブログ日々彦「ひこばえの記」の記に、【貧しい発想(岩崎航詩集『点滴ポール ~生き抜くという旗印』を読んで①)】を投稿した。併せて岩崎航のその頃の思いを伝えるインタビュー記事があり、それを紹介しようと考えた。

 その記録は心のこもった優れたもので、自分の見解をはさまず、それを短く編集したほうが良いと思って、【魂の奥底から思うこと(岩崎航詩集『点滴ポール ~生き抜くという旗印』を読んで。②)】として、①につなげた。

 自分の考えていることはささやかで限りがある。他の人の優れた記録があれば、紹介したいし、それを自分なり適宜編集しながら投稿していくこともありかなと思っている。

 この辺は著作権の問題もあり、原則として自分の見解も出していくことも大切にし、出典は正確に伝える必要もあると考えている。

※2015年5月、6月と読売新聞のヨミドクターの岩永直子さんから岩崎さんへ5回に亘って編集長インタビューがあり、その記録が、読売新聞・「yomiDr」に掲載された。

 本文の詩とともにいくつか編集してみた。

・猫の手も借りて乘り切る吾の子年

 

(15日)〇ユーモア精神で「老い」「病」を生きる

 わたしにとって「ああーいいな!」と思う老いの姿を巧みに描いた詩人に天野忠がいる。身の回りを鋭く観察して生まれた親しみやすい諧謔に満ちた作品が多く、澄んだ視線で老いをとらえる。老夫婦として生きる喜びとユーモアの精神がクッキリと浮かんでくる。「老い」や「病」を考えるときに天野忠のような視線は大事にしたいと思う。

 2編挙げる

 ・「覚悟」

真剣勝負せねばならんとしだなあ/この世の瀬戸際まできたんだから。

つくづく、じいさんはそう思う。

しかし/その真剣が見つからん・・・・

誰と勝負だって? /ばあさんが台所でひょいと顔をあげる。

昨日年金を貰ったので/今夜は久しぶりにうなぎである。

特上のその次のを/エイッと張りこんだ。

誰と勝負するのか/じいさんはまだ思案している。  

(天野忠『長い夜の牧歌 ー老いについての50片』書肆山田、1987より)

・「老衰」天野忠

十二月二十八日正午一寸前。

生まれて初めて へた、へた、へた、と 私は大地にへたばった。

両手をついて /足の膝から下が消えて行くのを見た。

七十八歳の年の暮れ。

スキップして遊んでいる子供がチラとこちらを見た。

走って行った家から人が出てきて

大地にしがみついている私を 抱き起こした。/「どうしました」

冷静に /私は答えた。/「足が逃げました」

(天野忠遺稿詩集『うぐいすの練習』編集工房ノアより)

・沸く国技館炎鵬の技の冴え

 

(16日)〇ブログ「広場・ヤマギシズム」について

 阪神・淡路大震災から25年、今年は特に、記憶・教訓を継承する重要性を語る論調が目につく。

 振り返って私が25年余所属した実顕地を離脱してから20年近くたつ。

  私は、2017年12月にブログ「広場・ヤマギシズム」を立ち上げた。

  そこに次のことを書いた。

〈理想を掲げたヤマギシズム運動、実顕地の影響の大きさを考えると、第三者的な視点による研究、真っ当な批判の類は、はなはだ少ないと思う。そこで、関心を抱く人や研究者などの究明や学びに役立つような資料・記録館などをつくれないものかと思っていた。

 この度いままでのブログなどを整理する中で、個人的なブログでは限界があるにしても、ささやかなものしかできないが、「広場」として立ち上げてもいいかなと思った。

 まず、自分が思っていることを発信することが基本原則だと思う。

 それに加えて、わたしが持っている資料や『山岸巳代蔵伝』、吉田光男さんの『わくらばの記』などの記事も生かしていきたいと思っている。〉

 今年は、それにも気をおいていきたい。

・冬の星過去は未完の物語

 

(17日)〇災害における弱者および「震災障害者」について

 先日阪神芦屋駅の踏切で高齢と見える男の人が転んだ。丁度信号が鳴り出し、遮断機が下りるところだった。すぐに線路の外に這い出してきたが倒れたままだった。丁度眼の前でみたので、ハットしたが、自分の体は動かなかったというか動こうとしなかった。

 その人はなかなか起き上がれなかったが、幸い別の人が抱き起した。足をひきずりながら帰っていったところを見ると、体の不自由なお年寄りのようであった。

 阪神淡路大震災に限らず、近来の豪雨や台風などの災害が起こったとき、高齢者、重病者、障碍者など弱者はより一層の困難を抱えることになるおそれがある。

 私の場合も、自分が逃げる、避けるなどに精一杯で、他を助ける、救うことに体が動かないような気がする。むろん、妻へどの程度気をかけるのかを含め、その時にならなければわからないことだが。

 今年は「震災障害者」との言葉が特に気を惹いた。

 2007年、発災当時から阪神淡路大震災の被災者を支援し続けてきたN神戸市のPO法人「よろず相談室」は次のように述べている。

〈◇なぜ震災障害者か:1.震災によって障害者になること

 震災障害者の特異性(平常時に障害を負う場合との違い)は、障害を負った人を支える環境が震災によって壊れてしまうという点にあります。つまり、本人の障害の問題だけでなく、家族や住まい、地域の繋がり、いちどに何もかもが奪われるのです。

 ・災害時じたばたせんと春を待つ

 

(18日)〇一人ひとりに寄り添って

 昨日、NHKスペシャル『阪神・淡路大震災25年▽あの日から25年大震災の子どもたち』を見る。番組案内は次のようになっている。

〈阪神・淡路大震災から四半世紀、25年の歳月が過ぎた。この節目の年に私たちは、社会心理の専門家とタッグを組み、これまで前例のない大規模調査を行った。

 対象は震災当時、小・中学生(6~15歳)だった子ども、いわゆる“震災の子”だ。現在31~40歳となった5000人に、震災が「その後の生き方」や「進路」などにどのような影響を与えたか聞いた。集計・分析が進む中で、専門家も驚く結果が明らかに。「家族を亡くした」「自宅が全壊」など、被災程度が高い人の6割近くが「今では震災体験を前向きに捉えている」と答える一方で、「今も思い出したくない」「触れて欲しくない」と答える人が2割近くに上った。いわゆる「二極化」が起きていたのだ。〉

 この番組に、具体的な3人の方の経緯を追いながら、全体像と交差させていたのが印象に残った。

 大きな災害が起こると、往々にして、当事者の声以上に災害の内容や背景についての論説が多くなる。一人ひとり状況は大きく違うだろうし、25年の歳月は、なおさらと思う。

 V・フランクルに次の言葉がある。〈「医者が見ているのは、いつだって人間ではなく、「ケース」なのです。「この人」ではなく、「これは」なのです。」〉

 なにごとも、一人ひとりに寄り添って、そこから見ていくことが大事ではないだろうか。 

・冬銀河一人ひとりの物語

 

 

◎病を楽しむ心(「四季折々」2020年1月5日~11日)

〇病とともに「四季折々」(2020年1月5日~11日)

(5日)「今年のささやかな抱負」

・一日一万歩:退院後から続いている。ぎこちなくても歩くことを大事に。さまざまな出会いを楽しみ、同時に自然界のもろもろについての感度を磨いていきたい。

・日録に一日一句添えて:病と向き合うことで老いる・生きることについてみていきたいと思っている。句日記として書いていましたが、再開しました。

・高次脳機能障がい支援の『アイズ』に関わる:身体が衰える前、50歳から15年ほど介護、福祉関係の活動をしてきた。主に精神障がい者や重度心身障がい者・児。そのとき対象者という目線で見ていたことが多かった。昨年難病を得ることで自分のこととなり、交流しながら共に探っていきたいと思っている。

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「正岡子規について」

 ここに来て、正岡子規が一層身近になってきた。

 晩年の仰臥状態になっても、『墨汁一滴』『仰臥漫録』『病床六尺』とさやかな日録を書きつづけ、数多くの短歌・俳句を詠んで、自分を客観視しつつ綴っている。

 『病床六尺』の「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事」、「病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない」などの言葉は、子規の症状を鑑みるとなお一層身に迫るものがある。

 子規よりはるかに軽微であるが、私の今の座右にしたい言葉でもある。

  自らの思い、感情などを忌憚なく書き表すことが、楽しく面白く生きる証であったようだ。

 そうした中で、諧謔精神、洒脱な遊び心があり、そこも魅力を覚える。

 (子規新年の俳句から)

・一年は正月に一生は今に在り(明治30年)

・蒲団から首出せば年の明けて居る(明治30年)

・めでさたも一茶位や雑煮餅(明治31年)

・雜煮くふてよき初夢を忘れけり (明治31年)

・歌かるた知らぬ女と拉びけり(明治33年)

・大三十日愚なり元日猶愚也(明治34年)

(私の今年の作品から)

・大晦日仏ソワソワ神ストレッチ 

・初詣よそ見していてこけにけり

・らりるれろ舌をほぐして雑煮餅 

・四苦八苦一日一句筆始

 

(6日)〇日々できるだけ歩くようにしている。

 身体的な衰えもすすんできて足元がふらつき、自分でも心もとない日々が続いている。不意に立ち止まるときや方向転換をするときにふらつきが激しくなることもあり、ひたすら歩くことに気をおいているので、歩きながら周りのことはあまりよくみれない現状だ。

 特に勾配のきつい坂道や階段の下りでは、身体のこわばりが激しくなり不安でもある。

 妻はそれ以上に不安で大層心配していると思う。出かけるときは二人で行動するようにしているし、妻はそれを当たり前のように思っているようだ。

 その時に妻は、私の斜め後ろから、いつでも手を添えることが出来る位置取りで歩むようになる。わたしも後ろの妻の様子を感じながら歩むことが多くなった。

 それでも歩くことを大事にして退院後から一日一万歩を目標にしている。ほぼ達成している。そのような状況ではあるが、同時に樹々、草花、雲、風、海、川など自然界のもろもろについて楽しんで観察するようにしたい。

 ・若菜野やけふも一日一万歩

 

(7日)〇生きるとは変化すること

 病気、老齢化よって身体が衰えていくというのは自分で作り上げた一番良い状態の基準から見た思い込みであり、「身体」は生まれてから何れのときでも、刻々と変わりながら、自分の状態とまわりの状況との平衡状態を保とうとする働きをしている。

 以前介護活動で高齢者や重度障がい者に接してきて、また、父母や義父母を見てきて、「この程度ならまだやれるはずだと思い込んでいる自分、あるいはそう思いたい自分」と「やれることが減っている現実の自分」にはギャップが出てくる。心身がある程度健康な時は適当な折り合いをつけながら暮らしていくのだが、老齢化により身体が弱ってくると、頭や想像力で考え感じていることと、実際の行為・行動の距離が益々大きくなり、その間の調整がつきにくくなる。

 他のだれかに言われるまでもなく、自分自身によって自己評価が下がることが、もっともつらく、受け容れ難いのだろう。

 このことは高齢者に限らないが、特に高齢期は身体的な衰微が目に見えるように進むので、それに伴って精神的な不安感がさし迫ってくるようだ。

 過去の自分というのは、現在の自分から見たら「他者」のようだとも思う。生きるとは変化するということであり、まさにそれが生命活動なのだろう。

 ・冬木立未生のいのち孕みつつ

 

(8日)〇できなくなることから「老い」を見据える。

 発達中の低気圧の影響で、各地で荒れた天気となり、近畿でも暴風警報が発表されていた。

 神戸では最大瞬間風速20m以上の個所があり、出かけようと思ったら突風に飛ばされそうになり、このようなときにも以前は出かけていることも多かったが、躊躇することなくすぐにやめた。今の身体の状態を的確につかんでおくことの大事さを思う。

 あることを出来ないことは、どうこうないが、何気なく出来ていたことができなくなるといろいろ思う。これからますます増えていくだろう。

 鷲田清一『老いの空白』のなかで、このことを問い続けている。

《〈老い〉とともに、ひとは人生を「できる」ことからでなく、「できない」こと、もしくは「できなかった」ことから見据えるようになるということだ。そして「できなくなる」こと、「できなかった」ことのほうからじぶんを見つめるようになるということは、何をする(あるいは、してきた)かというよりも、じぶんが何であるのか(あるいは、あったか)という問い、さらにはじぶんがここにいるということの意味への問いに、より差し迫ったかたちでさらされるようになるということだ。》(p127)

 ・できなくなることから見える老の春

 

(9日)〇「津久井やまゆり園」事件関連のニュースで次のことが印象に残った。

 2016年7月、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、障害者ら45人が殺傷された事件の裁判員裁判が8日、横浜地裁であった。

 初公判を前に7日、事件で亡くなった女性(当時19)の遺族が、女性の名を美帆さんだする手記を発表した。

 大きな殺傷事件が起こると、往々にして、被害者、当事者の声以上に事件の内容や背景についての論説が多くなる。

 特にこの事件は、被告が語った動機「意思疎通できない障害者は不幸しかもたらさない」。との思い込みから事件を起こし、一部そこに同調するような空気もある。

 それに対し様々な立場から、被告に直接向き合うことで、事件を乗り越えようとしている人たちが相次いでいる。

 だが、いろいろな事情から被害者、その家族からの声があまり表面に出てこない。

 その中で、事件で長男の一矢さん(46)が重傷を負った尾野剛志さん(76)、チキ子さん(78)夫婦は、実名を公表し、その意思を表明してきた。

  横浜地裁はこの裁判で、尾野一矢さん以外の被害者を「甲A」「乙B」などと呼び、匿名で審理し、美帆さんは「甲A」とよばれた。

  美帆さんのお母さんは次のようにいう。

〈どうして今、名前を公表したかというと、裁判の時に「甲さん」「乙さん」と呼ばれるのは嫌だったからです。話を聞いた時にとても違和感を感じました。

 とても「甲さん」「乙さん」と呼ばれることは納得いきませんでした。ちゃんと美帆という名前があるのに。

 どこにだしても恥ずかしくない自慢の娘でした。

 家の娘は甲でも乙でもなく美帆です。

 この裁判では犯人の量刑を決めるだけでなく社会全体でもこのような悲しい事件が二度とおこらない世の中にするにはどうしたらいいか議論して考えて頂きたいと思います。

 障害者やその家族が不安なく落ち着いて生活できる国になってほしいと願っています。

 障害者が安心して暮らせる社会こそが健常者も幸せな社会だと思います。

 2020年1月8日 19才女性 美帆の母。〉

  亡くなられた方、大きな傷を負った方の一人ひとりには、その人ならではの人生があり、物語がある。同時に、その親にも身内にもその子に対するさまざまな思い、物語がある。

 ・春着の娘のよだれふきふき我が膝に

 

(10日)〇最首悟さんと植松聖被告との手紙

「津久井やまゆり園」事件について、社会が事件を乗り越えるカギを探ろうと、植松被告と直接面会する人も出てきている。

 事件直後から新聞やインターネットで発言を続けてきた社会学者で、和光大学名誉教授の最首悟さんもその一人だ。

 最首悟さんの娘の星子さん(41歳)はダウン症で、重度の知的障害がある。最首さん夫婦は40年にわたって星子さんを自宅で介護してきた。

 最首さんは新聞の論評の中で、植松被告は社会が作り出した病だと指摘していた。経済的に役に立つかどうかだけで人を判断する、行きすぎた合理主義の風潮を感じ取ったからだ。

 また、「今社会には社会資本を注いでも見返りのない障害者や寝たきり老人は〝社会の敵”だと見做す風潮がある」とも指摘している。

 今年4月、そんな最首さんのもとに、論評を読んだ植松被告から突然手紙が届いた。そこから交信が始まった。

 その手紙は、神奈川新聞「カナコロ」に【〈序列をこえた社会に向けて〉やまゆり園事件 最首悟さんの手紙】に随時掲載されている。

 最首さんは次のようなことを述べている

〈植松青年に向かって、書くとか語るというのをこえていきますね。むしろ、もっと多くの人たちに向かって、答えていくということになるでしょう。重度の寝たきりの障害者とか、認知症老人というのは、意思疎通ができなくなったら、人間としては疑わしくなるんじゃないか。そういう考えは非常に多いと思う。それは違うということは指摘しなきゃいけない。〉

 私はこの事件は今の社会風潮を色濃く反映していると考えている。今回の障害者殺傷事件を通して、他人事としてではなく、自分の生き方の問題として考えていきたいと思う。 

   ・このままでいいはずないよ寒鴉

 

(11日)〇認知症になることは、不便だけども、不幸じゃない

 NHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」を見る。

認知症医療の第一人者、長谷川和夫さん(90)が、自らも認知症であることを公表した。その姿を一年に渡って記録したもの。

 長谷川さんが開発した認知症スケールは亡くなった義母の診断に使われていて関心を持ったことがある。

 〝君自身が認知症になって初めて君の研究は完成する″ かつての先輩医師の言葉を胸に、  御自分の姿を撮ってもらうことで、認知症がどういうものかを伝えたいという、認知症専門医・研究者としての矜持と時間の経過とともに症状が劣化していく様子がある程度記録されていたと思う。長谷川さんの表情も生き生きしていたような気がする

 奥さんの瑞子さんと娘の真理さんの葛藤もありながらも献身的な付き添いも印象に残った。 

 認知症専門医が認知症になったという現実をどう受け入れ、何に気づくのか。カメラには、当事者としての不安、家族の葛藤。その一方、専門医ならではの初めての気づきも記録されている。認知症になったら、不確かな状態がずっと続くと思っていたが、正常な状態も確かに存在するということ。言葉が分からくなって話せないのではなく、「自分の言葉」に自信がなくなり、殻に閉じこもってしまうということ。確かさを取り戻すためには、他者との絆が重要であることなどが記録されていた。

   むろん認知症といっても一人ひとり違いがあり類型化できないが、今のところ脳の萎縮は超高齢化社会において誰にでもついてまわるもので、誰もが認知症になりうる時代、このような記録はありがたい。

 症状は違うが、次第に自分も身近な人の強い支えがなければ暮らしていけなくなるおそれもあり、いろいろな心構えの参考になるような気がする。

 ・ 90年生かされ生きて冬温し

 

◎社会の一員として病とともに、(「四季折々」2019年12月29日~2020年1月4日)。

※ 令和元年11月に脊髄小脳変性症と診断される。それ以後の心身の変化をみながら、老いる・生きることについて社会状況を交えながら記録する。

 

〇病とともに「四季折々」(2019年12月29日~2020年1月4日)

(12月29日)〇脊髄小脳変性症と診断され。

 数年前から歩行が不安定になり始め、2年程前から歩行時のバランスがとりづらく立ち眩みが起こるようになった。3ヶ月程前からますます酷くなり病院で検査を受け、昨年10月23から3週間の予定でK病院に入院していた。

 結局、脊髄小脳変性症と診断され、11月13日に退院してきた。

 脊髄小脳変性症は小脳、脳幹、脊髄を中心として、運動のコントロールをつかさどる神経系に変性がおこり、全身の運動失調が徐々に進行していく疾患の総称。現時点で根本的な治療法はなく、厚生労働省の特定疾患(難病)に指定されている。

 その特徴として歩行障害:歩行不安定・困難、立ちくらみ、平衡障害:バランスがとりづらい。構音障害:ろれつがまわりづらい。嚥下障害:飲み込みにくい。いずれも数年前から徐々に進行していることで、ここにきて酷くなってきていた。

 この症状と向き合いながら、心身の経過を見て記録していこうと思っている。

・病を得てここを節目とこころ冴ゆ

 

(30日)〇年賀状を年末に書くのはどうなのか

 年末になると年賀状を作る。いつもパソコンを使って印刷している。文面はある程度考えて近況を伝えるが、一通りになりがちである。

 それでは失礼なので、一人ひとりに合わせ、手書きで一言添える。

 字はお粗末で、後から読むと自分でもよくわからないことがある。慎重に書こうとするが、変に曲がってしまうものが多い。

 手書きや絵入りの年賀はがきをもらうと、いいものだなとつくづく思う。

 磯田道史氏『江戸の備忘録』に次のことが書いてある。

〈江戸時代は、お正月になってから、年賀の書状をしたためた。このごろは、元旦に届けるため、年末に大忙しで書いているが、年賀状は本来、お正月を迎えてから書くものだから、正月休みにゆっくり書いても一向にかまわない〉

 改めて考えてみると、年末に正月用の葉書を書くのは変な気がしている。年初めに、それぞれの近況を垣間見るのは楽しいが、年改まって、すがすがしい気分で近況を書くことがいいような気がする。

・年用意切羽詰まって書く賀状

 

(31日)〇年の暮れに今年を振り返って

 26日に娘の夫の祖母が亡くなりました。86歳のとき大病を抱え、それと向き合いたいと、一志開催の研鑽学校に参加し、終えてすぐに、居宅に遊びにいらっしゃいました。シャキシャキした方で、今後のこと、その村のことなど話し合いました。

 今年同年代の友があい続けて亡くなりました。特にSさんとMさんとは45年来の交流があり、ずっしりと胸に応えるものがありました。

 一方年末に7人目の孫の誕生を知らせてくれた友人もいます。「アイズ」など新たな出会いもいくつかあります。

 わたし自身は難病にかかりました。人にとって死は必然的であり、病も何らかの要因があります。そのようになる流れがあるのでしょう。大ぶりな言い方になりますが、生老病死は天からの授かりものとも見えます。

 この病状とつき合うことで、老いる・生きることについて楽しくみていきたいと思っています。

 また、自分たちもどの人たちも、日々豊かに暮らせる社会の中で暮らしていけることを願っています。

・去年今年次代につなぐよきものを

 

〇あけましておめでとうございます

 正月になると、普段見慣れているものが、ほんの少しあらたまって見えるところが面白い。俳句季語は、初日、初春、初夢、初富士、初雀、初旅などなどきりがない。初をつけることで、今年一年のはじまりであり、こころ新たにそれと向き合うということだろう。

  夜中にさだまさしのコンサートを見る。今朝、いつも大雑把にしている「慈悲の瞑想」をゆっくり唱えてから起き、洗面、朝食、朝の体操と、一つひとつかみしめながら、だんだん雑になっていったが、どうも心の置き所によって、感じ方がずいぶん違ってくるものだ。

  “一期一会”の「生涯にただ一度まみえること。一生に一度かぎりであること」の意として使われる言葉がある。

 何事も今のこれはその場限りのことで、ものごとも人も出会いも、その時その時で違っていて、徐々に変化していくのだろう。

  日常のこまごましたことはともかく、病を抱えていても抱えていなくても、宇宙からの贈り物と見ている一生の一度の生を慈しみ、子規の言うように、それを楽しむといふことにならなければ、生きていても何の面白味もない。 

 今年もよろしくお願いいたします。

・それぞれの心にともる初明り

 

(2日)〇初旅に淡路島にいく

 昨日から淡路島に行く。さまざまな事情で1日と2日に子どもたちが来ないので、温泉に行きのんびり過ごそうと、年末に予約をとる。二人きりの元旦は義母が亡くなった翌年に一度あるきりで、おそらくこれからもないだろうと思う。

 淡路島はシンガポール島とほぼ同じ面積で森林は島の総面積の50%余を占め、鯛やしらすなどの海産物、タマネギやレタスなどの農産物など、豊かな自然や食の宝庫である。

 淡路ふれあい公園にある宿泊場は高台にありバスを降りてから10分ほどだが、そこに行くまでかなりの坂が続き、今の私にとっては大層なことで、帰りは下り坂になるのでタクシーを利用する。1年前にはとても考えられないことだ。

 温泉は地元の人に開かれていて、そこで知り合った人と話をする。これは面白かった。また、ヨタヨタしているわが身に、小さな子から大丈夫ですか声をかけられる場面もあった。

 宿泊客は子連れが多く、海産物は豊富で美味しくいただく。広い公園内は地元からの家族連れが凧揚げなどしていて、そこを散策しゆったりと過ごす。

・初旅や島へ海へとひかり舞ふ

 

 

(3日)〇息子と正月を

 本住吉神社に妻と初詣。息子が来訪。

 息子は12月仕事が予定より進まなくて、正月も仕事をする予定をしていたが、年末に機械が故障して、今回の来訪となった。機械屋さんは5日まで休みで、修理はその後になる。私たちから見たら、適度な骨休みになると思うが。

 一人で事業を切り盛りするのは容易のことではないと思う。金属加工という仕事柄もあるのか、何かあったとき、他の人に頼ることもできなく止まってしまう。

 機械リース代が2年間はかなりのもので、まずはここ2年を乗り切りたいといっている。

 だが、精密加工のものづくりは、個人として是非やっていきたかったことで、私たち夫婦が年末の大掃除など随時訪れると、何よりも楽しそうな様子を見て、まずはよかったなと思う。

 この度も、結構楽しそうにくつろいでいた。

 彼は最近趣味として、もの作りを動画に撮り、ゆくゆくはYouTubeに載せたいと思っていて、一緒に探っている。新しいことを息子と共にするのは面白い。

・ 初稽古ともに課題に立ち向かふ

 

(4日)〇社会の一員として

 昨年の入院中妻を通して、親しくしている福島の友人からの報告をいろいろ聞いた。

 10月の19号台風により、浸水被害、泥水による家・家具などの惨状、壊れた建物など惨憺たる状況があちこちにあり、後片付けも遅々として進まず、日々いたたまらないそうである。聞いていても、何か重い感じになった。

 入院して症状は気になるとはいえ、治療に専念できる環境にいることはありがたいと思うが、決して当たり前のことではないのだとも思った。

 私の暮らし、病気といっても家族だけではなく社会状況と切り離すことはできない。身近なことだけではなく、社会のことにも目を向け続けていくこともしながら、難病にかかり苦労を重ねている当事者や家族をはじめ、次の世代につながるものを考えていきたいと思っている。

 ・社会とは個々の集まり冬銀河 

 

◎日々彦「詩句ノート」、『石原吉郎句集』と短歌集『北鎌倉』

〇『石原吉郎句集』と短歌集『北鎌倉』

 石原吉郎(1915-1977)は、1945年ソビエト軍に抑留、25年の「重労働刑」を宣告されシベリアの強制収容所で服役。1953年スターリン死去に伴う「特赦」により帰還、その後、本格的に詩を書き始め、その分野で注目されるようになり、1970年前後・55歳頃になって、シベリア体験から得た思想を書き継いで『望郷と海』などのエッセイ集を刊行する。 

  • 『石原吉郎句集』

 『石原吉郎句集――附句評論6』は、1974年2月に深夜叢書社から発行されており、「俳句155句」「自句自解」「他人の俳句から」「定型についての覚書」「賭けと poesie」「俳句と〈ものがたり〉について」「あとがき」によって構成されている。

 

・その少女坐れば髪が胡桃の香

・リスボンはいかなる町ぞ霧の燭

・無花果や使徒が旅立つひとりづつ

・懐手蹼(ミズカキ) そこにあるごとく

・懐手蹼(ミズカキ)ありといつてみよ(改作) ※

 

・縊死者へ撓む子午線 南風(ハエ)のair pocket

・百一人目の加入者受取る拳銃(コルト)と夏

・林檎の切口かがやき彼はかならず死ぬ

・緯度ひとしき政変ヨットかたむき去る

・独立記念日火夫より不意に火が匂ふ

 

・「犬ワハダシダ」もはや嘘をつくまでもない

・柿の木の下へ正午を射ちおとす

・夕焼けの壁画を食らふ馬ばかり

・告発や口笛霧へ射ちこまる

・薔薇売る自由血を売る自由肩の肉(シシ)

 

・ジャムのごと背に夕焼けをなすらるる

・夕焼けが棲む髭夜が来て棲む髭

・立冬や徹底的に塔立たず

・ハーモニカ二十六穴雁帰る

・けさ開く芥子あり確(シカ)と見て通る

 

・無花果や使徒が旅立つひとりづつ

・いちご食ふ天使も耳を食ふ悪魔も

・われおもふゆゑ十字架と葱坊主

・打ちあげて華麗なるものの降(クダ)りつぐ

・死者ねむる眠らば繚乱たる真下

・墓碑ひとつひとつの影もあざむかず

 

  • 短歌集『北鎌倉』

 短歌集『北鎌倉13』は、1978年に花神社から発行された。石原の死の直前に編集され校定されたが、死後〝石原吉郎遺稿歌集〟として出版された。全体は、「病中詠」「鍔鳴り」「 飲食」「切出し」「創傷」「塩」「北鎌倉」「発念抄」「すべては遠し」「生き霊」の部立てのもとに全部で99首が集録されている。

 

・今生の水面を垂りて相逢はず藤は他界を逆向きて立つ

・蹼の膜を啖(くら)ひてたじろがぬまなこの奥の狂気しも見よ

・「我れ渇く」無花果の成るもと飢ゑたりし〈彼〉

・男の子しもロトのごとくにふり向きて塩の柱となることありや

・「この病ひ死には到らず」発念の道なす途の道の 行く果て

・鎌倉は鎌倉ならじ鎌倉の北の剛毅のいたみともせむ

・飢ゑしも餓死には到る過程ならず われらはときに飢ゑにより樹つ

・北鎌倉橋ある川に橋ありて橋あれば橋 橋 なくば川

・塩のごと思想を口に含みてしをとこはいづれ 去りて還らず

・夕暮れの暮れの絶え間をひとしきり 夕べは朝を耐えかねてみよ

 

※参照:柴崎 聰「石原吉郎の俳句と短歌 」(日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 No.8,)

 

〇2019年四季折々(3月18日~24日)

(18日)・統計的、計量的発想から離れて

 最近あることから計量的発想について考えている。 私(たち)のものの見方に、統計的、計量的な発想から現象を一般化して分析したり判断しがちになる傾向がある。様々なものごとを見ていくとき、その一つひとつ、一人ひとりの多様な思い方、暮らしに向き合わずに、無機質な統計数字、計量的数字で見てしまいがちになることが多い。

 震災の規模、事件における死者、被害者の数、集団構成員の数、会社利益や収入の多寡、視聴率や人気投票等々、それによって一喜一憂、大小、軽重、ニュースの取りあげ方が左右される。 

 数字は内面化の困難な記号にすぎないものであり、一人ひとりの思いが員数に集約され数値化される数によってある方向性へと決まっていくことに抵抗感がある。統計数字はどこまでもある傾向であり、一つの目安となる場合もあるが、その意味するところの実態とはかなりずれたものであるとの認識が必要ではないだろうか。

(今日の一句)・社会とは個々のあつまり春の星

 

(19日)・墓碑ひとつひとつの影もあざむかず(石原吉郎)

 石原吉郎『望郷の海』は「確認されない死のなかでー強制収容所における一人の死」とのエッセイから始まる。 〈ジェノサイド(大量殺戮)という言葉は、私にはついに理解できない言葉である。ただ、この言葉のおそろしさだけは実感できる。ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、ひとりひとりの死がないということが、私にはおそろしいのだ。人間が被害においてついに自立できず、ただ集団であるにすぎないときは、その死においても自立することなく、集団のままであるだろう。死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。〉

「生においても、死においても、ついに単独であること。それが一切の発想の基点である。」

 そのような一人ひとりによって社会、共同体、集団など形態はどうであれ成り立っているのであり、その観点を心において、個々の私的体験とその背景をみていきたいと思っている。

(今日の一句)・陽炎や一人ひとりにつきまとふ

 

(20日)・桑田佳祐、大衆音楽史を語る

『桑田佳祐 大衆音楽史「ひとり紅白歌合戦」〜昭和・平成、そして新たな時代へ〜』をみる。番組は、桑田が「ひとり紅白」の活動を通じて再発見した歌謡曲の魅力や先達たちへの思い、そしてその系譜に連なる「サザンオールスターズ」の知られざるエピソード、さらに桑田自身の新時代に向けた抱負までをも語ったスペシャルインタビューを収録。このインタビューを軸に、「ひとり紅白歌合戦」のえりすぐりの映像とともに、その世界をたっぷりお届けする内容。

 聞いていていいなと思っていた歌を、実際に歌ってみて、その世界がより迫ってくる醍醐味がたまらないというような発言が印象に残った。

(今日の一句)・心から歌いたくなる春野かな

 

(21日)・NHK『人間ってナンだ?超AI入門』第11回「老いる」をみる。

 誰しも避けられない老い。介護の現場には言葉にならない訴えを表情や動作から読み取るケアの達人がいるがその技術の伝承は難しい。その時AIはどんな助けをしてくれるのか? AIが支える人の老い、その未来は? 身体性を失い動物という存在から遊離していくかに見える人間はどう老いと向き合う? などを考える内容。

 適切に対応するようにプログラムを組むAIに対し、間違ったり戸惑ったりしながら熟達していくのが人間であり、むしろそこに面白さがあるのではないかななどと思った。

(今日の一句)・失敗は成功のもと山笑う

 

(22日)・イチロー選手引退に思うこと

 一昨年から身近な人の死去の連絡が続き、自分自身のことを考えても、今を精一杯生きることの連続だなと思っている。精一杯の中身が肝心であるが。

 イチロー選手に思うことは、「過去も未来も、いまここにしかない」と現在自分のやれることを精一杯生き切り、その積み重ねが明日につながるとのスタンスに魅力を覚える。その区切りとして、プロの現役野球選手としては引退することを決めたということだろう。これからどのような人生を歩むのか、楽しみにしている。

(今日の一句)・春の川過去も未来も今ここに

 

(23日)・「後から思うとすごい無駄だったってことはすごく大事なコト」(イチロー)

 イチロー選手のその都度の話しの内容に関心があり、自分にも引き付けて考えてきた。この機会に再度読み返しした。その中の次の言葉に印象が残った。

〈失敗をしないでたどり着いた人と全くミスなしで間違いなしでそこにたどり着いたとしても、まあつけないですけど。 そこにたどり着いたとしても深みは出ないですよ.

単純に野球選手としての作品がいいものになる可能性は、可能性ですよ。僕は無いと思います。

 やっぱり遠回りってすごく大事。僕の中で、無駄なことって結局無駄じゃない。でも今やっていることが無駄だって思ってやっているわけでは無いですよ。無駄に僕は飛びついているワケでは無いですよ。 後から思うとすごい無駄だったってことはすごく大事なコト。 合理的な考え方ってすごく嫌い。遠回りすることが1番近道だと信じてやっています。〉

 失敗や無駄だと分かったとき、そこから学びほぐして、まちがいからエネルギーを得て次に生かしていく。それがどのような今につながっていくのかを見ていきたい。自分のことも他者のことも。

(今日の一句)・春の泥遠回りする嬉しさよ

 

(24日)・息子が個人事業を立ち上げる。

 精密機械加工の事業所で、コンピューターのプログラミングを駆使してさまざまな製品をつくる仕事。精密加工のものづくりの世界に関心が高く数年前からその関連の会社につとめ、ある程度個人的にやっていくだけのめどがつき、41歳になるこの2月にオープンした。私たち夫婦は昨年何度か新事業所の内装や美化清掃を一緒にして準備を重ね、この度の開所祝いを兼ねての訪問となり、度重なる苦労を知るだけに感慨深いものとなる。

(今日の一句)・ものづくりのプログラミングのどけしや

◎日々彦「詩句ノート」、柳美里著『町の形見』

〇の巻末の挨拶文から

・言葉の解放(「静物画」パンフレット挨拶文)より

〈2011年三月十一日とその後に続く避難生活の中で声を呑み、感情を巻き添えにして沈黙を通している人は多い。

 言葉は、元来、声である。

 沈黙の中から感情を救い出し、言葉をゆすり動かすことができるのは、自分自身の声しかないのではないか――。

 自分の口から発した声は、他人の鼓膜を震わせる。

 声によって、感情や言葉は自分の中から持ち出され、他者に伝わる。

 人前で声を発するのは、たいへん不安なことだし、時には恐ろしいことである。〉

 

〈彼らの声の源にある感情を、彼らとともに大切に丁寧に扱った。

 彼らと「静物画」という芝居を創る過程で、わたしは、彼らの中で声が生まれ、外に出たがっている瞬間にいくつも立ち会うことができた。

 彼らは、自分と外界を隔てる境界線でもある体の中から、声を発することによって自分を解き放った。

 演出者冥利に尽きる、と言っても良いのではなかろうか?〉 

 

・記憶のお葬式(「町の形見」チラシ挨拶文)より

〈わたしにとって、他者はいつでも分厚い壁のように隙がなく、入り込む余地がない不可触の存在だった。でも劇場を悲しみの水で満たすことができれば、自が他に、他が自に触れ、奇跡のように融合する瞬間が訪れる。それは至福の時でもあった――。」

 

〈人は記憶を抱えて生きている。

 生涯、生々しい感情を伴う大波のような記憶もあれば、日々の暮らしの中で

 繰り返されることによって刻まれるさざなみのような記憶もある。

 人は、誰しも死ぬ。

 死ねば、夥しい記憶の群れもまた、無になる。

 生あるうちに大切な記憶に別れの言葉を述べ、懇ろに弔いたい。

 『町の形見』は、記憶のお葬式です。

 あなたに形見分けを贈ります。〉

-

・悲しみの物語(「町の形見」パンフレット挨拶文)より

〈「町の形見」では、過去を現存させるために時間の蝶番を外すことだけにわたしは注力した。

 過去からきて未来に向かう――、それは現実社会に都合の良い一つの時間の見方にすぎない。

 過去に存在したものや出来事は、今は無いのではなく、今にも未来にも存在する。

過去も未来も、いまここにしかない。

 様々な過去や未来を包括した今を、今ここで経験することができるのが、演劇なのである。〉

 

〇2019年四季折々(3月11日~17日)

(11日)・しら梅の泥を破りて咲きにけり(照井翠)

 東日本大震災関連の報道に触れて、困難な状況の中で「生きる」ことについていろいろ思う。いろいろな困難を乗り越えて、あるいは抱えながら今に向かい合う人、明日に向かっていく人、一方、年齢に応じて心身ともに困難が増してきて、悶々とした日々を送る人、「死んだ方がましだ」と思いながら暮らしている人などに対し、いずれにもさまざまな思いが出てくる。

 どんなに年を取ろうと、どんなに重い病気になろうと、どんな苦境に立とうと、人間はよりよく生きたいという本能的なものをもっていると思われる。それは簡単にはなくならないはずである。一人ひとりの心の持ちようが肝心であるが、それが引き出されていく支援も欠かせないと思う。

(今日の一句)・不安抱く人のこころへ雪解風

 

(12日)・草の戸も住みかはる世ぞ雛の家(芭蕉)

 NHKスペシャル『終の住みかと言うけれど…~取り残される被災者~』を見る。

〈震災から8年。被災地ではほぼ全ての災害公営住宅が完成するなど「終の住みか」の確保は順調に見える。しかし、そこには時が経ったからこその課題が重く横たわる。度重なる転居で人々の繋がりが分断され、コミュニティーを保てない集落が続出。支援の打ち切りも相次ぎ、高齢者の孤立化や孤独死の問題などが顕在化している。さらに、震災直後から壊れたままの家に住み続け、今も厳しい暮らしを強いられている「在宅被災者」が多くいる実態も明らかに。“住まいがある”として支援制度の枠組みから外されているのだ。一方、避難者の帰還政策が進む福島。待ちわびた「終の住みか」に戻れたものの、故郷の姿が変わり果てたことを目の当たりにして、ふるさとの「第二の喪失」とも呼ばれる大きなダメージをこころに受けている。〉との内容。

「終の住みか」は、これから死ぬまで安住する所をいうが、そこには安定、安心して暮らしていきたいという思いがあるのだろう。それとともにつながる人の環が大きいと思う。

 私は福島で生まれてから、10回以上住まいが変わってきた。今のところに居心地の良さを感じているがこだわりはない。芭蕉のように「日々旅にして旅を栖とす」というにはほど遠いが、その時の状況に応じて考えていければいいと思っている。

(今日の一句)・ふるさとは生涯持たず春の波

 

(13日)・俳句詠みいじめ克服羽化揚羽(小林凜)

 松村 亜里『世界に通用する子どもの育て方 』を読み、ポジティブ心理学の研究に関心を寄せている。ポジティブ心理学は、「幸福になるにはどうすればいいのか」を科学的に探究するもので、個人や社会を繁栄させるような強みや長所を研究する心理学の一分野である。

 本書は彼女の体験からの裏付けに、ポジティブ心理学とウェルビーイングの最新研究成果のエビデンスを踏まえて、具体的な工夫の仕方を提示していることが大きな魅力になっている。

 あとがきに「私はこの本に役立つことを書いたつもりですが、正しいことを書いたわけではありません。正解はどこかに一つあるものではなく、それぞれの中にあるものです。」とあり、研究者として真っ当のことと思うが、きちんと述べていることに強い印象が残った。

(今日の一句)・蛹は蝶に不思議を問うやしなやかに

 

(14日)・地の涯に倖せありと来しが雪(細谷源二)

「幸せ」や「健康」という極めて主観的な感情を科学的にとらえることは、かなり難しいとされてきた。科学のルールとして「相関関係は因果関係を含意しない」がある。因果関係を明確に示すデータや再現性がないと「科学的に立証された事実」とは認められない。

 だがそれは多くの人にとって関心の高いものであり、一部の研究者の大きな目標課題でもあった。近来の分野を超えた研究者、科学者などの研究成果で、幸福や健康についての知見が高まってきたし、そのことを専門に考察する人も増えてきて、人がどうすれば幸福になるかというテーマは、分野を超えて大きな課題になってきている。

 私も、自分の日々の活動が、ささやかでも幸せな社会につながるかどうかには留意していきたいと思っている。

(今日の一句)・間違いを認め膝つき冴え返る

 

(15日)・真砂なす数なき星の其中に吾に向ひて光る星あり(正岡子規)

 科学番組BS「コズミック フロント☆NEXT」を見る。〈2014年、私たちの地球は5億光年もの大きさのラニアケア超銀河団の一員であることがわかった。ラニアケア超銀河団は10万の銀河が川のように1か所に向かって流れている構造となっている。この発見をもたらしたのは、銀河の位置と動きを示した宇宙地図だ。そして2019年1月、さらに範囲を広げた新しい宇宙地図が発表された。天文学者たちは、どのようにしてこの宇宙地図を作ったのか? 壮大な研究の最前線に迫る。〉

 この番組を見ていると、その中で、今地球上で起こっていることや私たちの捉えているものが自分の感覚にすぎないことを思う。そこであれこれ考えてはいるが。

(今日の一句)・春星やひとは宇宙の落としもの

 

(16日)・こみあげる怒りを内に留めおれば五臓六腑は静かに腐る(高橋美加子)

 柳美里著『町の形見』を読む。この作品をとおして、東日本大震災のような社会的影響に及ぶものから個人的なものまで、ある体験を語ることや、戯曲・小説など文芸作品として表現することについて考えた。

 本書は、東日本大震災直後の2011年4月、全域が警戒区域に指定された南相馬市小高区など同市で生まれ育った70代の男女8人の、震災時とそれまでの人生体験の記憶を舞台上に再現することを意図した戯曲である。本人たちとその人に応じた黒子のように寄り添う若い役者が劇中劇のように交互に記憶の情景を演じるように構成されている。

 私は再度福島に行き現地を見て、いわき市に在住している親しくしている友人夫妻からそのときの話を伺っていた。旦那は水産関連の仕事に携わっていて、港の近くからようやく逃げ帰ったという。その後会社は営業できなくなり、しばらく救援活動をしていた。奥さんは教育関連の仕事をしていて、子どもたちの様子など当事者ならではの身に迫る表現などを思い出しながら読んでいた。

(今日の一句)・瓦礫つむ広野の里に白き梅

 

(17日)・こしかたもゆくすえもなしあるはただまわりてめぐるいまのつらなり(高橋美加子)

「町の形見」パンフレット挨拶文には、〈「町の形見」では、過去を現存させるために時間の蝶番を外すことだけにわたしは注力した。過去からきて未来に向かう――、それは現実社会に都合の良い一つの時間の見方にすぎない。過去に存在したものや出来事は、今は無いのではなく、今にも未来にも存在する。過去も未来も、いまここにしかない。様々な過去や未来を包括した今を、今ここで経験することができるのが、演劇なのである。〉とある。

 おそらく上演されることで、当時の状況が演ずる人はむろん、観劇する一人ひとりに突きつけるものがあるのではないか。生の声で演じることを想定した時空を超えた戯曲、演劇のもっている大きな可能性を感じさせる作品になっている。

(今日の一句)・今ここのひかりに集う百千鳥

◎日々彦「詩句ノート」、正岡子規の俳句、短歌など

〇正岡子規の俳句、短歌、随筆『病牀六尺』

 正岡子規(1867年―1902年)。1897年(明治30年)に俳句雑誌『ホトトギス』を創刊。子規31歳の1899年夏頃以後は脊椎カリエスからほとんど病床を離れえぬほどの重症となり、数度の手術も受けたが病状は好転せず、やがて臀部や背中に穴があき膿が流れ出るようになる。苦痛を麻痺剤で和らげながら、俳句・短歌・随筆を書き続け、母や妹の介護を受けながら後進の指導をし続け、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした。こうした地獄のような苦しみに耐えかねて、一度、自殺を企てたことがある。このような中で、日々の雑観を随筆『病牀六尺』に書き続けた。その年の9月に亡くなる。享年34歳

 

「俳句」

・妹が頬ほのかに赤し桃の宴

・毎年よ彼岸の入に寒いのは

・行く人の霞になつてしまひけり

・うつむいて何を思案の百合の花

・牡丹画いて絵の具は皿に残りけり

・六月を綺麗な風の吹くことよ

・夏羽織われをはなれて飛ばんとす

・柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

・赤とんぼ筑波に雲もなかりけり

・秋晴て故人の来る夕哉

・長き夜や千年の後を考へる

・松山や秋より高き天主閣

・柿くふも今年ばかりと思ひけり

・行く我にとゞまる汝に秋二つ

・鶏頭の十四五本もありぬべし

・蒲団から首出せば年の明けて居る」

・いくたびも雪の深さを尋ねけり」

「絶筆三句」

 明治35年9月19日、7年に及ぶ病魔との闘いを終えてこの世を去る。死の半日ほど前、紙を貼りつけた画板を妹の律に用意させ、そこへしたためた辞世の句。

・糸瓜咲て痰のつまりし佛かな

・痰一斗糸瓜の水も間に合はず

・をとゝひのへちまの水も取らざりき

 

「短歌」

・人も来ず春行く庭の水の上にこぼれてたまる山吹の花

・くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる

・松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く

・いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす

・瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり

・足たたば不尽の高嶺のいただきをいかづちなして踏み鳴らさましを

・足たたば黄河の水をから渉り崋山の蓮の花剪らましを

・足たたば北インヂヤのヒマラヤのエヴェレストなる雪くはましを

・ひさかたのアメリカ人のはしめにしベースボールは見れとあかぬも

・國人ととつ國人とうちきそうベースボールを見ればゆゆしし

・若人のすなる遊びはさはるあれどベースボールに如く者あらじ

・球と球をうつ木を手握りてシャツ着し見ればその時思ほぬ

・九つの人九つのあらそいるベースボールの今日も暮れけり

・いまやかの三つの塁に人満ちてそぞろに胸のうちさわぐなり

・ベースボールうちはつす球キャッチャーの手にありてベースを人のゆきかてにする

・うちあぐるボールは高く雲に入りて又落ち来る人の手の中に

 

(随筆『病牀六尺』より)

 一「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅わずかに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団ふとんの外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚はなはだしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤まひざい、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪むさぼる果敢はかなさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪しゃくにさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。年が年中、しかも六年の間世間も知らずに寐て居た病人の感じは先づこんなものですと前置きして(五月五日)

 

 二十一「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。」(六月二日)

七十五「 病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の 面白味もない」 (七月二六日) 

 

〇2019年四季折々(3月4日~10日)

(4日)・NHKスペシャル「“黒い津波”知られざる実像」をみる。

〈東日本大震災は、膨大な津波の映像が克明に記録された、初めての大災害だった。陸地に到達した当初は透明だった津波が、そのわずか5分後には真っ黒な色に変わっていた。“黒い波”はどのように生まれたのか? 当時のまま保管されている黒い海水を専門家が分析したところ、純粋な海水のみだった場合に比べ、黒くなったことで津波は強い破壊力を持ち、人々の命を奪っていった実態が明らかになった。黒い波は、より多くの建物を破壊し、がれきを巻き込み、このがれきがさらなる大量破壊の連鎖をもたらしていた。また、亡くなった人たちの「死因」について、これまでは9割が溺死とされてきたが、法医学者などは、土砂による窒息やがれきによる圧迫死など、複合的な原因もあったのではないかとみている。〉

 海が廃棄物、不溶性の有機物などによるヘドロ化しており、それらを巻き込んだ“黒い津波”となって襲ってきた。津波という自然災害に文明によるものが重なった災害だろう。

 (今日の一句)・春怒涛黒い津波の文明災

 

(5日)・「いやが上にも災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのものなのである。」

 1934(昭和9)年、寺田寅彦『天災と国防』で次のようにいう。〈文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻おりを破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊ほうかいさせて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである、災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのものなのである。〉

 少し飛躍するが、文明発展や経済成長は、便利さとひきかえに不自然な日常をおくっていることになるかもしれない。

 (今日の一句)・春星や過去を未来へ語り継ぐ

 

(6日)・「心のケアを担うこころとは」

 震災と原発事故から8年たつが復興とはほど遠い現実が次々と明らかになっている。原発事故のあった福島県では震災関連死が年々増えているという。少なからずの人が、この先まったく希望がもてなくて、悶々としている人もいる。

 知人から次の連絡を受けた。「現在まで約8 年間、 心のケアをおこなう人として被災地支援を継続してきました。『心のケアは大事であるが、何が心のケアなのか』そんな疑問を抱えながら活動を続けています。」

 (今日の一句)・わが内の解けぬ瓦礫や春愁ひ

 

(7日)・「病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない」(正岡子規随筆『病牀六尺』より)

 明治の文学者・正岡子規の結核、脊椎カリエスと戦った35年の生涯を残された貴重な日記などから読み解く番組が放映された。苦痛を麻痺剤で和らげながら、俳句・短歌・随筆を書き続け、母や妹の介護を受けながら多くの人と交流し、後進の指導をし続けた。

 1946年の世界保健機関憲章草案において、「健康」とは身体的、精神的、社会的にわたる良好な状態(well‐being)にあることとし、「健康」を全人的にとらえるようなってきた。

『病牀六尺』に「余は今まで禅宗の所謂悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。」との言葉もある。

 子規は寝たきりの大病にも関わらず、ある意味「健康」だったのではないかなと思った。

 (今日の一句)・今ここに幸せありや不如帰

 

(8日)・2画面ドキュメンタリー「無人の町から8年~福島県浪江町~」から

 東日本大震災・原発事故で、一度は無人の町となった福島県浪江町。震災直後の8年前の映像と全く同じアングルで今の姿を切り取り、その歳月を問う2画面ドキュメンタリー。

 2年前に町の中心部は避難指示が解除された。人はどれだけ戻っているのか? 何が変わっているのか、いないのか?さまざまな決断をした人たちの思いとは?町の再建、積みあがる汚染土、新しい大規模太陽光施設など、8年の歳月が語るものとは何なのか?〉

 この左右の2画面で見ると、一人ひとりの心の面は分らないにしても、大災害・人災と復興がどのようなものなのか映像が持っている喚起力を思う。

 (今日の一句)・強いられし無人の街にふきのとう

 

(9日)・松村亜里『世界に通用する子どもの育て方 』から

 本書は「何をすると子どもがダメになるのか」ではなく、「どのような関わり方が子どもの幸せにつながるのか」という視点から、科学的に探究を重ねてきて、質の良い親子関係、人間関係が子どもの健康、幸福度を高めることや「統制型」、操作的ではなく、一人ひとりの子どもを尊重し信頼しその子が持っている自律性が発揮できる「支援型」で寄り添うことが大切など語られる。彼女の子ども時代や二人の子育てなど、いくつかの失敗を重ね、必ずしも順調ではなかっただろう体験からの裏付けに、ポジティブ心理学とウェルビーイングの最新の研究成果研究成果のエビデンスを踏まえて、具体的な工夫の仕方を提示していることが、本書の大きな魅力になっている。 https://wellbeing-education.org/about/

(今日の一句)・失敗から学ぶ熱意に山笑ふ

 

(10日)・「少しでも幸せな家族が増えることを願って」

『世界に通用する子どもの育て方 』の「あとがき」の言葉から。

 彼女の子ども時代は、わたしの子どもたちと同じ学園で育った。その頃そこは極度の統制型であり、私も関わりのあるところでもあり、その子たちが、大人になりどのような子育てをしていくのかに、関心を寄せている。

 昨秋、娘が出産した。この書をとおして、娘夫婦といろいろな話をするのを楽しみにしている。また、子育てに限らず、ひとりの人間としてわきまえていくことが書かれていると思うし、引き続き考えていきたいと思っている。

(今日の一句)・春の海愛され愛することを知り

 

◎日々彦「詩句ノート」、V・E・フランクル『それでも人生にイエスという』

〇V.E. フランクル『それでも人生にイエスと言う』の言葉から

・私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているのです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答を出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。

 

・私たちはさまざまなやり方で、人生を意味のあるものにできます。活動することによって、また愛することによって、そして最後に苦悩することによってです。苦悩することによってというのは、たとえ、さまざまな人生の可能性が制約を受け、行動と愛によって価値を実現することができなくなっても、そうした制約に対してどのような態度をとり、どうふるまうか、そうした制約をうけた苦悩をどう引き受けるか、こうしたすべての点で、価値を実現することがまだできるからです。

 

・収容所の中では自分が無になってしまっていたのです。生きながら死んでいたのです。私たちは何ものでもなかったのです。私たちはたんに無を見たのではなく、無だったのです。生きていてもなんということはありませんでした。死んでもなんということはありませんでした。私たちの死には光輪はありませんでしたが、虚構もありませんでした。死ぬということは、小さな無が大きな無になるだけのことだったのです。そして死んでも気に留められることはほとんどありませんでした。とっくの昔に「生きたまま」死ぬ前に死を体験していたからです。

 

・苦難と死は、人生を無意味なものにはしません。そもそも、苦難と死こそが人生を意味のあるものにするのです】。人生に重い意味を与えているのは、この世で人生が一回きりだということ、私たちの生涯が取り返しのつかないものであること、人生を満ち足りたものにする行為も、人生をまっとうしない行為もすべてやりなおしがきかないということにほかならないのです。

 けれども、人生に重みを与えているのは、ひとりひとりの人生が一回きりだということだけではありません。一日一日、一時間一時間、一瞬一瞬が一回きりだということも、【人生におそろしくもすばらしい責任の重みを負わせている】のです。その一回きりの要求が実現されなかった、いずれにしても実現されなかった時間は、失われたのです。

 

・人生を意味のあるものにできるのは、第一に、なにかを行うこと、活動したり創造したりすること、自分の仕事を実現することによってです。第二に、なにかを体験すること、自然、芸術、人間を愛することによっても意味を実現できます。第三に、第一の方向でも第二の方向でも人生を価値あるものにする可能性がなくても、まだ生きる意味を見いだすことができます。自分の可能性が制約されているということが、どうしようもない運命であり、避けられず逃れられない事実であっても、その事実に対してどんな態度をとるか、その事実にどう適応し、その事実に対してどうふるまうか、その運命を自分に課せられた「十字架」としてどう引き受けるかに、生きる意味を見いだすことができるのです。

 

※参照:『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル/山田邦男、松田美佳訳(春秋社、1993年)

 

〇2019年四季折々(2月25日~3月3日)

(25日)・麻痺の手に残る力でゆび言葉わが掌にさよならの文字(麻酔科医・外須美夫)

  昨日NHKスペシャル「大往生~わが家で迎える最期~」を見る。内容は次のようになる。

〈「人生の最期をわが家で」は、多くの人の願いだ。国も医療費抑制などのため在宅医療を推奨し、増えていく見込みの自宅での死。しかし、現実には介護する家族の高齢化や疲弊、貧困などさまざまな問題が立ちはだかる。そんな現場に身をおく80歳の老医師がいる。埼玉県新座市の堀ノ内病院の小堀鷗一郎さんだ。森鷗外の孫で、かつては東大病院の外科医として活躍した老医師が、最後にたどり着いたのが“死に際の医療”を地域で行う在宅医だった。死の床にある患者と同世代、いわば“老老医療”である。患者にかける言葉は友人同士のようであり、時にハッとするほど厳しく、時に深く共感しつつ、等身大で向き合う。その人らしい最期の時間を患者や家族たちと話し合いながら作っていく。〉

 この番組は、超高齢化社会を支える在宅医、医療制度や福祉制度、老々介護などの介護を巡るありようという普遍的な内容や問題提起をしながらもただそれだけじゃない内容だ。それぞれの当事者や家族の姿、そして小堀医師の姿・ことばが心に残る。

(今日の一句)・うららかや病者に寄り添う人と人

 

(26日)・春眠のつづきのやうに母逝けり(藤ゆきこ)

 番組の中で、小堀医師がもっとも気にかけている親子、末期の肺がんを患う84歳の父と介護する全盲の47歳の娘と小堀医師の心の交流が特に身に染むものだった

 幼いころ視力を失った娘を両親は一生懸命育ててきた。8年前に妻が脳梗塞になり、父が二人の世話を一人で担ってきたが、妻もなくなり、父も末期の肺がんで寝たきりになった。

 病院で病名がわかったときに在宅で治療するか、入院するかと聞かれた父が、「不自由な娘がいるので、入院はしたくないです」と答えた。娘は父の気持ちを叶えたいので、在宅で介護しようと思ったという。

 診療以外の日も、2人の様子を見に行く小堀医師。ある日、娘さんから「父の反応がない」と小堀医師のもとに連絡があり、結局息を引き取ることになる。

「これが最期だね」と小堀医師がいうと、それを聞いて娘さんは、お父さんが、足が痛いというようなことを言ったときに、お父さんに対して「そんなこと言わないでと泣いちゃった。泣かなければよかった」といったときに小堀医師が次のようにいう。

「笑ったり怒ったりそれが当たり前なんだよ。それが家族なんだよ。」

 医師は医師として、当事者は当事者として、介護者は介護者として精一杯気負いなく生き抜いていき、お互いのことばの一つ一つが、慈しみに満ちたもので、まさに大往生でした。

((今日の一句)・眼の力失せたる義母へ梅一枝

 

27日)・一日に何度も笑ふ笑ひ声と笑ひ顔を君に残すため(河野裕子)

 上記は乳がんで亡くなった歌人河野裕子の病中吟。

 小堀医師と父娘の交流から、V・E・フランクル『それでも人生にイエスという』(春秋社、山田邦男・松田美佳編訳)の次の言葉を思う。 

〈なにをして暮らしているか、どんな職業についているかは結局どうでもよいことで、むしろ重要なことは、自分の持ち場、自分の活動範囲においてどれほど最前を尽くしているかだけだということです。活動範囲の大きさは大切ではありません。大切なのは、その活動範囲において、最前を尽くしているか、生活がどれだけ「まっとうされて」いるかだけなのです。〉

〈「私は人生にまだなにを期待できるか」と問うことはありません。いまではもう、「人生は私になにを期待しているか」と問うだけです。人生のどのような仕事が私をまっているかと問うだけなのです。〉

 本書は、ナチスによる強制収容所の体験として全世界に衝撃を与えた『夜と霧』の著者が、その体験と思索を踏まえてすべての悩める人に「人生を肯定する」ことを訴えた講演集。

(今日の一句)・鶯やなにを期待す人生は

 

(28日)・死ぬときは箸置くやうに草の花 (小川軽舟)

 昨日友人の93歳になる父親が亡くなる。妻同士は頻繁に電話交流をしていて、話題が一緒に暮らしている友人の両親のことに及ぶことがあり、ある程度様子はつかんでいた。お互いにいろいろ思うことはあり、大笑いしながら愚痴も含めて話し合うことも多い。

 医療や介護体制のこともあるが、身近に忌憚なくやり取りできる仲間がいることは大きいと思っている。

(今日の一句)・おしゃべりも介護のうちや山笑ふ

 

(3月1日)・生き代わり死に代わりつつわがうちに積む星屑にいのち華やぐ(柳澤桂子)

 老化ということ自体は自然現象であり、さほどの問題でなく、多くの身体、生理能力が減少するということは、中年や青年でも個人差の範囲に入り、相対的な問題である。

 老人問題は、一般的長寿化の時代にあっては、その病気にある。したがって医療体制や介護体制の充実が大きな課題となる。現状はまだまだの感があるが、そこに気をおいて活動している人も少なからずいる。

 なお、「在宅医療と在宅介護の現状と誤解・問題点」は『ケア大学』のHPに詳しく掲載されている。 https://caredaigaku.com/zaitaku-iryo-kango/

(今日の一句)・癒えずとも今日のいのちや木の芽和

 

(2日)・福寿草ふくらみふくらみ万力を聚(あつ)めてひらく光の中に(上田三四二)

『早春の六甲山と六甲高山植物園を訪ねて』に参加。最初に、薬用植物に詳しい沖和行氏の講座「植物のちから」を解説付きでスライドを見ながら早春の花やその薬効を学ぶ。

「花の色、葉の色、紅葉や落ち葉の色、そして植物の香りや味、そうしたものにも生きるための理由があり、私たち人類は古くよりそうした植物の力をうまく生活の中に取り入れてきた。病気を治し、健康を維持するために用いる薬のほとんどが植物から作られていることを、植物の目線からひも解いていくと生きるための仕組み『植物のちから』の一つを利用させてもらっているにすぎません。」という。

 妻は薬草に熱心で、わが家では皮膚などには手作りのドクダミ(十薬)液がもっとも身近な薬になっている。私も聞いていてとても面白かった。

(今日の一句)・六甲山友と十薬摘みにけり

 

(3日)・菫ほどな小さき人に生まれたし(夏目漱石)

 講義のあと、鶯の初音を聞きながら高山植物園へいき、沖氏の案内で散策する。この植物園は1933年(昭和8年)に開園。植物学者・牧野富太郎博士の指導を受けていたそうだ。普段なら見向きもしない野の草・花に話を聞きながらじっくり見ていく。

 この植物園で植栽では日本最大といわれる「バイカオウレン((梅花黄蓮))」があちこちにあり、とても小さく2~3センチぐらいで、地面に張り付いたように咲いていた。

 白い部分は花びらでなく、黄色の点に見えるのが花びらになるそうだ。花が白いウメのようで、オウレンというのは、黄色い根という意味で、切断してみると黄色がはっきりしているそうだ。こういうのはじっくり見ないとわからないので、感嘆しながら見ていた。

 (今日の一句)・梅花黄蓮の宇宙春の植物園

 

◎日々彦「詩句ノート」、浅井慎平句集から

〇浅井慎平句集から

・『ノスタルジア』(浅井愼平句集 2008)

「ノスタルジアは人生そのものである。人はなにかを見ればなにかを思い出す。五感すべてがノスタルジアの装置というわけだ。ぼくの場合俳句という表現にノスタルジアが、いつも忍び寄ってくる。ノスタルジアがあるから俳句が生まれるといっていい。」(あとがきより)

花いばら十七才のブルージーンズ 

銀河屋の赤きセーター又三郎

凧あげて助手をつとめし昭和かな

夕焼けに叫べばムンク冬に入る

冬の蝿とんで昭和の窓辺かな

雪ひらり人懐かしき人嫌い

 

・『冬の阿修羅』(浅井愼平句集 2009)

「小説も詩も、ぼくという宇宙のどこかでビックバンがあり、星がぶつかり、散り、漂い、集まり、それが言葉になって溢れ出てくる。」(著者・跋より)

青い空蓑虫見あぐ山頭火

ふるさとは持たず写真師百日紅

逝きし友白きシャツのまま見送れり

蚊帳匂う星の香りと思いけり

遠花火父を見捨てて少年期

夕立や失意いくつも跳ねている

木枯やこころは見えず二人酒

木枯しや中原中也のゆやゆよん

モナリザの微笑消えはじむ冬近し

雪霙霰青空五合庵

 

・『二十世紀最終汽笛』(浅井愼平句集、1993)

「言葉の花束を捧げたい。:様式の深さに自由の翼を。世紀末の闇をつらぬいて飛べるのは想像力だけ。想像力こそ希望。しかし、絶望を持たぬものに希望はない。絶望を抱くあなたに言葉の花束を捧げたい。明日のために。」

飢ゑ知らず戦後もしらず成人す 

ルノワール女の腰の春深く 

春の雨郵便ポストから巴里へ

風花や燐寸するとき夜の雲

始まりも終わりもなけれ冬銀河

雪くれて昭和彷う黒マント

 

〇2019年四季折々(2月18日~24日)

(18日)・まヽ事の飯もおさいも土筆かな(星野立子)

 昨日のNHK俳句・題「土筆」に浅井愼平(81歳)氏がゲストで出演された。写真家・浅井氏は俳句をたしなみ、俳人として数冊の写真俳句集を出している。

氏の想像力あふれる発想で投句者などの心情をおもんばかる発言に面白さを覚えた。

 昨日の一席は「汽車の音浴びてすくすくつくしんぼ」(徳竹邦夫)   

 立子の句は俳句を作り始めた頃の句で、虚子が述べるように「自然の姿をやはらかい心持で受け取ったまゝに諷詠する」その感性に心地よいものを感じる。

印象深い句から。「囀をこぼさじと抱く大樹かな」「美しき緑走れり夏料理」「朴の葉の落ちをり朴の木はいづこ」「しんしんと寒さがたのし歩みゆく」

(今日の一句)・古稀超えの少年少女土筆野へ

 

(19日)・象という宇宙冬の動物園(浅井愼平)

 NHK俳句に紹介された象の句は『哀しみを撃て』(浅井愼平 写真俳句集、2015)所収。他に「はじめから翳はありけり人の春」「花いばら痛いじゃないか純粋は」「紫陽花や鉄の匂いのする街に」「ジョバンニの森抜けて風青々と」「きみの弾くショパンは昏しソーダ水」「信長の消息来たる枯野かな」「漱石の古書干しにけりまたの冬」「初雪や赤きバケツに二粍ほど」「冬近し汽車の音する印刷機」「さみしさという定型や去年今年」

 氏の俳句集は、写真はもとより、添えられた俳句、詩、跋などに素晴らしさを感じる。印象に残る句集から。

 

・『冬の阿修羅』(浅井愼平句集 2009):「小説も詩も、ぼくという宇宙のどこかでビックバンがあり、星がぶつかり、散り、漂い、集まり、それが言葉になって溢れ出てくる。」(著者・跋より)

(今日の一句)・風に立つライオン春のノスタルジア

 

(20日)・玉砂利のおと柔らかき雨水かな(勝子)

 時折、友人から俳句を紹介される。定期的に俳句書籍などは送られてくるが、友人の句を読むのはその人の個人的な暮らし、心情をおもんばかるなど特に楽しい。

 上記の句は夫の大病の癌の手術が無事に終わり、伊勢神宮にお礼参りしたときの句という。他の句に「梅早し拝殿の鈴鳴らしけり」「御手洗の龍の口より春の水」がある。

 雨水は二十四節気の一つ草木が芽生える頃で、昔から農耕の準備を始める目安とされてきた。また、忍び寄る春の気配に草木が蘇るとの意がある。それと快癒の喜びと「玉砂利のおと柔らかき」との取り合わせに、心の春に向かう気持ちが現れたのだろう。

(今日の一句)・雨水の日おこす大地の湯気青し

 

(21日)・萬緑の中や吾子の歯生え初むる(中村草田男)

 先日「お食い初め」(おくいぞめ)のお祝いを娘夫婦と私たち夫婦でとり行った。

「食い初め」とは、生後初めて赤ちゃんにご飯を食べさせる祝いの行事。歯が生えるほどに成長したことを喜び、こどもが一生食べるものに不自由しないように祈り、健やかな成長を願う儀式です。平安時代頃から行われていたらしい。

 生後120日余りで、まだご飯を食べさせることはしていないが、生えている歯へ形ばかりのご飯などを添えた箸を当てていく。

 娘夫婦は由緒のある家系の影響もあるのか、このようなことに熱心で、関心の疎い私にはそのことを面白くみている。このようにして、ワイワイやるのは楽しいものだなと思った。

(今日の一句)・のどけしや親子嬉しきお食い初め

 

(22日)・鰯雲仰臥の子規の無重力(東国原英夫)

 孫は生誕時の体重が3キロ弱から今は7キロ弱になっている。妻によると体は重くなっているが、首がすわってきたので、抱っこすることがずいぶん楽になったそうだ。

 それまでは全身を受けとめ手に委ねていたわけで、少しずつ、重力に対応できる筋肉やからだ全体の発達が進み、自分自身で支えるような動きになってきたのだろう。

 まだハイハイはしないが手足の動きも活溌化してきて、驚きなのか喜びなのか大きな声を出すときがある。意志・意欲もかなり出てきているのを感じる。

(今日の一句)・重力に応ずる吾子や牡丹の芽

 

(23日)・瓦礫みな人間のもの犬ふぐり(高野ムツオ)

 エアコンの掃除に息子の紹介で業者に来ていただいた。越してきてから3年半ほどになり、普段あまり使わないのだが、かなり汚れたひどい状態になっていたという。建物そのものは築10年ほどになり、以前に、住んでいた人からのものも蓄積していたのだろう。

 わが家では掃除機をかけるのはわたしの担当になっていて、ほぼ毎日しているが、集塵状態を見ると、目に見える以上に埃はたまっているのがわかる。エントロピー増大の乱雑さは、自身の体、暮らしや社会の汚れを含めて、あらゆるところに及んでいくのだろう。

(今日の一句)・春塵や時間も塵になっている

 

(24日)・「ともどもに平らけき代を築かむと諸人のことば国うちに充つ」(皇后陛下)

 天皇陛下の平成在位30年記念式典のお言葉は、〈近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平坦な時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。〉と述べ、〈日々国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。〉と振り返り、しみじみしたものと感じた。

 永田和宏氏はお二人の数多の慰霊の歌について次のようにいう。

〈寄り添い方には今の国民に対する共時的なものと、歴史的、通時的なものがある。災害でいま苦しんでいる人々へのお見舞いと、戦争の犠牲者への、悲しみの記憶を持って生き続けた人たちの時間に寄り添う慰霊とは、同じ寄り添うことの両面なのだと思う。平成の天皇の象徴性は、寄り添うという行動の中にあるものと考えたい〉(※1/17神戸新聞より)

 ささやかでも、寄り添うことの両面を大切にしていきたいと思っている。

(今日の一句)・陽炎や過去も未来も今のこと

◎日々彦「詩句ノート」、さだまさし『風に立つライオン』

〇さだまさし作詞・作曲

突然の手紙には驚いたけど嬉しかった

何より君が僕を怨んでいなかったということが

これから此処で過ごす僕の毎日の大切な

よりどころになります ありがとう ありがとう

 

ナイロビで迎える三度目の四月が来て今更

千鳥ヶ淵で昔君と見た夜桜が恋しくて

故郷ではなく東京の桜が恋しいということが

自分でもおかしい位です おかしい位です

 

三年の間あちらこちらを廻り

その感動を君と分けたいと思ったことが沢山ありました

 

ビクトリア湖の朝焼け 100万羽のフラミンゴが

一斉に翔び発つ時 暗くなる空や

キリマンジャロの白い雪 草原の象のシルエット

何より僕の患者たちの 瞳の美しさ

 

この偉大な自然の中で病いと向かい合えば

神様について ヒトについて 考えるものですね

やはり僕たちの国は残念だけれど

何か大切な処で道を間違えたようですね

 

去年のクリスマスは国境近くの村で過ごしました

こんな処にもサンタクロースはやって来ます 去年は僕でした

闇の中ではじける彼等の祈りと激しいリズム

南十字星 満天の星 そして天の川

 

診療所に集まる人々は病気だけれど

少なくとも心は僕より健康なのですよ

僕はやはり来てよかったと思っています

辛くないと言えば嘘になるけど しあわせです

 

あなたや日本を捨てた訳ではなく

僕は「現在(いま)」を生きることに思い上がりたくないのです

 

空を切り裂いて落下する滝のように

僕はよどみない生命(いのち)を生きたい

キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空

僕は風に向かって立つライオンでありたい

 

くれぐれも皆さんによろしく伝えて下さい

最后になりましたが あなたの幸福(しあわせ)を

心から遠くから いつも祈っています

 

おめでとう さようなら

※出典: http://lyrics.jetmute.com/viewlyrics.php?id=2424991

 

 柴田紘一郎氏は「風に立つライオン」を収録したアルバム「さだまさしベスト」にコメントを寄せているが、その一節に次の文がある。

〈“風に立つライオン”は小生のアフリカでの2年あまりの体験及び浅学菲才のゆえの雑談を医師を例にとり、人としての生き方をまさしさんの感性と才能で創作した曲である。

 この歌は、現代人の心の不摂生のため、過剰にしみついた魂の脂肪に対する警告でもあるように聴こえる。小生もアフリカの大地を通して学んだ事をすこしでも役立てて“風に立つライオン”のようになりたい。〉

  

 また、別のところで医者について次のように述べている。

「医者の良い点というのは、我々はどこにいても、例えば無医村にいても都会にいても、相手となる患者さんというのは尊厳価値においては同一じゃないですか。どういう所にあっても全力で仕事ができるというところでしょうか。悪い点は、医者の中には”自分が治している”と勘違いしている人がいる、ということでしょうね。患者さん自身が治ろうと、治そうとしているのに、医者はそれを神様と共にちょっと手助けするだけなのに、”自分が治している”と思い上がった心を持ってしまう…。まあこれは僕だけの意見ですけどね。」

(出典:小説『風に立つライオン』と柴田紘一郎先生 | チーム八ちゃん)

 

〇2019年四季折々(2月11日~17日)

(11日)・極寒の鷲へ撮る人溶け込めり 

 神戸では朝から雪。今年一番の寒さとなる。9日の北海道内4地点で零下30度を下回り、釧路市の阿寒湖畔など10地点で観測史上、最も低い気温を記録したという。北海道鶴居村で国の特別天然記念物タンチョウが、川面から立ち上がる水蒸気が冷気に触れて霧になる「けあらし」の間を飛び交う幻想的な光景が一枚の写真として新聞に掲載されていた。

 いつも楽しみにしている井口義友氏は「大鷲の幼鳥の鼻の孔付近は呼吸の息が凍り白く塊に、目の周りも目の涙が凍り付いて白くなっている」鮮やかな写真をFacebookに掲載していた。

 撮る人は、そこと同じ環境の中に身を置き、じっくり待ちながら、ある一瞬を写真に焼き付ける。それを見る人はそれぞれの仕方で、そこから時空を超えた何かを感じ取るのだろう。

 

(12日)・身のうちを揺り動かすや涅槃西風

 友人から私の知り合いでもある安義寺住職の吉水秀樹氏の書いた素敵な絵本があるよと聞いて、その著『ダニヤ経 -ブッダが説くゆるがないしあわせ』を取り寄せた。

『ダニヤ経』はブッダ自身の言葉を簡潔にまとめたものと、仏教興生初期に編纂された最古の仏典のひとつとされている『スッタニパータ』の第一章の二にある。

『スッタニパータ』は難解な仏教用語はほとんどなく、ごく自然に受けとめられる平易な言葉で多くの民衆にじかに接し、問いかけたブッダの息吹が感じられる。

 本書は、ご自分の体験を交えながらわかりやすい言葉で、『ダニヤ教』を解説し、畠中光享氏の絵とともに、おそらくある程度考えることのできる10歳ぐらいの子どもから、おじいちゃんおばあちゃんまで親しんでいける大人の絵本になっているところにまず共鳴した。

『ダニヤ教』は対機説法(相手の資質に相応して理解のゆくように説くこと)で17偈(詩句)が展開される。巻末の付録に「パーリ語と読み方」が掲載されていて、原文の詩の持つ韻をふんだリズミックな詩句が美しく、これも本書の特徴となっている。

〈ダニヤ経の主題は、物質に依存したダニヤさんの「幸福」に対比される、何ものにも依存しないブッダの「真実の幸福(涅槃)」にあります。〉 と著者はいう。

本書を通して、吉水氏がこのような著書を書くようになった成果を喜びたいと思った。

 

(13日)・ありのままのあなたが好きや良寛忌

 ブッダなど仏教書を読むとき、「苦」の概念をきちんととらえておくことが肝要だと思っている。「苦」の原語はパーリ語の(DUKKHA・ドゥッカ)で、その原義は、「空(虚)しい、不安定な、困難な」というような意味で、変わらないようにするのは「苦」。無理に変えようとするのも「苦」。これが人間にとって「生きる」ことだとする。無常と同じような意味合いと思っている。

 私は、「生老病死」が四苦として、「根源的に人間は苦しいものだ」という考えに違和感を覚えていた。調べていくと、仏教で説く「苦」とは「思いのままにならない苦しみ」という程の意で、ひとつの事実認識であると思った。むしろ、「生老病死」のような現象に、「思いのままになる」と執着することのほうが、無理があり苦しみの元になると思われる。 

 自らの曇らせた「思い」で人や社会を思うように計らうことが、パラハラに限らず、おかしなことになる因となる。そして、自らの思い方を留保して、まずものごとや自分のことを「ありのままを見る」ことは、何かを考えるための自覚すべき大事なことと思っている。

 

(14日)・春星や誰のなかにも光あり

 昨日テレビで映画「風に立つライオン」を見る。

「風に立つライオン」は、さだまさしの親しくしている知人で、1960年代後半ケニアのナクールにある長崎大学熱帯医学研究所に出向した柴田紘一郎医師のエピソードをもとに、1987年さだ自身が作詞・作曲をした作品であるその後、さだ自身によって小説化され、2013年に刊行され、2015年には、大沢たかおの企画により映画監督・三池崇史のもとで映画化された。

 曲「風に立つライオン」に惚れ込んだ俳優の大沢たかおが、さだに働きかけて小説化・映画化されたのが本作『風に立つライオン』だ。スーダンの内戦で心と体に傷を負った少年たちの治療と更生に奔走する島田航一郎医師を、大沢が演じている。大沢、石原さとみらはケニアに一ヶ月滞在し、撮影に挑んだ。少年たちを演じるのは、現地のスラムで暮らす少年たちで、物語にリアリティを加えている。

 この映画は、過酷な状況の中で育ったケニヤの少年(たち)が、「医師が患者から奪ってはいけない最も大切なものはな、命じゃないんだよ。希望なんだ-----だってよ。命はその人の身体の持ち物だけど、希望は心の持ち物だろ? 人はよ、身体だけで生きてるんじゃねえだろ? 心で生きてるんだからさ」という医師や支援者によって、その「志」を受け継いだ少年が、東日本大震災の日本で医師として活躍する、といったフィクションならではの内容で、映像ゆえの、このように人は育っていくこともあるのだと、フィクションを超えた何かを感じた。

 

(15日)・風に立つライオンはるか春の虹

『風に立つライオン』は心ある医師を育てるための「NPO法人・風に立つライオン」を立ち上げ、僻地医療や災害救援の従事者を物心両面で支援する「公益財団法人・風に立つライオン基金」の設立など歌から生まれる人助けの連鎖が続き、医療従事者や海外で活動する人たち、青年海外協力隊の人々に、強いメッセージを与えることになる。

 小説の「あとがき」にさだは次のように述べる。

〈もとより歌は、すべて発表した瞬間に僕の所有物ではなくなるが、この歌のように多くの人々を刺激し、沢山のムーブメントを産み出す歌が僕に降ってきたのは初めてのことである。〉

 

(16日)・剪定や木々の語りにすます耳

 おぐらやま農場からリンゴが届いた。今月は予定していた中玉「ふじ」が足りなく「まるかじり」になり、今が旬の人参アロマレッドが入っていた。この人参はとてもおいしい。

 農場では道法スタイルの切上げ剪定をするとき「樹を元気にするにはどこを切ればいいかな」と常に樹に問いかけている毎日だそうだ。

 ここの年間会員になって3年たつが、その生産物への信頼もあるが、少しでも農場を支えていきたいと思っている。自然条件などにより、計画通りにいかないのは当たり前で、今採れるもので賄ってくれたらよいと思っている。2019年度の申し込みが始まっている。

 

(17日)・山笑う切磋琢磨の育ち合い

 今月のおぐらやま農場ニュースレターには、農場主のアキオさんの兄弟のことが載っていた。次男は「木ごころ工房」を経営する大工さん、3男はシステムエンジニアとのことで、元気に活動しているそうだ。多少の接点もある人もいて、懐かしさと感慨を覚えた

 長女の「亜里」さんは、心理学博士で「ニューヨークライフバランス研究所」の代表をしているそうだ。3月6日に『世界に通用する子どもの育て方』(WAVE出版)が発売されるという。アマゾンで予約受付をしている。

 昨秋娘が出産、わが家でも是非読んでおきたいと思っている。

◎日々彦「詩句ノート」、さだまさし「償い」「親父の一番長い日」

※Facebookの友人たちの交信のなかで、さだまさしの曲「償い」「親父の一番長い日」が話題に出ていた。私も聞いてみて、そこからいろいろなことを考えた。

 その作詞作曲の経過は『ウィキペディア(Wikipedia)』に詳しく紹介されていて、YouTubeで検索すると、聞くことができる。

 

〇『償い』作詩・作曲:さだまさし

 月末になると ゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに

 必ず横町の角にある郵便局へとび込んでゆくのだった

 仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だと

 飲んだ勢いで嘲笑っても ゆうちゃんはニコニコ笑うばかり

 

 僕だけが知っているのだ 彼はここへ来る前にたった一度だけ

 たった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ

 配達帰りの雨の夜 横断歩道の人影に

 ブレーキが間にあわなかった 彼はその日とても疲れてた

 

  人殺し あんたを許さないと 彼をののしった

  被害者の奥さんの涙の足元で

  彼はひたすら大声で泣き乍ら

  ただ頭を床にこすりつけるだけだった

 

  それから彼は人が変わった 何もかも

  忘れて 働いて 働いて

  償いきれるはずもないが せめてもと

  毎月あの人に仕送りをしている

 

 今日ゆうちゃんが僕の部屋へ 泣き乍ら走り込んで来た

 しゃくりあげ乍ら 彼は一通の手紙を抱きしめていた

 それは事件から数えてようやく七年目に初めて

 あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り

 

 「ありがとう あなたの優しい気持ちは とてもよくわかりました

  だから どうぞ送金はやめて下さい あなたの文字を見る度に

  主人を思い出して辛いのです あなたの気持ちはわかるけど

  それよりどうかもう あなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」

 

  手紙の中身はどうでもよかった それよりも

  償いきれるはずもない あの人から

  返事が来たのが ありがたくて ありがたくて

  ありがたくて ありがたくて ありがたくて

 

  神様って 思わず僕は叫んでいた

  彼は許されたと思っていいのですか

  来月も郵便局へ通うはずの

  やさしい人を許してくれて ありがとう

 

  人間って哀しいね だってみんなやさしい

  それが傷つけあって かばいあって

  何だかもらい泣きの涙が とまらなくて

  とまらなくて とまらなくて とまらなくて

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〇『親父の一番長い日』さだまさし作詞・作曲

おばあちゃんは夕餉の片付けを終えた時

弟は2階のゆりかごの中で

 

僕と親父は街頭テレビのカラテ・チョップが

白熱した頃に 妹の誕生を知った

 

それから親父は 占いの本と辞書と

首っぴきで

実に一週間もかけて

 

娘のために つまりはきわめて何事もない

ありふれた名前を見つけ出した

 

お七夜 宮参り 夫婦は自画自賛

可愛いい娘だと はしゃぎ廻るけれど

僕にはひいき目に見ても しわくちゃの失敗作品

やがて彼女を訪れる 不幸に胸を痛めた mm…

兄貴として mm…

 

妹の生まれた頃の我が家は

お世辞にも 豊かな状態でなかったが

 

暗闇の中で 何かをきっかけに

灯りが見えることがある

そんな出来事だったろう

 

親思う心に勝る 親心とやら

そんな訳で妹は ほんのかけらも

みじめな思いをせずに育てられた

ただ顔が親父に似たことを除けば

 

七五三 新入学 夫婦は狂喜乱舞

赤いランドセル 背負ってか 背負われてか

学校への坂道を 足元ふらふら下りてゆく

一枚のスナップが 今も胸に残ってる mm…

兄貴として mm…

 

我が家の血筋か 妹も足だけは速くて

学級対抗のリレーの花形で

 

もっとも親父の応援のすごさに

相手が気おくれをして

随分助けられてはいたが

 

これも我が家の血筋か かなりの演技派で

学芸会でもちゃんと 役をもらった

親父の喜びは 言うまでもない

たとえその役が 一寸法師の 赤鬼の役であったにしても

 

妹 才気煥発 夫婦は無我夢中

反抗期を過ぎて お赤飯を炊いて

中学に入れば 多少 女らしくなるかも知れぬと

家族の淡い期待 あっさり裏切られてがっかり mm…

兄貴として mm…

 

妹の初恋は高校二年の秋

相手のバレー部のキャプテンは よくあるケース

 

結局言い出せる 筈もなく

枯葉の如く散った これもまたよくあるパターン

 

彼氏のひとりも いないとは情けないと

親父はいつも 笑い飛ばしては いたが

時折かかる電話を 一番気にしていたのは

当の親父自身だったろう

 

危険な年頃と 夫婦は疑心暗鬼

些細な妹の言葉に揺れていた

今は我が家の 一番幸せなひととき も少し

このままいさせてと 祈っていたのでしょう mm…

親子として mm…

 

或る日ひとりの若者が 我が家に来て

“お嬢さんを僕に下さい”と言った

親父は言葉を失い 頬染めうつむいた

いつの間にきれいになった娘を見つめた

 

いくつもの思い出が 親父の中をよぎり

だからついあんな大声を出させた

初めて見る親父の狼狽 妹の大粒の涙

家中の時が止まった

 

とりなすお袋に とりつく島も与えず

声を震わせて 親父はかぶりを振った

けれど妹の真実を見た時

目を閉じ深く息をして

小さな声で…

 

“わかった娘は くれてやる

その変わり一度でいい

うばって行く君を君を殴らせろ”と

言った mm…

親父として mm…

 

妹の選んだ男に間違いはないと

信じていたのも やはり親父だった

花嫁の父は静かに 娘の手をとり

祭壇の前にゆるやかに立った

 

ウェディング・ベルが 避暑地の教会に

鳴り渡る時 僕は親父を見ていた

まぎれもない 父親の涙の行方を

僕は一生忘れないだろう

 

思い出かかえて お袋が続く

涙でかすんだ 目の中に僕は

今までで 一番きれいな妹と

一番立派な 親父の姿を 刻み込もうとしていた mm…

兄貴として mm…

息子として

 

〇2019年四季折々(2月4日~10日)

(4日)・立春の空も大地もうごめけり

 今日は立春。必ずしも暦とは一致しないが、俳句を趣味としているせいか、立春の感情が整えられるような気がする。特に夕方の日脚の伸びに、寒気のなかにも春の兆しが感じられる。また、長塚節『土』に、「春は空からそうして土から微(かす)かに動く」との表現を思い起こす。

 

(5日)・あの曲に親父の姿かげろへり

 先日Facebookで友人たちが私の所属していた共同体のことで「子育て」や「親のあり方」などの交信があり、さだまさしの曲「親父の一番長い日」が話題に出ていた。そこからいろいろなことを考えた。

 私は「子放し」を標榜する特殊な共同体にいたので、そこで末娘は生まれたが、それ担当の人に任せきりで、子育てには全くといっていいほど関わっていない。

 昨秋出産した娘夫婦を見ていて、受けとめ手の主体は母親であるが、夫婦でともに支え合いながら、子育ては進んでいくのだなと、見ていて思う。

 そして、若い友人がいう「子育ては大変だけど楽しかった」という貴重な体験、味わいはしていない。その間、親らしいことはほとんどやっていないのではないか。

 

(6日)・春立つや海へ大地へわが家へと

 今日は息子の誕生日。精密機械加工の仕事をしていて、41歳になる今年から個人的に事業を立ち上げる。空き家になっている事業所を借り、そこはいたるところ汚れがしみついていて、昨年12月から日曜ごとに、私たち夫婦も一緒に磨きをしている。個人事業といっても、いろいろな支援が必要だと思っていて、今後も何かと関わっていくだろう。

 

(7日)・春朧いい加減のもつ良い加減

 今日は妻の誕生日。このところ妻に気をかけてもらい、心の底で支えられて安心して暮らしているのだと思っている。

 また、娘が出産して、妻が何かと面倒を見ることがある。身体は70歳を超えた年以上に丈夫に見えるが、日に日にしっかりしてくる赤ん坊の世話は相当疲れるらしい。

 だが、子どもを育ててきているので、わたしから見ると巧みに要領を得ていて、安心感を覚える。具体的な赤ん坊の世話になると、娘もわたしにはまったく頼らず妻に任せている。

 

(8日)・あたたかな言葉を寄せる人と人

 90歳を過ぎたお母さんがインフルエンザの罹患で、友人が困難を抱えていることがFacebookに投稿されていた。何人かの人が、寄り添いの言葉をコメントしていて、どれにもその気持ちがこちらにもしみじみ伝わってきた。私もどのように声掛けしたらわからないと思いながら、いくらか言葉を添えて、「お母さんが無事快復されることを祈っています。」とコメントした。当事者がどのように受けとめるのかわからないが、このようなことを簡便にできる友達同士のFacebookの一つの機能のような気がしている。

 

(9日)・春を待つどんなときにも萌しあり

 わが家でも息子が高熱を出してしばらく寝込んでいた。医者に掛かってもよくなる保障はなく、身体の様子を見ながら、「時ものを解決するや春を待つ」(虚子)のごと、時の経過による自然治癒力をあてにしていた。

 だが、90歳を超えた高齢者の場合は肺炎などの心配もあり、まず病院に頼るしかないが、その体制も不十分な場合がままある。

 90歳過ぎの義父母と暮らしていたとき、かかりつけ医によく面倒を見ていただいていたので、容態が極度に悪くなると、適宜連絡しながら対応していたが、よい方向に向かうまでは、気もそぞろであった。

 特に高齢者にとっては、気心の知れた家庭医に恵まれていることが大きいと思う。

 

(10日)・春うらら共に育つや吾子と親

 娘夫婦の赤ん坊が育っていく経過を見ていて思うことは、3か月を過ぎると意志、意欲なども芽生えてきていることも感じるが、主に体全体に感じたことからの反応で、そこに「計らい」らしきものではないかと思っている。

 一方親の方は、赤ん坊の状態を注意深くただ見つめ、「ありのまま」受けとめて、ひたすら世話をするだけで、こんなはずではないなど出ようがない。それを当たり前のこととして楽しみながらとらえていく姿に、大変さとともに面白さを感じている。

 どのように育ってきたということが、自らの子育てに反映していくといわれているが、そこも見ていきたいと思っている。

◎日々彦「詩句ノート」、照井翠の講演

※東日本大震災は、文芸の各分野に、それを語る表現についての様々な課題をもたらし。俳句関係者(誌)も度々そのことを取りあげている。また、いろいろな体験や関心から多様な俳句が数多く生み出されている。

 東日本大震災に関しては、高野ムツオ氏や照井翠が随時意欲的な俳句を詠み、ブログ「ひこばえの記」でも、2016-03-19日に照井翠句集『竜宮』を取り上げた。・

 時事や厄難を詠むに不向きといわれてきた最短詩型の俳句に、むしろ可能性を感じている他分野の人たちもでてきている。趣味の範囲を出ない私にも、俳句はこんな風に詠むことで、深いものを表現することができるのかと、改めて感じている。

 

〇2018年11月23日、俳句の未来を考える「HAIKU+」の第2回が、神奈川近代文学館で開催され、照井翠さんがテーマ「俳句の虚実 ―東日本大震災を詠み続けて―」との講演をおこなったことが「きごさいBASE」(2018年12月6日)に紹介された。

 内容は〈講演では、震災に、自分に、そして俳句に、どう向き合ってきたのか。俳句における「虚」の意味とは。この不条理な時代に俳句(文学)が担う役割とは。〉とある。

 

 その中から照井さんがまとめた要旨の一部を抜粋する。

〇俳句の虚実 東日本大震災を詠み続けて 照井翠

4 東日本大震災 釜石を詠む

 釜石で東日本大震災に遭遇した。極限状況の中、不安な日々を支えてくれたのが俳句だった。虚の側に身を置き、現実と向き合っていた。生な表現や剥き出しの観念語を用いた俳句が多い。

・句集『龍宮』より。

「喪へばうしなふほどに降る雪よ」

「泥の底繭のごとくに嬰と母」

「双子なら同じ死顔桃の花」

「春の星こんなに人が死んだのか」

「春昼の冷蔵庫より黒き汁」

「唇を噛み切りて咲く椿かな」

「撫子のしら骨となり帰りけり」

「初螢やうやく逢ひに来てくれた」

「鰯雲声にならざるこゑのあり」

「寒昴たれも誰かのただひとり」

「虹の骨泥の中より拾ひけり」

 

5 震災後の俳句(時の経過、意識の変容、震災体験の捉え直し)

 震災体験の内面化・深化を試みている。思索の沈潜化、詩としての昇華が大事だと思う。

・『龍宮』以後の俳句より。

「三月を喪ひつづく砂時計」

「螢や握りしめゐて喪ふ手」

「霧がなあ霧が海這ひ魂呼ぶよ」

「降りつづくこのしら雪も泥なりき」

「別々に流されて逢ふ天の川」

「寄するもの容るるが湾よ春の雪」

「まだ立ち直れないのか 三月来」

「三・一一みちのく今も穢土辺土」

 

※参照「きごさいBASE」(2018年12月6日) http://kigosai.main.jp/?p=30927

 

〇2019年四季折々(1月28日~2月3日)

(28日)・星冴ゆる心の宇宙のひとり旅

 小説、詩歌などの虚構による文学作品は、容易に言語化・論理化できない混沌とした状況や個人の情念を、言葉で構築せざるを得ないところに難しさがあり、面白さがあると思う。

 読む側としては、想像力を駆使しながら、語られていない部分、言葉の裏にある部分を読みとりながら、共に作っていくという醍醐味がある。

 それは、およそ31文字の短歌、17文字の俳句の短詩系の制約にしたがって、詠む方、読む方ともに想像の楽しみがあると思っている。

 

(29日)・耳すます心の中の細雪

 平成30年度第20回NHK全国短歌大会受賞作品から印象に残った作品。

・「天からの授かりものであるきみはまだ人よりも雲に似ている」

(小島ゆかり選、埼玉 関根裕治)大会大賞に選ばれる。

・「避難所のどこに置くのか通信簿見せたい母のいないその子は」

(永田和宏選、宮城 阿部みゆき)

 近藤芳美賞 「空のたまゆら」(岡山 平尾三枝子74 歳)から。

・「不条理も条理も丸ごとこの世なり土手に赤白曼珠沙華の群」

・「幾重にもかさなる雲の間より射し入る光を希望と呼ばむ」

 

(30日)・見ることは見られることや冬霞

 今日は眼科医で診察を受け、緑内障・眼圧用の目薬をもらう。

両目0.1の近眼だったが、一昨年5月白内障手術して、手術後すぐ裸眼0.8で、こんなにハッキリ見えるのだなと少し驚くが、今は両裸眼0.5ぐらいで、眼鏡なしで、日常生活やある程度本を読むには差し支えない。

 白内障は、眼の中のレンズの役割をする水晶体が濁ってしまう症状で加齢に伴って発生する場合が最も一般的で、早ければ40歳から発症し、80歳を超えるとほとんどの人が何等かの白内障の状態にあるといわれている。そのことから、自覚症状があるなしに関わらず、身体内のあちこちが汚れているのではないかと思う。レンズの工業技術などの発達により手術は簡単。これにも少し驚く。

 

(31日)・夢太き人と大地と冬の虹

I氏のFacebook掲載の素晴らしい写真があり、それから連想した俳句を練習も兼ねて詠んでいる。出来はともかく楽しみである。

 20歳代後半二年間ほど北海道別海町で酪農に従事していた。どこかに遊びに行くことは少なかったが、そこの人、牛との暮らしや風土はどっしり自分のなかにある。I氏の数々の写真から、その息吹を思い出すことも少なからずある。

 

(2月1日)・二月に入る寒さの底の大日輪

 二月は面白い月である。ときによって春を感じ、冬を感じるときもある。神戸では、昨日は雨で肌寒くどんよりしていて、今日は晴れていて風は強く寒いが明るい感じがする。

 俳句では三日まで冬、それを過ぎると春になる。実際の暦と季語のずれはあるが、よく晴れた日や光の強さに、体感そのものは寒いが気分的には春を感じるときもある今日このころである。

 

(2日)・七転び八起きの職場春近し

 友人のTさんが「イノベーション大学」の企画に参加した報告がFacebookにあった。当日のお題は「働き方」で、講師は「生きる職場」の著者・武藤北斗さん。

 以前その本を友人のKさんから贈っていたたき、いろいろ示唆されるものがあった。

 武藤北斗『生きる職場 ―小さなエビ工場の人を縛らない働き方』(イースト・プレス、2017 )の内容紹介は次のようになっている。

〈2011年3月11日東日本大震災。石巻のエビ工場と店舗は津波ですべて流された。追い打ちをかけるような福島第一原発事故。ジレンマのなか工場の大阪移転を決意する。債務総額1億4000万円からの再起。

 人の生死を目の前にして考えたのは、「生きる」「死ぬ」「育てる」などシンプルなこと。そしてそれを支える「働く」ということ。自分も従業員も生きるための職場で苦しんではいないだろうか。そんななかで考え出したのが「フリースケジュール」という自分の生活を大事にした働き方。好きな日に出勤でき、欠勤を会社へ連絡する必要もない。そもそも当日欠勤という概念すらない。これは、「縛り」「疑い」「争う」ことに抗い始めた小さなエビ工場の新しい働き方への挑戦の記録。〉

 上記の経過が丁寧に記録してある本と感じ、私は主に次のことを思った。

・石巻で著者の両親が立ち上げた「パプアニューギニア海産」で、関わった人たちに支えられて大阪移転の営業が再開するようになる。そこには生産者と消費者という間柄を超えた交流がされていた。

・パプアニューギニアと海を超えたつながりは、国と国という行政的なものではなく、著者の父親の、よいものを産み出したいとの願いからする、個人的なつながりであった。

・多額の債務を抱えての大阪移転後の再起は順調なものではなく、失敗・間違い・後悔の試行錯誤を重ねての日々であった。その中から著者が目指す「居心地のいい会社」への願いがあり、それに応じてくれる従業員の取組で、今のような職場になってきたのではなかろうか。

※「パプアニューギニア海産」  http://pngebi.greenwebs.net/

(3日)・記憶に残るひとりひとりへ福は内

 その投稿記事から、25年ほど前、T君や私がいた職場のことや、その頃の仲間のことなどの話題のコメントの交信が続いた。

 その頃職場で一緒だった学園高等部にいた若者たち、そのうち交流があるのは二人だが他の人はどうしているのだろうか、と気にかかるとともに薄らと懐かしさを覚えた。

 特殊な形態の学育方式のもとで過ごした子どもたちを見ていて、学園の同期生や仲間たちとの関係は、親密なものがあり、同じ釜の飯を食ったというような半端なものでない深さを感じることも多い。仲間たちで切磋琢磨しあいながら、ときには助け合い、ときには言い争いしながら育ってきたのだろう。

 私から見るとその学育方式はとてもお粗末だったと思っているが、その中で、その後の経過で、どのような育ちが展開したのか? ひとりひとり違いはあるだろうが、みな健やかであること祈っている。

◎日々彦「詩句ノート」、谷川俊太郎の詩「コトバの波紋」「世間知らず」

〇『生きる―わたしたちの思い』谷川俊太郎with friends について

「谷川俊太郎さんの傑作『生きる』をお手本に、みなさんの『生きる』をつなげてひとつの詩みたいなものを作りませんか?」

07年秋、mixiに書き込まれた呼びかけに、半年で2000件を超える投稿がありました。本書はそれらの投稿作品の中から一部を選出し、投稿者自身のコメントや写真を加えて再構成したものです。投稿者のコメントからは短い詩に込められた様々な人生模様が読み取れ、胸を打たれます。傑作『生きる』はもちろん、谷川さんの書き下ろし『コトバの波紋』、そして谷川さんと投稿者による座談会も収録 。(角川SSコミュニケーションズHPより抜粋)

 

・「コトバの波紋」谷川俊太郎

会ったことのない人たち

名前も知らない人たち

どこに住んで何をしているのか

少女なのか主婦なのか

短大生なのか課長なのか

農民なのかフリーターなのかも分からない

でも日本語を話し書く女たち男たちが

脚で歩けないウェブの街角でお喋りしている

声が聞けないウェブのカフェで論議している

地図にないウェブの村はずれで落書きしている

そこはコトバによって創られる架空の世界

自分と他人をミックスできる未来へ開く小宇宙

 

そこでは・・・

コトバがコトバに一目ぼれします

コトバがコトバの卵を生みます

コトバがコトバを揺り動かします

コトバがコトバと鬼ごっこします

コトバがコトバでうがいをします

コトバがコトバに笑いかけます

コトバがコトバと手をつなぎます

 

そしてそこでは・・・

どんな小さなことも

どんなくだらないことも

どんな恥ずかしいことも

どんな無意味なことも

どんな分らないことも

コトバになったおかげで

生きています いまを

 

黙り込んでいる人もいま生きていて

怒りくるっている人もいま生きていて

生きていたくない人もいま生きていて

生きていることにたとえ意味は見出せなくとも

生きていることにひとまず美味しいと

そう感じられる幸せを求めて生きているいま

たとえばこっちは夜そっちは朝(多分)

でもいまは同じこのいまの地球に生きるあなた

コトバの小石を投げこんでください

コトバの波紋がどこまでもひろがって

やがてどこかの誰かに届くまで

(『生きる―わたしたちの思い』谷川俊太郎with friends (角川SSコミュニケーションズ 2008より )

 

・「世間知ラズ」 谷川俊太郎

自分のつまさきがいやに遠くに見える

五本の指が五人の見ず知らずの他人のように

よそよそしく寄り添っている

-

ベッドの横には電話があってそれは世間とつながっているが

話したい相手はいない

我が人生は物心ついてからなんだかいつも用事ばかり

世間話のしかたを父親も母親も教えてくれなかった

-

行分けだけを頼りに書きつづけて四十年

おまえはいったい誰なんだと問われたら詩人と答えるのがいちばん安心

というのも妙なものだ

女を捨てたとき私は詩人だったのか

好きな焼き芋を食ってる私は詩人なのか

頭が薄くなった私も詩人だろうか

そんな中年男は詩人でなくともゴマンといる

-

私はただかっこいい言葉の蝶々を追っかけただけの

世間知らずの子ども

その三つ児の魂は

人を傷つけたことにも気づかぬほど無邪気なまま

百へとむかう

-

詩は

滑稽だ

〇谷川 俊太郎 (著) 『世間知ラズ』より(思潮社、1993)

 

〇2019年句日記(1月21日~27日)

(21日)・いのち受け吾子の瞳の淑気かな

 先日、孫を伴って娘夫婦と私たち夫婦で芦屋神社へお宮参りをした。

お宮参りとは、子供が生まれたことをその土地の守り神がいらっしゃる神社へ、子供の健やかな成長を祈って参拝する儀式のことを表す。文化的な生活が営まれるほどの昔から、日本人は新たな生命の誕生を祝う行事を行ってきたと言われている。地域の違いはあるとしても、生後1ヵ月ほどの時期に行うことが一般的らしいが、赤ちゃんの状態や母親の産後の回復の様子などをみながら、3か月後に企画した。

 お宮参りの話を娘夫婦から聞いたとき関心はそれほどなかった。だが、生まれたばかりの赤ちゃんを育てていくことは大層なことだと思うし、さらに3か月もたつと孫の振る舞いがしっかりしてきて、ますます可愛くなってきたこともあり、形式は自分たちのやれる範囲でお祝いすることで、このような通過儀礼は、娘夫婦をはじめ関係者にとって喜ばしいことだなと感慨を懐いた。

 

(22日)・日脚伸ぶ親子の節目の宮参り

 通過儀礼とは、出生、成人、結婚、死などの人間が成長していく過程で、次なる段階の期間に新しい意味を付与する儀礼。イニシエーションの訳語としてあてられることが多い。

 社会心理学では、負担の大きな加入儀礼は、当人が認知的不協和を解消しようとする結果、組織への主観的評価を高めると考えられている。(「ウィキペディア」より)

 3か月ぐらい過ぎると、吾子の動きはますます活発になり、子育てにおける次の段階に入っていくのだろう。別の意味で大変さと面白さが増してくるような気がしている。

お宮参りは、幼児はあまりわからないだろうが、親にとっては大きな節目となると思う。

 

(23日)・冬木立未生のちから内に秘め

 25~30年ほど前ある共同体で青年たちに携わっていたことがある。その若者たちが結婚して、そのころの私と同年齢になって子どもを育てている記事や写真をみると、いろいろな感慨を覚える。

 そこで育ったわたしの子どもたちなどを見ていて、独特の体験からいろいろなことを思っているようだが、それぞれの道を探りながら歩んでいる。

 Nさんの高校生になり寄宿舎生活を始める長男に対して「人間形成に欠かせないものが学べるのではないだろうか?」など読むと、しみじみしたものを感じる。

 

(24日)・冬銀河過去は未完の物語

 カズオ イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』(入江真佐子訳、早川書房)を読む。

 本書のあらすじは「1900年代初め、上海の租界で暮らしていた主人公十歳のとき、貿易会社に勤める父と、強い倫理観をもつ美しい母が、相次いで謎の失踪を遂げ、孤児となった。どうやら当時問題となっていたアヘン貿易絡みの事件に巻き込まれたらしかった。イギリスに戻り、探偵を志してきた主人公は、名門大学を出て念願の探偵となり、ロンドン社交界でも名を知られるようになった。いつかこの事件を解明し、両親を探し出したいと願いつつけてきた彼は、日中戦争が勃発し混迷を極める上海へ舞い戻るが……」となる。

 イシグロ作品の特徴である「信頼できない語り手」の記憶をたどりながら話が進んでいくが、本人の信じ切っていることと客観的な事実との間に奇妙なずれが出てくる。

“信頼できない語り手”について「話し手の言うことをすべて信じないように。語られていない部分、言葉の裏にある部分を読みとってほしい」とインタビューで語っているそうだ。

 その記憶や時間的な流れの前後関係の曖昧さが、なんとも言えない功名さで描かれていて、最後の結末のあたりは少し唐突な感じもあるが、微妙な味わいを残す。

 本書から、現代に生きている少なからずの人が、過ぎ去った人生において精神的に取り戻したいなにかを求めているのではないだろうか。それが表題『わたしたちが孤児だったころ』を暗示しているように思った。

 

(25日)・人はみな玄冬からの贈り物

 友人のFacebookの投稿に谷川俊太郎「世間知らず」を紹介していることから吉本隆明が次のような発言をしていたのを思い出す。

「公的にもっともらしいことを言っている人が、では身近に接している人にたいしてどうなんだ? 個人の暮らしではどうなんだ? そこに一貫したものがないのは信用ならない人だと思う」うろ覚えだがそのような発言があり印象に残っている。

 これは、現社会の近代工業技術社会にどっぷりつかっている人間が安易に反原発を唱えていることに、とんでもないよと反・反原発を唱え、少なからずの人に顰蹙をかったことを思い出す。(※加藤典洋が『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』などで、反原発には考えていく順序がいるなどで丁寧に解説している。)

 個人の生活、家族との生活、公的な生活は等価であるとする吉本の大衆原像ともつながり、次のことにもつながる。

[ここでとりあげる人物(マルクス)は、きっと、千年に一度しかこの世界にあらわれないといった巨匠なのだが、その生涯を再現する難しさは、市井の片隅に生き死にした人物の生涯とべつにかわりはない。市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったくおなじである。](『吉本隆明全集第9巻』「カール・マルクス伝・プロローグ」)

 ひとりのふつうの人間が生きていくにあたっての生活思想や人間的自然を根底において、そこから思想を深め、日常生活の意味を掘り下げていった人として、あるいは「人間の等価性」と「価値ある人間の原像」を見据えた人として吉本を見ている。

 

(26日)・いつの間に幽体離脱おでん酒

 吉本の次の表現も印象に残っている。

「わたしたちは前を向いて生きているんですが、幸福というのは、近い将来を見つめる視線にあるのではなく、どこか現在自分が生きていることを後ろから見ている視線の中に、含まれているような気がするんです。」週刊『アエラ』(2005.1.17号)

 世阿弥の『花鏡』に「目前心後(もくぜんしんご)」という言葉がある。「眼は前を見ていても、心は後ろにおいておけ」との舞うときの心得としてよく引用される。

 人生においても、「思考の幽体離脱」するごとく、自分の視線を空間的に後ろに移動させたり、時間的にも過去に視線を移動させたりして、「いままで自分はどうだったのか」「今のこれでいいのだろうか」「これからこういう生き方でいいのか」など、冷静にやや突き放しながら自分自身を見つめる。そのようなことを大切にしたいと思っている。

 

(27日)・百歳の少年少女日向ぼこ

 義姉から後期高齢者の通知が来て、名称(後期)に違和感を覚えたそうである。医療制度上では、75歳以上の人が後期高齢者となる。高齢者を前期・後期と分けることのおかしさを思う。

 一人ひとりの状態に合わせた見方、あるいはそれぞれの意識の持ち方で、ひとくくりにできないが、施策上75歳を一つの目安とするのは致しかたない面もあるが、名称は考えたい。

 個人レベルで、どう見るのかはそれぞれに任せること、社会保障については今適用している枠組みに直接結びつけず、慎重に見ていく必要を感じる。

 また、老年学会など提言している就労意識には結び付けないでと思っている。個人意識にもよるが、ある程度の年齢になったら、好きなことをしながら暮らせるような社会を望むし、たまたま就労につながることもあるだろう。 

 

◎日々彦「詩句ノート」、『悲傷と鎮魂 阪神大震災を詠む』

※1995年1月17日、淡路島付近を震源とする阪神淡路大地震は数多くの人命を奪い、建造物等の被害は莫大なものとなった。

 この巨大地震は「豊か」といわれてきた私たちの社会や暮らしが、決して堅固なものではなく、いつ崩落するか分からない。もろくはかないということを教えてくれたともいえる。被災地の人々を襲った運命はまた明日の私たちのそれでもあると思う。

『悲傷と鎮魂 阪神大震災を詠む』は、現代を代表する歌人俳人詩人に詠まれた作品をご寄稿願い、単行本として緊急に出版することにした。(斎藤慎爾「編集の余白に」より」

 現代を代表する歌人、俳人、詩人、作家297名が阪神大震災で亡くなった人々、廃墟となった故郷への哀悼を新生への祈願をこめて寄稿した、鎮魂の紙碑である。

 ここから、印象に残った俳句を選んだ。(2句は他から挙げた)

 

〇『悲傷と鎮魂 阪神大震災を詠む』から

・倒・裂・破・崩・礫の街寒雀 友岡子郷

・日々余震日々紅玉の林檎届き 友岡子郷

・寒暁や神の一撃もて明くる 和田悟朗

・永劫の途中に生きて花を見る 和田悟朗

・枯れ草や大孤独居士ここに居る 永田耕衣

・白梅や天没地没虚空没  永田耕衣

・子郷・悟朗・耕衣老冬いかにいかに 宮坂静生

・烈震のあとひたむきに梅開く 瀬戸内寂聴

・半世紀戦後の春のみな虚し 瀬戸内寂聴

・生きてゆく声交わしつつのつぺ汁 赤尾恵以

・寒暁や生きてゐし声身を出づる 桂信子

・焼跡に生き抜く焚火太く焚く 大串章

・震災のおのが家財を焚火とし 檜紀代

・地震の地も芽吹きかくやと信じけり 仁藤壺天

・地震に根を痛めし並木下萌ゆる 稲畑汀子

・焼け跡に水仙芽吹く天指して 吉村公三郎

・凍蝶のあかとき地震の炎かな 柚木紀子

・マスクして即死の額囲みたる 宇多喜代子

・冬銀河高速道路墜ちゆけり 杉本雷造

・国ひとつ叩き潰して寒のなゐ 安東次男

 

※参照・『悲傷と鎮魂 阪神大震災を詠む』(朝日出版社、1995)

 

〇2019年句日記(1月14日~20日)

(14日)・成人の日ともに華やぐ親子かな  

 特殊な共同体(村)で生まれ育った娘が20歳になった時、学園同期の子10人ほどで手作りの成人のお祝いを企画し、そこに招かれていた。知り合いの写真家、美容師も呼んで、賑やかな晴れやかな艶やかなもので、ある感慨を抱いた。その娘が出産したばかりの孫を見ていると、20年後どのように成長しているのだろうと思うが、果たしてそれまで生きているのか心もとない。私と同年齢の友人は、孫が成人式を迎えたという。

 

(15日)・結婚よりも夫婦が好きや福寿草

 70歳を過ぎた私たちや高齢年代の友人夫婦を見ていて、しばしば老夫婦のあり方を考えるようになる。生まれも育った環境も異なる同士が、何らかの機縁で共に暮らすようになり、長年の間にはお互いの長所・短所、いいところ・気になるところなどいろいろあり、認知の衰えや大病などにより、どちらかに相当の負担がかかってきたときにどのようになっていくのだろうと思う。いずれにしても、天野忠の詩のように、澄んだ視線で生きる喜びとユーモアの精神を外さず生きていきたいと思っている。

 

(16日)・(稀勢の里引退す)一片の悔いも残さず冬尽くや

 横綱稀勢の里(32)が引退する。引退会見の発言、表情から、土俵人生を力いっぱい誠実にやり尽くしたという姿勢をみた。今場所の負け方を見ていて、もういいのではないかと思っていた。お疲れ様。今後、後進の指導へ。

(発言から)「このまま潔く引退するか、いつも稽古場で自問自答していた。応援してくれる方のために相撲は続けようと判断してやってきたが、このような結果になって申し訳ない」

「徐々に良くなってきたが、けがをする前の自分に戻ることはできなかったが、(今場所は)これで駄目ならという気持ちがあるぐらい、良い稽古をしてきた」

「本当にいろいろな人に支えられ、1人ではここまで来られなかったと思いますし、感謝の気持ちでいっぱいです」

「横綱として皆様の期待に添えられないということは、非常に悔いは残りますが、わたしの土俵人生に一片の悔いもございません」

 

(17日)・阪神震災忌記憶の熾火耿耿と

 阪神淡路大震災1.17のつどい、震災で大きな被害を受けた地域を歩き、当時に思いをはせる「1・17ひょうごメモリアルウォーク」に参加。

 発生から24年となる阪神淡路大震災の追悼行事を取りやめる動きが、兵庫県内で相次いでいるそうだ。背景には被災者の高齢化による身体的負担が進んだこともあり、行事の減少傾向は近年続いていて、関係者からは「震災の風化につながる」と懸念する声も上がっている。借り上げ復興住宅や被災者生活再建支援法の拡充など課題は山積しているが。

 記憶には、観念的な色合いが強いものと、身体にしみ込んでいるのとの違いがあるように思う。河瀬直美『沙羅双樹』のセリフに「忘れていいことと、忘れたらあかんことと、それから忘れなあかんこと」とあるが、行事として風化していこうが、ある人にとっては「忘れられない、忘れてはあかん体験」として思い、語り続けていくように思う。一人ひとり、その人ならではの阪神震災忌になっていくのだろう。

 

(18日)・言の葉に添える光の歌はじめ   

「贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に」(天皇陛下)

 2019年の「光」が題の歌会始で詠まれた御製は、宮内庁によると、平成十七年に阪神・淡路大震災十周年追悼式典のため兵庫県を訪問された際、懇談した遺族代表の少女から、鎮魂と復興の象徴として育て増やした「はるかのひまわり」の種子を贈られた。両陛下はこの種を 御所のお庭にお播きになり、翌年以降も毎年、花の咲いた後の種を採り育て続けてこられたそうだ。

「国民に寄り添う、平和を守るとの思いが一貫している両陛下にとって、『象徴』として、被災地へは『行く』だけではなく、『思い続ける』というのが両陛下の寄り添い方だ。」と歌会始の選者の永田和宏氏はいう。(神戸新聞17日朝刊より)

 

(19日)・眠る山マグマ溜まりを懐きつつ

 昨年物議をかもした「LGBTは生産性がない」という議員の発言は相模原の障害者施設事件の植松被告の「生産性のない人間は生きる価値がない」など時折なされている。生産性のある・なしで人の評価をすることは酷いことだと思う。

 生産性があるというのは「やる」「やれる」ことに価値をおく見方だ。それに対して吉本隆明は『家族のゆくえ』のなかで次のようにいう。

〈普通、「やる」ことは「考える」ことより大切だとおもわれがちだが、わたしはそんなことは信じていない。(中略)じっさい、からだを動かさなければダメだということはない。そうではなくて、考えることを構想する人が過半数を超えれば考えただけでも変わるのだ、この世界もこの国家も。〉

 やることも考えることも、何をどのようにするかが要となるが、さらに問い続けることが大事だと思っている。

 

(20日)・夕暮れの空き地に凛と冬の草

 ひょんなことから、足元をひねって転び、顔・手など怪我をする。居宅に帰りドクダミの薬液で消毒し、患部に止血に効果があるといわれるヨモギをつける。大事には至らなかったようである。

 ドクダミの薬液は、6月過ぎにとってきて簡単に洗ってから40°以上のホワイトリキュールにつけたもの。わが家では切り傷や足、皮膚のトラブルなどに何かと使っていて、薬効はかなりあると思っている。一昨年に、友人宅の近辺から一緒に収穫したものを使っている。

 ドクダミは強烈なニオイと強い繁殖力から疎んじられているらしいが、昔から外用の万能薬として使われていて、薬効が多いことから十薬の名がついた。

◎日々彦「詩句ノート」、天野忠の詩集から

〇ユーモアの精神で老いを生きる(天野忠の詩集から)

 70歳を過ぎた私たちや同年齢以上の友人夫婦を見ていて、しばしば老夫婦のあり方を考えるようになる。生まれも育った環境も異なる同士が、何らかの機縁で共に暮らすようになり、長年の間にはお互いの長所・短所、いいところ・気になるところも見え見えで、認知の衰えや大病などにより、どちらかに相当の負担がかかってきたときにどのようになっていくのだろうと思う。世間では高齢者離婚も少なからずあるようだ。

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〇わたしにとって「ああーいいな!」と思う老いの姿を巧みに描いた詩人に天野忠がいる。身の回りを鋭く観察して生まれた親しみやすい諧謔に満ちた作品が多く、澄んだ視線で老いをとらえる。老夫婦として生きる喜びとユーモアの精神がクッキリと浮かんでくる。

・「しずかな夫婦」

    結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。

    とくにしずかな夫婦が好きだった。

    結婚をひとまたぎして直ぐ

    しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。

    おせっかいで心のあたたかな人がいて

    私に結婚しろといった。

    キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘を連れて

    ある日突然やってきた。

    昼めし代りにした東京ポテトの残りを新聞紙の上に置き

    昨日入れたままの番茶にあわてて湯を注いだ。

    下宿の鼻垂れ小僧が窓から顔を出し

    お見合だ お見合だ とはやして逃げた。

    それから遠い電車道まで

    初めての娘と私は ふわふわと歩いた。

    ―――ニシンそばでもたべませんか と私は云った。

    ―――ニシンはきらいです と娘は答えた。

    そして私たちは結婚した。

    おお そしていちばん感動したのは

    いつもあの暗い部屋に私の帰ってくるころ

    ポッと電灯の点いていることだった――

    戦争がはじまっていた。

    祇園まつりの囃子がかすかに流れてくる晩

    子供がうまれた。

    次の子供がよだれを垂らしながらはい出したころ

    徴用にとられた。便所で泣いた。

    子供たちが手をかえ品をかえ病気をした。

    ひもじさで口喧嘩も出来ず

    女房はいびきをたててねた。

    戦争は終った。

    転々と職業をかえた

    ひもじさはつづいた。貯金はつかい果した。

    いつでも私たちはしずかな夫婦ではなかった。

    貧乏と病気は律義な奴で

    年中私たちにへばりついてきた。

    にもかかわらず

    貧乏と病気が仲良く手助けして

    私たちをにぎやかなそして相性でない夫婦にした。

    子供たちは大きくなり(何をたべて育ったやら)

    思い思いに デモクラチックに

    遠くへ行ってしまった。

    どこからか赤いチャンチャンコを呉れる年になって

    夫婦はやっとやっともとの二人になった。

    三十年前夢見たしずかな夫婦ができ上がった。

    ―――久しぶりに街へ出て と私は云った。

    ニシンソバでも喰ってこようか。

    ―――ニシンは嫌いです。と

    私の古い女房は答えた。

(天野忠詩集『昨日の眺め』(1969年10月刊行)より)

 

・「つもり」

ある夜明け じいさんとばあさん二人きりの家に ひょっこり 息子が様子を見に来た。

ばあさんはまだ起きていて 台所の調理用の酒の残りを振る舞った。

 

――ところで、と陽気な顔になって 息子は云った。

――ところで、ここの夫婦は どっちが先に死ぬつもり------

 

じいさんは次の間で寝ていて 暗闇の中で眼を開けた。

――おじいちゃんが先き ちょっと後から私のつもり------

白い方が多くなった頭をふりながら 次の朝早く息子は帰った。急がしい仕事がたくさん待っているので。

じいさんはおそい朝めしをたべた。おいしそうにお茶漬けを二杯たべた。

(天野忠『詩集/古い動物』れんが書房新社、1983より)

 

・「覚悟」

真剣勝負せねばならんとしだなあ

この世の瀬戸際まできたんだから。

つくづく、じいさんはそう思う。

しかし

その真剣が見つからん・・・・

 

誰と勝負だって?

ばあさんが台所でひょいと顔をあげる。

 

昨日年金を貰ったので

今夜は久しぶりにうなぎである。

特上のその次のを

エイッと張りこんだ。

 

誰と勝負するのか

じいさんはまだ思案している。  

(天野忠『長い夜の牧歌 ー老いについての50片』書肆山田、1987より)

 

〇2019年句日記(1月7日~13日)

(7日)・庭に育つ小さな恵みの七日粥

 七草のなかで、すずな(蕪)すずしろ(大根)はわが家では頻繁に使う野菜であるが、五形、はこべら、仏の座などは食卓に上ることはない。家庭菜園を営んだときはその時期に取れるもので調理していたが、今は品目や献立にとらわれず、冷蔵庫にある残り物で賄うようにしている。

 

(8日)・往く彼に見送る我に雪こんこん

 年賀の挨拶を交わす中に、友人の認知の衰えが激しくなり老人養護施設に入所したとの連絡を奥さんから伺った。一昨年あたりから、排せつなどの調節がままならなくなり、家族にかなりの負担がかかっていて心配していたが、順番待ちの施設に入所できたそうである。

 介護関連の活動をしていた頃、そのような機会はたびたび経験していたが、いろいろな話を交わしていた知的な友人のことなので、ことさらに「老いるショック」を覚えた。

 一方、「昨年は自分たちの世界で必死でした、山あり谷あり元気でやっています」との彼女特有の明るい様子にほっとするものも感じた。

 

(9日)・年をとることの楽しみ福寿草

 鷲田清一『老いの空白』に次の文がある。

〈生産性とか効率性、有用性とか合理性を軸とする社会のなかでは「無用」の烙印を押され、せいぜい「補完」や「許容」の対象として位置づけられてきた人間の「営み」、つまりは「想像力、遊び、交わり、愛、夢想、ケア、英知、創造性、無為」(栗原彬)がむしろいま以上に豊穣で重層的な相貌をもって現れてくるような社会、それが〈老い〉をめぐる現実のなかで賭けられている。〉(p214-215)

 全面的に同感である。大ぶりな言い方になるが、日本の社会史上はじめて経験する超高齢社会のなかでの団塊世代・70歳を超えている人の役割は結構大きいのではないだろうか。

 

(10日)・松過ぎて今年の抱負どこへやら

 年頭に今年はこれをやり続けようと、心に決めたことのいくつかあるが、まだまだ習慣化していないので、つい忘れてしまう。その一つに「般若心経」を唱えてから食事するというのがある。その中身というより滑舌練習用に覚えたもので、食事前にすることにしたが、今朝は「もう忘れている」と妻から笑われながらいわれてしまった。

 

(11日)・丹頂の冴ゆる飛翔やさす茜

 Facebookを見る楽しみの一つに井口氏の写真がある。どれも素敵な写真ばかりだ。北海道鶴居村での丹頂鶴のさまざまな生態を簡単な説明を添えている30のショットを見ていると居ながらにして、その現場にいるような気がしてくる。

「鶴居村」は特別天然記念物タンチョウの生息繁殖地に因んだ村名だそうだ。

「いいね!」するだけではなく、写真から連想した俳句を練習も兼ねて詠み、コメントに載せることにした。

 他に「松明けて丹頂鶴のあそぶ村」「丹頂の冴ゆる容姿に紅一点」などを詠む。

 

(12日)・追羽子やあなたなしでは遊べない

 内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』を読んだ。その中に「あなたなしでは生きてゆけない」の小編がある。

「あなたなしでは生きてゆけない」から、自分にとって「かけがいのない人」について考えてみた。まず浮かぶのは妻である。面と向かってはいわないが、心の底にはある。

 自分の身辺のことを書くときに、ともすると主語が「わたし」から「わたしたち」と一人称複数形になっていることがある。というより、分けることができないのかもしれない。

 娘が結婚してから身辺のことについて話すとき、「わたし」のなかに「相方も含んだわたしたち」が入り込んでいるし、子どもが生まれてからは、その子も含んだものになっていることが多い。娘夫婦にとって赤ちゃんは「かけがいのない人」になっているようだ。

 

(13日)・初出荷心豊かな贈り合い

 おぐらやま農場からリンゴが送られてくる。ニュースレター1月号に次のような抱負が語られている。〈農産物を売り買いするだけの間柄でなく、金銭と農産物以外のものも流れあい、お互いが心豊かに幸せになる流通が実現できれば念います。〉

 生産者と消費者という間柄を超えた交流ができればと思う。

◎日々彦「詩句ノート」、私が注目した2018年度プレバト俳句20選

〇1月初めの「プレバト(俳句)」は、名人・特待生9人による「冬麗戦」で兼題は「結露」。東国原英夫の「凍蠅や生産性の我にあるや」が優勝一位になる。

「凍蠅」は寒さで氷りついたように動かない冬の蠅を言う。結露から「凍蠅」を連想した発想と、昨年物議をかもした「LGBTは生産性がない」という議員の発言を題材にして、「生産性の我にあるや」と、芸人の自分に引き付けて俳句にしたものである。

 他に、千原ジュニア「皸に窓の結露を吸わせけり」(2位)、村上健志「まだ白い明日が並ぶ初日記」(3位)、横尾渉「雪晴れやエース区間の九人抜き」(4位)などがある。

 その前に番組対抗戦があり、兼題は「初詣のお賽銭」で「東大王」の鈴木光「賽銭の音や初鳩青空へ」が一位となる。中にはうまいなと思う句もあり、夏井いつきの批評、添削も成程と思わせる。

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〇私が注目した2018年度プレバト俳句20選

12月20日:兼題「こたつとみかん」

 立川志らく・婆やは蜜柑食べ続ける妖怪(特待生3→2級)

 坂下千里子・夕空をドクターヘリや落葉焚く(1位73点)

12月13日:兼題「スーパー銭湯」

 ミッツマングローブ・打たせ湯の肩夜を忍ぶ雪女郎(特待生3→2級)

12月6日:兼題「銀座のイルミネーション」

 ダイヤモンドユカイ・オリオンよ俺にシャウトをさせてくれ(2位70点)

11月15日:兼題「朝食の風景」   

 東国原英夫・炊き出しや並べば遠き秋の雲(名人10段前進)

11月1日:兼題「晩秋のレストラン」        

 立川志らく・晩秋や乱歩を読めば(添削前、読みて)窓に蟲 (特待生4→3級)

 片岡鶴太郎・温め酒あとは巴水の木版画(1位72点)

10月18日:兼題「運動会」

 三遊亭円楽・段雷に靴紐きつく秋の朝(特待生2→1級)    

9月27日:兼題「秋の俳句・金秋戦」予選兼題「郵便ポスト」

 梅沢冨美男・廃村のポストに小鳥来て夜明け(優勝)

 予選:千原ジュニア・御出席(打消し線)の葉書投函秋日和(3位)

9月20日:俳句甲子園優勝校(徳山高校)との対外試合。兼題「俳都」

 東国原英夫・鰯雲仰臥の子規の無重力      

8月9日:夏の炎帝戦。兼題「ラジカセ」

 梅沢冨美男・旱星ラジオは余震しらせおり(優勝)

7月26日:兼題「離婚届」

 東国原英夫・調停の席着く妻のサングラス(名人9→10段)

7月19日:兼題「砂浜」

 梅沢冨美男・嬰児の寝息の熱し砂日傘(名人9→10段)

6月28日:兼題「梅雨明け」        

 梅沢冨美男・道ばたの花束ひとつ虹たてり(名人8→9段)

5月17日:兼題「公園の自転車」 

 北山宏光・原爆忌あいつと青く飛んだ日々(1位72点)

4月12日:第2回春の俳桜戦。兼題「桜と富士山」 

 東国原英夫・花震ふ富士山火山性微動(優勝)

 梅沢冨美男・空のあお富士の蒼へと飛花落花(2位)

1月4日:俳句王『冬麗戦』兼題「雪と青空」

 千賀建永・雪原や星を指す大樹の骸(優勝)

 藤本敏史・船長の側にペンギン日向ぼこ(2位)

 

〇2019年句日記(2018年12月31日~2019年1月6日)

(2018年大晦日)・賜れし吾が人生の紅葉期

 来年は「亥」の年男となる。71歳まで平凡ではあるがよく生きてこられたものだとも思う。また、身体の運動性は衰える一方、想像力とか空想力、あるいは思い込み、妄想といった機能は盛んになっているように思える。

 武藤洋二『紅葉する老年』の次の言葉がこころに残っている。

〈老年期=人生の紅葉期には生がせっぱつまって花開く。命の個性の幅は、常識の幅より広いのだ。脳は自分勝手に遊ぶのが好きだ。できるかぎり自分を他者に預けずに人生の後半を進んでいくと、老年は砂漠にならないだろう。〉

 

(2019年1月1日)・宇宙へ 今年もよろしく初茜

 妻と二人で芦屋神社に初詣に行く。

 料理をいのちの交感と位置付ける辰巳芳子は、朝目覚めたとき、宇宙に自分を位置づけ、ゆっくり息を吸って「今日もよろしく」といってみることが、目覚めの習慣になっていると言う。(「宇宙への挨拶から一日は始まる」―『食に生きて―私が大切に思うこと』より)

 印象に残っていたこともあり、年始の挨拶に、宇宙に自分を位置づけ「今年もよろしく」と小さく云ってみた。

 

(2日)・美味しいね交わす言葉の淑気かな

 今年から個人的に事業を始める息子来訪。夜は娘夫婦も赤子を伴って会食する。いろいろ話をしながら、妻の手料理に「美味しいね」、赤ちゃんをあやす動きに「可愛いね」といい、楽しい一時を過ごす。

 料理研究家の辰巳芳子は次のようにいう。

「手づくりの美味しさには、心から『ああ、美味しい』と言いましょうね。“美味しい”ってこと。あたり前じゃないんですよ。」(『味覚日乗』)

彼女は、「美味しい」と声を上げることは、食べる人の「いのち」と、造った人の「いのち」と、そこまで関わった人やもの(食材)の「いのち」の交感に対するそれぞれへの感謝の心づくしだとしている。

 何気ない一言の力の大きさを思う。

 

(3日)・初風呂の窓をあければ銀世界

 夫婦とも楽しみにしている「プレバト(俳句)」を見る。今日は名人・特待生9人による「冬麗戦」で兼題は「結露」。東国原英夫の「凍蠅や生産性の我にあるや」が一位になる。

「凍蠅」は寒さで氷りついたように動かない冬の蠅を言う。結露から「凍蠅」を連想した発想と、昨年物議をかもした「LGBTは生産性がない」という議員の発言を題材にして、「生産性の我にあるや」と、芸人の自分に引き付けて俳句にしたものである。

 東国原氏の、社会で起こっていることを俳句にまとめ上げていく発想のユニークさは面白いもので、楽しみにしている。

「生産性のない」との発言は、相模原の障害者施設事件の植松被告の「生産性のない人間は生きる価値がない」など時折なされていて、さまざまな事情で世間並みに働くことのままならない人などの負担になっている。現社会の見過ごすことのできない問題だと思っている。

 

(4日)・住む人の途絶えし家の柿たわわ

 自然栽培のブドウ園に携わっているIさんの年賀状から。「目に見えないもの、見えるもの、そのほとんどが目に見えていない世界ですネ。大地の上に立ち、空を見上げて、ブドウの樹と共に、全てをいただく心でコツコツ歩んで参ります。」

 台風21号や西日本豪雨による水害で友人のところも少なからず影響をこうむったと聞く。Iさんのところはどうだったのだろう。農薬などできるだけ使わない農家は気象や病虫害などにもろに影響される。

 また、台風や水害などにより、農産物の出荷の減少で高値が続いたと思えば、12月の暖冬により生産過剰で安値になり、出荷の手間をかけるよりはと豊作の白菜や大根を廃棄するニュースがあったりした。

 わが家でも安ければ買うし高ければ控えるが、近来、果物はこの農場で、魚はこの店でと「値」に左右されずに(多少は考えるが)ささやかでも支えることができればと思っている。

 

(5日)・今のままいいはずないと寒鴉

わたしが年間会員になっている「おぐらやま農場」ニュースレター9月号に「考え方はいろいろですから(8月2日・Facebookにも掲載」に考えされられる記事が掲載されていた。

東京の某高級デパートの売り場に並ぶ桃が1玉2160円で、おぐらやま農場の桃・あかつき1玉300円の7倍もするという。そして次のようにいう。

〈デパートさんも売れない値付けはしないでしょうから、ちゃんと需要があるわけです。どんな需要なんだろうと想像するに、「信頼できる、安心できる、間違いない」という価値がその価格に現れているのかなと思います。かたや7分の1の価格の我らの桃が、「7分の1の信頼や安心しかないのか」と問うてみるに、「いや、真っ当な食べ物の価値として決して負けてない」という自負はあります。〉

 そして、〈私にそれがいいとか悪いとかの判断はできないのですが〉としながら、「値段が高い」ということがステイタスになり、それを喜ぶ価値観の人の満足を充たしているのではないだろうかという。

そのような市場経済やお金で価値が左右される現社会での農業の営みである。

だが、「農」を生業にしている知人・友人の考え方や、さまざまな意欲的な農法を実践している人、市場原理や経済成長主義にとらわれない青年がローカリズムで「農」に取り組み始めている動きなど、何かが変わってきているような気もしている。

 

(6日)・推敲の紆余曲折の筆初め

 ユヴァル・ノア・ハラリ著『ホモデウス』について、著者のインタビューを交えての番組BS1スペシャル「“衝撃の書”が語る人類の未来」をみる。

 番組で「この先、人類は超エリートと“無用者階級(useless class)”に二分される」というハラリ氏の未来予測を聞いて、なんかひっかかるものがあった。

番組の流れは次のようなものだった。

・「人類は神の力だと信じられてきた能力を手にしようとしています。これまで私たちは技術によって周りの環境を変えてきましたが、自分自身を変えることはありませんでした。バイオテクノロジーとAI(人工知能)は、私たち自身を変える可能性があるのです。身体や脳、考えを変化させ、新たな人類が生まれようとしているのです。」

・「AIを使えばコンピュータによって多くの作業が行われるため、人間は労働市場から追い出され、多くの人が経済的価値や政治力を失い、“無用者階級”となります。バイオテクノロジーによって、経済的でなく、はじめて生物学的な不平等が生まれるのです。」

・「私たちは新しい巨大な非労働者階級の誕生を目の当たりにするかもしれない。社会の繁栄と力と華々しさに何の貢献もしない人々だ。この無用者階級は失業しているだけではない。雇用不能なのだ。」(『ホモ・デウス』より)などが紹介されていた。

 どこまでもハラリ氏の現社会の動きを見ての予測である。しかし、生産性、効率性、有用性などを軸とする社会気風にAIや遺伝子編集などが絡むと、その可能性もあるかもしれないと思わせる。

 終りの方の発言で「最も大切なことは、自分自身を知ることです」が印象に残った。